テラーノベル
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事件から数日が経った。タワーマンション45階で起きた刺殺未遂と「煙のように消えた犯人」の謎は、表向きには「ゴンドラへの着地と突風による非常階段への移動」として処理されていた。被害者は回復し、被害届は取り下げられ、二人の美少女は再び一緒に暮らしている。周囲から見れば、一件落着だった。
だが、真相はもう少しだけ異質だった。
その頃、都内の某所。薄暗い研究区画で、灰色がかった長い銀髪の女性——プロフェッサーMが、ホログラムの数式を前に腕を組んでいた。
「人間美少女ゲノムを基底ベクトル \( \mathbf{h} \) とし、ヤモリゲノムを \( \mathbf{g} \) とする。ナノマシンを介した融合は、単純な加算では破綻する」
彼女は指先で虚空をなぞり、式を展開した。
\[
\mathbf{f} = \alpha \mathbf{h} + \beta \mathbf{g} + \gamma (\mathbf{h} \otimes \mathbf{g})
\]
ここで \( \alpha + \beta = 1 \) かつ \( 0 < \gamma \ll 1 \)。テンソル積項が、異種ゲノムの界面で起きる「形質の局所発現」を司る。指先の吸盤構造、尾てい骨からの尾の再生、壁面吸着に必要なヴァンデルワールス力の増強——それらはすべて \( \gamma \) の値に依存する。
「感情の高ぶりをトリガーに、\( \beta \) と \( \gamma \) が一時的に増大する。つまり、興奮や恐怖が閾値を超えると、ヤモリ形質が優位になる。記憶の分断は、海馬周辺のナノマシンが形質転換中のエピソードを意図的に遮断するためだ」
プロフェッサーMは満足げに微笑んだ。
「完成したヤモリ怪人は、壁もガラスも縦横無尽。しかも変身中の記憶を持たない。完美でshow」
彼女が手をかけた被験者——小柄で華奢な美少女は、感情が爆発した夜、無意識のうちにヤモリの指で高層の外壁に張り付き、尾を揺らしながら逃亡していた。本人にその記憶はない。ただ、目が覚めたとき、非常階段の踊り場にいたことだけをぼんやりと覚えている。
そして今、その美少女は、蘇った恋人とともに穏やかな日常を取り戻していた。誤解は解け、二人は改めて愛を誓い合った。ヤモリの形質は、感情が安定している限り表に出ない。二人の部屋に、小さな尾の影が落ちることは、当分ないだろう。
一方、その事実を知る由もなく、美少女探偵・姫神姫は自室でくつろいでいた。
放課後の夕暮れ。彼女は制服を丁寧に脱ぎ、ハンガーにかけると、いつものミントグリーンのブラとパンティ姿になった。最上階の大きな窓のそばに立ち、オレンジ色に染まる東京の街並みを見下ろす。ベイエリアの高層ビル群が、長い影を落としていた。
「加賀美警部補……」
小さく名前を呼ぶ。塩対応で、真面目で、たまに優しくて、抱きしめてくれたときの胸の感触が、まだ記憶のどこかに残っている。早く大人になって、きちんとお付き合いしたい——そう思うたびに、胸の奥が切なく締め付けられた。
そのとき、テーブルに置いてあったスマホが短く鳴った。
画面を見ると、通知が一つ。送信者は「加賀美」。以前、現場でやり取りした際に交換したSNSの連絡先だった。
姫は息を呑んで、すぐにアプリを開く。
そこには、短いメッセージが浮かんでいた。
「遅いお盆休みが入った。よかったら遊ばない?」
瞬時に、頭の中が真っ白になった。
「……へ?」
もう一度読み返す。確かに「遊ばない?」と書いてある。加賀美警部補から、自分に、遊びに行こうという連絡が。
「ほ、本物でごぜぇやすか……!?」
姫はその場でくるりと回り、黒髪のぬいぐるみを抱きしめて小さく跳ねた。ミントグリーンの下着姿のまま、窓の外の夕陽に向かって両腕を大きく広げ、声にならない歓声を上げる。
「やった……! やったでごぜぇやす……!!」
頬が熱い。耳まで赤い。スマホを握りしめる指が、少し震えていた。返信をどう返そうか。浮かれるのを我慢して、落ち着いた文面にしないと——いや、でも嬉しいのは隠せない。
結局、彼女はベッドに転がると、天井を見つめながら何度もメッセージを読み返した。
加賀美警部補と、二人きりで遊べる。
その事実だけで、今日の夕暮れは特別に綺麗に見えた。
続く。
猫とろ
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ねらち
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コメント
3件
第62話、読み終えました〜! プロフェッサーMの研究区画、すごく科学チックでカッコよかったです。数式が出てくるだけで「おおっ」てなりますね。ヤモリ怪人の仕組み、ちゃんと理屈で説明されてて納得感がありました。 そして姫神さんが加賀美警部補からのメッセージに「ほ、本物でごぜぇやすか!?」ってなってるところ、めちゃくちゃ可愛くてニヤけました(笑)ミントグリーンの下着姿でくるくる回ってるの、目に浮かびます…。デートの行方が気になりますね! 穏やかな日常が戻ってきたラストもほっとしました。続きが楽しみです🌷