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暦は師走に入り、街中はザワザワと何かに追い立てられるように動いていた。

美幸の受験勉強もいよいよ追い込みに入り、願書に貼る証明写真を撮りにフォトスタジオに行かないといけなかったりと、勉強以外にもやる事があって気忙しい。

その話を藤井にしたら、美幸を連れて行ってくれるとの申し出をしてくれた。それを、沙羅は断れるはずもなく、藤井の家でお留守番中だ。


あれから1週間、慶太とのメールのやりとりは続いている。

ふたりの間は、今まで通りの遠距離恋愛だ。

ただ、縁談の件には、触れずにいる。それは、個人同士の話ではなく、会社の利益に関わる話しで、簡単に「この度はご縁がございませんでした」とはいかないからだ。

沙羅に出来る事といえば、慶太を信じて待つだけだった。

疲れがたまっているのか、胃が重いようなモヤモヤとした感じがする。


「はーぁ、なんだかなー」


ぼやきながら、沙羅は膝を付いて床の拭き掃除に精を出す。

普段からマメに掃除をしているが、年末という響きに追い立てられ、いつも以上に頑張らないといけないような気がするのだ。


ニャーと可愛い鳴き声で、沙羅は手を止めた。

すると、四つん這いになっている沙羅を仲間だという風に、「ひろし」が鼻チュンをしてくれる。


「ふふっ、ありがとう。元気でたよ」


ひろしを抱き上げ、猫吸いをしていると、玄関から美幸の声が聞こえてきた。


「お母さん、ただいまー。紀美子さんにいっぱい買ってもらっちゃった」


玄関へパタパタ向かうと、紙袋を両手いっぱいに下げ、ごきげんな美幸と同じく紙袋を下げている藤井と貴之がいる。


「まあ、すごいたくさん。紀美子さん、今日はありがとうございました。貴之さんもご一緒だったんですね」


そうなのだ、藤井と美幸で出かけたはずなのに、帰りは浅田貴之も加わり3人でのご帰還だ。


「貴之には、アッシーくんをしてもらったのよ」


「紀美子さんに呼び出されたら、僕なんて逆らえないよ」


藤井と貴之のやり取りに、美幸は目をぱちくりさせ首を傾げた。


「貴之さんって、アッシーくんってあだ名なの?」


バブル期を過ごした藤井と、令和を生きる美幸のジェネレーションギャップを感じた。


ダイニングテーブルの上には、デパ地下で買ったローストビーフやオードブルセットと、なぜか中華まんじゅう、小籠包など、和洋折衷のお惣菜が並ぶ。一足早いクリスマスの様だ。


