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保健室は静かだった。廊下の足音は遠く、扉が閉まれば外界との接点はほとんど遮断される。
昼休みの終わり際。教師の姿はなく、保健の先生も席を外していた。
遥はベッドの前で立ち尽くしていた。
カーテンは閉じられ、中には男子生徒が二人。
呼び出された理由はわかっていた。
「体調悪いって言ってたよ」と誰かに告げられ、担任も半ば無関心に許可を出した。
カーテンの中は、微かにこもったにおいがする。
汗と洗剤、寝具に染みついたものが混ざっていた。
制服の袖が引かれる。反射で腕を振り払うと、すぐに顔を掴まれた。
「元気そうじゃん。ちょっとガッカリ」
「ちゃんと病人ムーブしてくれないと、保健室でやる意味ないんだけど」
言いながら、指が首元にかかる。
制服の第一ボタンを外し、喉元を撫でるように爪を立てる。
遥は肩をすくめた。意図的な怯えではない。皮膚が、勝手に反応する。
「さっきの階段裏、あれさ。睨んだときちょっと……ゾクッとしたよ」
「睨まれると燃えるっていうか。ああ、今、生きてるなって感じ」
もう一人が笑う。
片手でベッドの縁を叩きながら、遥の背を軽く押す。
「はい、横になって」
「時間ないから、手際よくやろ」
遥は動かなかった。
一歩も引かなかった。
押された背が、硬直して動かないまま、指だけがわずかに震えた。
「……無理矢理、やりたいわけじゃないからさ。さすがに」
「いや、やるなら丁寧にやろうよ。“乱暴に見せない”ってのが良いんでしょ?」
「うん、でもそろそろ、“ちょっと嫌そうな顔”が欲しいな」
遥の目が細められた。
睨む、ではなかった。
吐き捨てるような視線でもない。
それは、ただ「人間としての感情」を失っていないということを、ギリギリ保っている証だった。
カーテンの向こうで誰かが足音を立てた気がして、二人は動きを止めた。
だが、それが別の生徒だったことがわかると、空気が緩む。
「おまえさ、痛いのと怖いの、どっちが効く?」
「正直に答えろよ。どっちが嫌?」
遥は答えなかった。
答える義務も、価値もないと思っていた。
けれど、黙っていることもまた、餌になる。
首筋に触れていた指が、少し強く押し込まれる。
呼吸が浅くなる。喉を閉じる感覚に似ていた。
「これでどう?」
「喉、鳴ってた。バレバレ」
「やっぱ苦しいの、好きなんだな」
言葉が、ゆっくり遥の背に積もっていく。
押されなくても、重さがのしかかってくる。
それでも、遥は声を出さなかった。
睨みもしなかった。
ただ、カーテンの隙間から差す光を見ていた。
ほんのわずかな風が、布の裾を揺らしていた。
──今、誰かが入ってきても、誰も助けない。
──声を出しても、誰も見ない。
──見ても、“なかったこと”にされる。
ベッドの下に落ちたボタンが一つ、音を立てず転がっていた。