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「私ら、もう出禁だよねー」
「また病院の口コミサイトに書かれるかも」
「銀行にもクレーム入れてきたんだけど、相手にされてないみたい。上司もこの間対応して懲りたし、それでモンスタークレーマー認定だから、なんとかなったわ」
真由美と美樹は、どこかすっきりした顔をしていた。美樹の娘は、黙ったまま歩いている。彼女が一度引きこもっていたことは聞いたことがあった。一年ほどの間、外に出られなかったらしい。でも、その詳しい事情は話してくれたことがない。今は普通に学校に通っているし、過去のことを気にする様子もない。それでいい、ということなのかもしれない。
美樹の車で、家まで送ってもらうことになった。
「また何かあったら連絡するわ……」
「美夜子も元気で。間違っても首括らないでね」
朝、あれだけ泣いていた真由美だったのに、葬式で大爆発したせいか、今はもう吹っ切れたようにブラックジョークを飛ばしている。美樹も、それを聞いて笑った。でも、後部座席に座る美樹の娘だけは、笑わなかった。
車が去っていく。私はふと振り返りながら、軽く手を上げた。その手を後ろに回して、中指を立てる。
部屋に戻ろうとして、違和感を覚えた。……ドアが、開いている?
鍵、かけ忘れたっけ……?
いや、それだけじゃない。電気がついているし、玄関の下駄箱には、見覚えのある大きな靴があった。
リビングに入ると、案の定いた。
「お、黒のワンピ似合うじゃん」
翔太だった。肌着とボクサーパンツ姿のまま、ソファに大きな体を預け、だらしなく座ってアイスクリームを食べている。
「しばらく無理じゃなかったの?」
「息抜き」
……ため息しか出ない。
私は玄関に戻ろうとした。塩を撒こうと思い出したのだ。だが、その背中を翔太に抱きすくめられる。
「黒のワンピ、セクシー。黒のストッキング……ほつれてる。ねぇ、ストッキング破るプレイしたい」
――なによ、そのプレイ……。
玄関という場所、喪服、黒ストッキングのほつれ。
その組み合わせに、翔太は普段以上に興奮していた。
私はとにかく、背中が床に当たって痛かった。
***
行為の後、翔太が先にシャワーを浴びる。その後、私も浴びた。頭も体も洗い流して、ようやくすっきりする。
寝室に行くと、翔太はボクサーパンツ姿でくつろいでいた。きっと、このままお泊まりコースになるのだろう。
「出たか?」
「うん」
「すっきりしたやろ」
「まぁね」
彼の隣に行くと、左腕を差し出してくれた。私はそれを枕にする。翔太のたくましい腕。厚い胸板。太い首筋に浮き出る血管。ドキリとする。
「葬式、行ってたんか」
「うん……塩でわかった?」
「線香の匂いと喪服で」
黒ワンピとストッキングで興奮していたくせに、ちゃんと喪服だと認識していたのね。
「……もしかして、大崎奈々子の葬式か?」
私は驚いた。翔太の口から、奈々子のフルネームが出るとは思わなかった。でも、遅かれ早かれ知ることになるだろうとも思っていた。
「そうよ」
「……同い年だから、同級生か」
「うん。高校のときの友達」
「ふうん」
翔太が何を聞きたがっているのか、わかる。そして、しばらく会えないと言っていたはずなのに、今日こうして会いに来た理由も。
「……大崎奈々子のこと、何か知ってることあるか?」
さっきまで甘えてきた翔太の表情が、ガラリと変わる。
***
通夜での修羅場を話すと、翔太は鼻で笑った。
「まぁ、よくあることだな。奥さんが不倫して、相手の車に乗って事故死ってのは意外と多い。逆もある。旦那が浮気相手の女と車に乗ってて、事故死。残された奥さんが殴り込みに来るとか」
「わー……」
つい、声が出る。他人の修羅場を聞くと、なぜかハラハラしてしまう。そして、もっと知りたくなる。そういう気持ち、やっぱりあるものなのだ。
「明日の告別式、行けそうか?」
「多分、無理ね。出禁よ、私たち」
「でも、美夜子は何も言っとらんやろ」
「まぁ……でも、同じ仲間と思われたかもね」
私自身、あの場では何も言わなかった。……いや、言えなかった。
告別式。私は出てもいいのだろうか。事実上、家族葬だし。
「私が行ったところで、どうにもならないわ」
「……でも、聞いた話だと、奈々子さんの旦那と義両親、相当厄介らしいな。ここだけの話、奈々子さん、地元警察に相談の電話を入れてた記録がある」
……警察に?
「夫と義両親からモラハラを受けている、と」
「……」
私は一度、奈々子が悩んでいたとき、モラハラについてネットで調べたことがある。警察にも相談できるし、匿ってもらうこともできる。あのとき、奈々子もそれを覚えていたのだろうか。
「でもな。担当者が相談に乗りますよ、と日時を決めた後、奈々子さんから“やめておきます”って連絡があったそうだ」
「……」
翔太は静かに続けた。
「こういう相談は日常茶飯事だ。本当に命に関わるものでなければ、警察も動けん。殴る蹴る、お金の問題が絡まなければ、な」
……そんなシステムで、本当に誰かを助けられるのだろうか。
「もっと踏み込めば、救えたかもしれないのに……って、思うこともあるよ」
翔太はそう言って、私の方を見る。
その目を見つめながら、私はゆっくりと彼の頭を撫でた。翔太は少年みたいに笑う。
「……もう一回、したい」
私はため息をつく。
そして、彼の上に乗る。
「こういう君の強引さに負けたんだよ、僕は」
彼は小さく笑って、観念したように目を閉じた。
***
朝起きると、彼はいなかった。