シャンパン代わりのジンジャエールで乾杯をした。


「紀美子さん、美幸にお洋服をたくさん買って頂いて、ありがとうございます」


大量の紙袋の中身は、デパートで買った美幸の服やバッグ。その量たるや、毎日ファッションショーが開けそうだ。


「いいのよ。美幸ちゃんは、わたしにとって孫のような関係でしょう。それに女の子の服は見ているだけで楽しくって、ねっ!」


藤井は美幸に目くばせをすると、美幸も「ねー」と相槌を打っている。


「貴之さんにも、すっごい可愛いコスメ買ってもらったの。お母さん、見て見て!」


バラや蝶をモチーフにしたロマンチックなデザインの人気コスメは、ちょっと背伸びをしたいティーン憧れの商品だ。

美幸と貴之は今日初対面だったはず、それなのにプレゼントを買ってもらって、沙羅は申し訳ない気持ちになってしまう。


「まあ、こんなにたくさん。貴之さん、ありがとうございます」


貴之は少し垂れた目を細くして、優しく微笑む。


「美幸ちゃん、勉強頑張っているっていうから、ちょっとしたご褒美。それに、こんなに喜んでもらえるなら、プレゼントし甲斐があるよ」


「えへへ、紀美子さん、貴之さん、ありがとうございました。めちゃくちゃ嬉しいです」


すっかり、貴之に懐いた様子の美幸を、沙羅は複雑な気持ちで見つめていた。

クリスマスが近いことで、政志から面会の打診が届いているのだ。

片桐との事があって、政志を嫌ってしまった美幸に伝えていいのか……。それさえも、悩んでしまう。

せっかく落ち着いてきたのに、無理に会わせなくてもいいのではないだろうか、と思う一方で、父親という存在がまだ恋しい年頃。会うかどうか聞くだけでもするべきなのか。


「沙羅さん、どうしたの?」


貴之の声で沙羅は、自分の手を止めたまま、ぼんやりとしていたのだとわかった。


「ううん、少し疲れたみたい」


「じゃあ、がんばっている沙羅さんにも、プレゼント」


貴之から渡されたのは、有名ブランドのショップバッグ。その中には、クリスマスコフレが入っていた。ブランド名からも高価な物だ。



こんな高価な物をもらえない。どうしよう……。

沙羅は戸惑いから視線を泳がせる。

すると、それに気づいた藤井が、ゆっくりとうなづいた。


「沙羅さん、わたしも一緒に選んだのよ。喜んでもらえたら嬉しいわ」


藤井に言われては、受け取らないわけには行かない。

沙羅は貴之にぺこりと頭を下げた。


「素敵なプレゼントで、緊張しちゃいました。貴之さん、ありがとうございます」


貴之は人懐っこい笑顔を浮かべながら、照れているのかポリポリと頬を掻く。


「いや、クリスマス限定とかで、可愛かったから……。気軽に使ってもらえるといいな」


「大切に使わせて頂きますね」


会話が途切れたところで、藤井が雰囲気を変えるようにパチンと両手を合わせた。


「さあ、せっかく美味しいお料理が並んでいるんだから、どんどん食べましょう」


「はーい、わたし、肉まん食べたい。もらってもいいですか?」


「もちろんよ。食べてちょうだい」


美幸にならって、沙羅も「いただきます」と小籠包にパクついた。


「ねえ、沙羅さん。クリスマスやお正月も良かったら、またこうしてみんなで一緒に過ごしてもらえないかしら?」


藤井からの問いかけに、沙羅の返事を待たずに美幸が歓喜の声を上げた。


「わーい、クリスマスも紀美子さんと一緒だぁ」


「美幸ちゃん、僕のこと忘れているよ」


「あっ、ごめんなさい。アッシーくん」


美幸が貴之を揶揄うように「えへっ」と笑う。それに対して、貴之も笑顔で返す。


「こらぁ。大人を揶揄う悪い子には、クリスマスにサンタさんが来ないんだぞ」


「わー、アッシーサンタさん。ごめんなさい」


あははっと、騒いでいる中、藤井が嬉しそうに目を細めポツリとつぶやく。


「あら、今日会ったばかりなのに、親子みたいに仲良くなってくれて良かったわ」


え?と、沙羅の鼓動は大きく跳ねた。

まさか……ね。



藤井は親戚として、貴之を紹介してしてくれただけ。

ちょっとした一言に過敏に反応するのは良くないし、貴之からプレゼントを渡されたぐらいで、自分に気があるように考えるのは、うぬぼれが過ぎるような気がする。

沙羅は、ざわざわする気持ちを落ち着けるように、そう結論づけた。


翌日、美幸を塾まで見送り、帰りのお迎えの時間まで、どう過ごそうかな?と、立ち止まる。

普段なら一旦家に帰って、家の用事をすることが多いのだが、冷蔵庫の中身が寂しくなっているのだ。スーパーマーケットで買い物をして、カフェで時間を潰すのもたまには悪くないと思った。


