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神様が言いました。
私があなたの願いを1つだけ叶えましょう。
神様に言いました。
皆が恐れ戦く様な、至上の才能をくださいな。
神様は言いました。
あなたに才能与えました。どうぞ良き活躍を。
神様が去りました。
それから時が過ぎ流れ、10年経って100年経って、
神様を呪いました。
私はいったい、どんな才能をもらったんだろう?
絵師にとっての命≒利き手 症
命よりも大切と言えるものはどれだけあるだろうか。
クラスメイトは?親友は?家族は?己の命よりも大切か?
彼らの、彼女たちの為に、命を捨てられるか?
否、否である。
少なくとも東雲絵名からすれば、それらは命よりも大切なモノでは決してなかった。
命を懸けて護りたいと思えるモノではなかった。
「…………………………………………………無くなっちゃった」
呟く。
乾いたワライ。
憐憫と嘲笑を己自身に向ける。
命よりも大切なモノ。
己の命よりも大切な、己の命を捨ててでも護りたいと思う、思える、そういうモノ。
絵名は『それ』を喪ってしまった。
『それ』が、『それ』だけが、絵名の全てだったのに。
「……ぇ、………………絵名……あの………………」
油状物質コールタールの中にいるような重苦しい雰囲気の中、奏は絶黒の闇を振り払うように口を動かし、絵名に話しかけた。
あの交通事故から既に1か月もの時間が経っていた。
それだけの時間が過ぎて、ようやく奏たち3人は絵名を見舞うことができた。家族以外との面会許可がやっと下りたのだ。
「…………は、あはは…………無くなっちゃった、奏」
「っ」
絵名の様子はそれはもう酷いモノだった。
まともに寝ることができていないのか隈が酷いし、頭髪には強く掻き毟った痕が残っている。左腕は包帯で巻かれていて、瞳からは涙が溢れ、なのに絵名は無表情だった。病室内に最低限のモノすらも存在しないのはガラスのコップを割ってそのガラス片で自殺しようとしたことがあるからか、病室に窓すら存在しないのは飛び降りて死のうとしたことがあるからか、つい昨日まで面会謝絶状態だったのは絵名が奏たちに会うことを拒否していたからか。
消耗した、憔悴した、変わり果てた姿の絵名。
奏はまふゆの一件以降、そこそこの頻度で絵名と顔を合わせていたが、そんな奏でもこんな絵名を見るのは初めてだった。
当たり前だろう。
「無くなっちゃったのッ!!!!!」
今の絵名には右腕が存在しない。
左腕をベッドに叩きつける。
結局、絵名はあの交通事故によって右腕を切断する羽目になったのだ。
トラックと建物の壁に挟まれてミキサーで掻き混ぜられたような状態になった絵名の右腕を治すことなど、現代医学には不可能だった。
そして、仮に義手をつけたところで、違和感なく右腕を動かせるようになるにはどれだけの時間がかかるか。
前と同じようにイラストを描けるようになるには、どれだけかかるか。
「もう描けない」
絵名には才能がない。父親のような才能はない。絵描きとしての才能はまるでない。
だから、絵名は生活のほとんどを絵を描くことに使っていた。
朝も昼も夜も、
描いて、描いて、描いて、
昨日も今日も明日も、
描いて、描いて、描いて、
家でも、学校でも、道すがらでも、
描いて、描いて、描いて、
描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて描けば、
描き続ければ、いつかきっと届くと思っていた。
才能がないのなんて絵名が一番分かっていたから、その才能の差を時間で埋めようと思った。天才が1日1時間で1枚の絵を描くのならば、自分は1日9時間で2枚の絵を描いてやろうと思った。
スタート位置が400メートル以上離れていても、相手が休憩している間にも走り続ければいつか必ず追いつけるはずだから。
亀は歩き続けることで兎に勝利した。
だったら絵名だってできるはずだ。
絵を描いて、描いて、描いて、描き続ければいつか必ず『そこ』に辿り着けるはずだ。
辿り着けるはずだったのだ。
「描きたいのに、描けないっ!」
そんな希望を夢見ることすら、もはやできない。
右腕は絵名の利き手だ。利き手を喪った絵師なんて、聴覚を喪った作曲家くらい、失声症になった作詞家くらい、視力を無くした動画屋くらい無意味な存在だ。
執着していたモノを、強制的に手放さなければいけなくなった。
生涯をかけてでも辿り着きたかった頂を、見上げることしかできなくなった。
「描けないのっ!こんな腕じゃ!!!」
包帯で覆われた裂傷だらけの左腕を力の限り振り回す。無表情で泣き叫びながら、理不尽な現実を前に力の限り暴れまわる。
痛みなんて感じていないけれど、傷みがひどく酷かった。
「こんなっ、こんな腕っ!!!こんな腕っ、この腕が無くなればよかったのに!!!!!」
なぜ、よりにもよって右腕利き手だったのか。
右腕利き手を喪ったから絵を描けなくなった。喪ったのが左腕であれば、まだ絵を描くことができたのに。右腕利き手ではなく左腕がねじ切れてしまえばよかったのに。
――――――絵を描けない腕なんて、いらなかった。
「ああああああああぁぁああっぁあぁぁあぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁあああっぁぁああぁっぁぁあぁあぁぁぁあっぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」
「やめっ、絵名っ!!!」
「っ、落ち着いて絵名ッ!!!」
狂乱する絵名を捨て身で、強く抱きしめることで止めようとする奏と瑞希。理解できるだなんて口が裂けても言えないけれど、これ以上絵名に傷ついてほしくなんてなかった。一番大切な、命よりも大切な右腕利き手を喪ってしまった絵名に、これ以上傷ついてほしくなかった。
自分で自分を苛めて、罰して、悔いて、
何も悪くなんてないのに、失って喪ってうしなって、
ベッドの上で、立ち上がることすらできない絵名は転がって哭いて喚いて暴れ狂う。
どうして、どうして何も手に入らないのか?
これは、才能がない癖に大層な願いを抱いた罰なのか。
「こんなっ、こんなっ、どうしてっ、どうしてええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」
いつか、登れると思っていた。
富士山の山頂にだって、時間さえかければ。
いつか、走れると思っていた。
ウルトラマラソンだって、時間さえあれば。
いつか、乗り越えられると思っていた。
才能という名のハードルだって、努力し続ければきっと。
何の意味もなかった。
絵名の今まで行動は、何の価値もなかった。
喪って初めて分かる、その無意味さ。
神様に嫌われた無才少女は、何を手に入れることすらもできずに溺れ死ぬ。
残酷なこの世界は、『可哀想な誰か』が救われるようにはできていない。
だけど、
「………………………………………」
だけど、そういう意味で言えばこの場にはもう1人、救われない人間がいる。
それは、ひょっとすれば絵名よりももっと深い意味での。
「……羨ましいな」
ピタリ、と、
絵名の動きが止まった。
「…………………………………………は?」
思わず、
本当に思わず、残った左腕で奏を殴りつけていた絵名は動きを止めてしまった。
それほどまでに衝撃的な言葉だった。
天地が引っ繰り返ったかのような、衝撃。
だから、絵名は自然に聞いた。
「…………今、あんた、………なんて言ったの?」
「羨ましいな、って」
繰り返した。
聞き間違えなどではなかった。
今度ははっきりと聞こえた。
「ほんと、…………羨ましい」
相も変わらない無表情で、朝比奈まふゆは絵名のことを羨んだ。
右腕利き手を喪った絵名のことを、羨んだ。