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鬼神丸の鍔
志麻・・志麻・・・
誰かが私を呼んでいる・・・暗闇に目を凝らしたけれど何も見えない。
息を止めて外の気配に耳を澄ませた。
「何も聞こえない・・・空耳?」
息を吐いて目を閉じた。
再び眠気がやって来た頃、また志麻を呼ぶ声があった。
志麻・・・起きて・・・
志麻は布団を跳ね除けて鬼神丸を引き寄せた。
「誰!」
私・・鬼神丸・・・
「えっ?」手に取ったばかりの刀に目をやった。
正確には鬼神丸の鍔かしら・・・
「鍔?え、どういう事?」
鬼神丸は私の父が打った刀・・・
「な、何を言っているの?」
私は刀工になりたかった、でも鍛刀場は女人禁制、このしきたりは厳しかった・・・
それで私は鍔師になった・・・
志麻は改めて鬼神丸の鍔を見た、何の変哲も無い鉄鍔だ。
ただ、丸い形の多い鍔には珍しく、四角い形をしていて座した時刀を膝元に置いても座りが良い。角は柔らかい曲線を描き、縁は表裏に滑らかに捲めくれており、手を傷つけ無いように心配りがしてある。
その鍔は私が初めて作ったもの、刀工になれなかった私を不憫ふびんに思って、父が自分の作刀に着けてくれた、それ以来鬼神丸とは離れたことがない・・・
「ちょ、ちょっと待って、それを何で姑獲鳥うぶめが持ってるの?」
私は死ぬまで刀工になる夢を諦めなかった、しかしその夢は果たされることはなかった・・・
「だから鍔に取り憑いて妖あやかしになったと・・・」
それから私は、数々の剣豪の差料さしりょうとなり、数え切れない程の真剣勝負を経験した・・・
「それで私に的確な指示を出せたのね」
これからあなたに剣豪達の培った技術を伝える、そして伝え終わった時私は成仏するだろう・・・
「え、私が期待に添えなかったら?」
多分もうすぐ武士の世は終わる、そうなれば私はずっとこの中だ・・・
「良いわ、きっと私があなたを成仏させてみせる」
たくさん危険な目に遭うことになる・・・
「望むところ」
それを聞いて安心した、もう休むが良い・・・
「ね、ひとつ聞いて良い?」
なに・・・
「姑獲鳥はどうなったの?」
あなたのお陰で成仏できた・・・
「そう、良かった・・・ところであなたお名前は?」
返事はなかった。既に鍔の中に戻ったらしい。
「そうか、私、質問はひとつだって言ったもんね・・・まいっか、名前は今度聞いてみよう」
志麻は鬼神丸を枕元において、布団に潜り込んだ。
*******
翌朝、起きると表が騒がしい。
「志麻、ちょっと来てくれ、大変なんだ!」一刀斎の声だ。
「なによ、まだ寝てるのに!」
「良いから出て来てくれねぇか、頼む!」
「ん、もう、仕方ないわね・・・」
今日は一段と冷え込む、寝衣の上から掻巻かいまきを羽織って外に出た。
「あっ、あなたは・・・」
「お久しぶり」
渋い銀鼠の袷に男物の黒羽織を着た粋な女が立っていた。
「久しぶりって、昨日湯屋で会ったばかりじゃない」
「あら、そうだったかしら?」
「昨日はよくも子供扱いしてくれたわね!」
「違ったの?さては思う男でもいるのかな?」
「そんなものいないわよ!」
「ほら、やっぱり子供だ」
「なんですって!」
昨日のことを思い出して余計に腹が立った。
「お紺、良さねぇか、玄人くろうとが堅気かたぎの女揶揄からかってどうしようってんだ?」
「あら、憚はばかり様、あっちは本当の事を言ったまでですよ」
「もう許さない!」
「待て志麻、こいつは口は悪いが根はいい奴なんだ、許してやってくれ」
「そうは思えないわ!」
「待て待て話を聞いてくれ。実はお紺が明日旅に出るってんだ」
「そお、私には関係ないわ」
「いや、俺に一緒にいかねぇかって言いやがる」
「行ってあげればいいじゃない」
「それがそうも行かねぇんだ、俺ぁ訳あって江戸を出られねぇ」
「なに、その訳って?」
「言いたくねぇ」
「ならいいわ、話聞いてあげない」
「しょうがねぇなぁ・・・」一刀斎はぶつぶつと独り言を言った。「実は両替商の相模屋に借金があってな、返却期限が過ぎてるもんだから矢の催促でよ」
「ふ〜ん、返してあげれば」
「冷てぇなぁ、それが出来れば苦労はしねぇよ。だが、相模屋の言う事にゃひと月店の用心棒をすればチャラにしてやるってんだ。流石に借金踏み倒して江戸を逃げ出すわけにも行くめぇ」
「それで?」
「お前ぇにお紺と一緒に行ってもらいてぇんだ」
「いやよ、どうして私がこの人と行かなきゃなんないの?」
「いや、関所を出るまでで良いんだ、女の一人旅は手形を持ってたって調べが厳しい」
「私は藩の鑑札を持ってるから大丈夫」
「いや、だからお紺が・・・」
「一刀斎、もういいよ」お紺が止めた。「心配なんだよ、あっちがいない間に浮気しないかってさ」
「馬鹿、俺が浮気なんかするか」
「信じらんないね。だから、この娘こと一緒に関所を出りゃちったぁあっちの気持ちが安心するんだよ」
「チッ、悋気りんき持ちめ・・・」
「何か言ったかい?」
「いや、こっちの事だ」
何かおかしい・・・志麻は首を傾げて二人を交互に見た。
「待ってよ、じゃあ私が一刀斎とどうにかなってるっていうの?」
「一緒に行ってくれたら信用しても良いわ」
「馬鹿らしい」志麻は呆れ返ってお紺の顔を見た。
「いいわ、じゃあ関所を抜けるまで一緒に行ってあげる。その代わり出たらすぐに別れるわよ」
一刀斎が顔の前で手を合わせた。
「恩に着る!」
「仇討手伝ってもらったから特別よ」
一刀斎がお紺を振り向いて言った。
「と言うこった、お紺これでいいな?」
「いいわ」お紺が志麻を見た。「それで出立は何時なんどきにする?」
「明日の朝明け六つ、日本橋の木戸の前で待ってるわ」
「分かった」お紺が急に愛想良く笑った。「志麻ちゃんだったっけ、明日はよろしくね」
そう言うと若い娘のように、下駄を鳴らしてどぶ板の上を駆けて行った。
志麻は呆気に取られてお紺の後ろ姿を見送った。
「朝から修羅場だねぇ」お梅婆さんが障子を引いて顔を出した。
「一刀斎、お前も隅におけんのぅ」慈心が眉を八の字にしている。
「兄ぃ、お紺姐さんおっかねぇ・・・」銀次もそろりと戸を開けた。
「ふん、明日んなったらケロッとしているさ」
「一刀斎って意外とモテるんだね」志麻が言った。
「あたぼうよ、これでも深川じゃ顔なんだよ」
「帰ってきたら借りはちゃんと返して貰うからね」
「ああ、返してやる。だから早く帰って来い」
「うん」