なんとなく、胃の調子が悪いような気がして、お豆腐やうどんなどを使った消化の良いメニューを思い浮かべる。

吐き気ではなく、食後に胃がシクシク痛む症状は、おそらく消化不良なのだろう。


「なんだかなぁ」


ポツリとつぶやき、街灯に照らされた歩道を歩きはじめると、冷たい風が体温をさらっていく。さすがに12月になると、底冷えがしてくるような寒さだ。

マフラーに手を掛けて、暖が逃げないように巻き直す。

すると、コツコツと革靴の足音が聞こえて、コートを着た壮年の男性が近づいて来るのに気付いた。

道を開けるように少し左側に避けようとしたところで声を掛けられる。


「佐藤沙羅様、突然申し訳ございません。私、TAKARAで社長秘書をしております中山と申します。少しお時間よろしいでしょうか」


沙羅は訝し気に眉をひそめた。


昔の記憶がよみがえる。それは、高校3年の頃、底冷えのする冬の日に同じように聡子の秘書と名乗る男に声をかけられた事があった。

今も昔も無力な自分を悲しく思う。


中山に連れられて入ったのは、昭和の名残りがある喫茶店。

カウンターの向こうにはコーヒーサイフォンが3つ並び、磨き上げられたコーヒーポットの口から湯気が揺れている。

店内の温かさに息を吐き、案内された席につく。


話しをする前から何を言われるか予想がついて、向かいに座る中山と視線を合わせないように、沙羅はうつむいた。

香りのよいコーヒーが運ばれてきて、テーブルの上に置かれたが、口を付けようとは思えなかった。ゆっくりとコーヒーが冷めていく。

先に話しを切り出したのは、中山だった。


「お忙しい中、お時間頂きありがとうございます。改めまして、私、TAKARAグループの社長秘書をしております中山智弘と申します」


スッと、テーブルの上に名刺を置き、話を続ける。


「本日は、佐藤様に会長から言付けを預かりまして、弊社社長の高良慶太についてお願いがございます」


「……はい」

返事をすると、沙羅の胃はキリキリと締め付けるように痛くなる。

出来るなら、「もう、これ以上聞きたくない」と、叫び出したかった。


「ただいま社長には、縁談が進んでおります。そこで結納までに身辺整理をするようにと……。もちろん、佐藤様にはご迷惑をお掛けする以上、迷惑料をお渡しさせて頂きます」


小切手が沙羅の目の前に置かれる。

額面は200万円という大きなものだ。

でも、慶太への想いに値段を付けられたようで、悔しさや悲しさが押し寄せて、鼻の奥がツンとしてくる。


沙羅は大きく息を吐き出し、顔を上げて中山を見据えた。


「これは、受け取れません。お金で気持ちを売り渡すような事はできません。慶太さん自身に別れを告げられたなら、黙って身を引かせて頂きます」


一息で言い切ると奥歯を噛みしめ、口を引き結んだ。

無力な沙羅の精一杯の抵抗だ。



お財布から千円札を取り出し、テーブルに叩きつけるようにして「失礼します」と立ち上がる。

沙羅は、溢れそうになる涙を堪えながら、逃げるように喫茶店から飛び出した。

駅まで走り、トイレの個室に入ると、堰を切って涙が溢れ出し、嗚咽が漏れる。


こんな日が来るのは、わかっていた。

慶太に縁談があるのは、覚悟していた。

自分が慶太に似つかわしくないのだって、知っている。

でも、慶太を想う気持ちに値段を付けつけるなんて、酷い。

好きなだけではどうしようもない事があるのは理解できるけど、人の気持ちを無視して結婚を進めても誰も幸せになれないはずだ。

どうして、人の心を踏みにじるようなことをするのだろう。


ひとしきり涙を流すと、怒りや悲しみでぐちゃぐちゃになっていた頭が冷えてくる。はぁーと息を吐き出して、気持ちを落ち着かせた。

強く握り込んでいた手をゆっくり開くと、手のひらに食い込んだ爪の後がクッキリと残っていた。

トイレから出てた沙羅は、慶太へ連絡をしようとスマホを取り出した。

電話帳アプリを立ち上げると、あ行の欄が表示される。その中にある慶太の妹、一ノ瀬萌咲の名前を見つけ、思わずメッセージを打ち込む。


『秘書の中山さんという方がお見えになりました。用件は慶太さんの結納までの身辺整理だという事です。忠告して頂いたのに、上手に対処できず逃げ出してしまいました。もしかしたら、ご迷惑をお掛けするかもしれません』


送信ボタンを押すと、体の力が抜けていく。


慶太への連絡は、夜に落ち着いてからにしようと思った。


塾を終えた美幸と家に帰った沙羅は、夕ごはんを食べ始めた。テーブルの上には、玉子とじうどんとお新香という軽めのメニューが並んでいる。

完全に手抜き料理だが、今の沙羅には、料理をするのも、食べるのもキツイ作業に感じられた。

今日、中山と会ったショックからか、沙羅は胃がツキッと痛み、箸が止まる。


「お母さん、どうしたの?」


美幸に心配かけないよう笑顔を作る。


「ううん、ボーっとしてごめんね」


「なんでもないなら、いいけど」


もう一つの問題を片付けてしまおうと、沙羅は美幸の様子を窺いながら、ゆっくりと語りかけた。


「あのね、無理ならいいんだけど……。お父さんから、美幸に会いたいって、連絡があったの。美幸はどうしたい?」


「んー。今忙しいから……」


やっぱり、まだ美幸は政志に会いたくないのだろう。無理に会わせてもお互いに気まずい思いをすることになるなら、もう少し時間を置いてからの方がよさそうだ。


「じゃあ、お父さんには、塾の講習で忙しくて時間が取れないって、言って置くわね」


「うん、そうして……。ほら、紀美子さんとクリスマスの予定を立てたでしょう。買ってもらった服を着て行く予定なの。あとね、貴之さんからもらったコスメでお化粧したい。だから、お母さんメイク教えてね」


政志と会うのを断ったのが、後ろめたいのか、美幸はしゃべり続けた。沙羅は、自分の心の負担を減らしたくて、美幸に訊ねてしまった事を申し訳なく思う。


自分が最初から政志に、「今の時期は忙しいから時間が取れない」と言ってしまえば、美幸の負担になる事はなかったのだ。


自分の中がいつもいっぱいいっぱいで、余裕の無さから気遣いが出来ていないな。と沙羅は細く息を吐き出した。


その時、急に胃が突き上げられるような痛みに襲われる。口に手を当て、もう片方の手でお腹を押えた。


「うぐっ」


たまらずにキッチンに走り、流し台にいま食べた物を吐き戻してしまう。

沙羅の異常な様子に気付いた美幸が駆け寄って来た。


「お母さん、どうしたの⁉ 大丈夫?」


心配そうな美幸の声に「大丈夫」と答えたいのに、突き上げが治まらず、胃が反転するような絞られるようなキツイ痛みが続く。

もう、吐く物は無く、胃液しかでてこない。


「お母さん」


額に油汗が浮かび、美幸の声が遠くに聞こえる。

誰かに胃を掴まれたような衝撃に耐え兼ねて、ゴフッと吐き出したのは、鮮血だ。

途端に視界が暗くなり、沙羅は意識が保てずに崩れ落ちた。


目の前で、吐血しながら倒れた沙羅の姿に美幸は息を飲み込んだ。


「お母さん! お母さん! やだっ、お母さん」


美幸は膝を付き、沙羅を揺するが反応が返ってこない。


「お母さん、やだっ! 起きて‼」


大きな声で叫んでも、蒼白い顔色の沙羅は動かなかった。

怖さと戸惑いが入り交じり、美幸の目からは大粒の涙がこぼれ落ちてくる。


「きゅ、救急車呼ばなきゃ。あと、誰か大人の人」


美幸は、震える足で立ち上がった。



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