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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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「それでは、行ってきます」

「送らなくて大丈夫か?」

そう問うた家綱に、友枝さんは大丈夫です、と答えた。

あの後、ストーカーからの視線はいつの間にか消えていた。ストーカーは本当に見ているだけで、夜に何かするとか、そう言うことは特にないらしい。一応ボクと家綱(アントンは一眠りすると引っ込んでいた)で交代しながら夜は警戒したけど、何かあるどころか視線も感じなかった。ボクらに気づいて向こうも警戒してるのかも知れないけど。

「でも一応気をつけた方が良いんじゃないかな。今まで大丈夫だったとしても、急に行動を起こすかも知れないし」

「いえ、学校では大丈夫ですから……」

「……いや、やっぱり送って行こう。仕事で来てんのに人ン家でぼーっとするわけにもいかねえしな。由乃、智香ちゃんを頼むぞ」

そんな家綱の言葉にボクがポカンと口を開けていると、家綱はバツが悪そうになんだよ、と顔をしかめる。

「ぼーっとするわけにもいかないって思うこと、家綱にもあるんだ……」

「うるせえ、依頼人の前でくらいかっこつけさせろってンだ」

「ごめんごめん、友枝さんのこと、よろしくね」

「ああ、智香ちゃんは頼むぜ」

ボクが頷いたのを確認すると、家綱は友枝さんを連れて学校へと向かった。

「学校行ったの?」

玄関で二人の背中を見送っていると、後ろから少し不安そうに智香ちゃんがボクのシャツを引っ張ってくる。ボクは屈んで智香ちゃんと視線を合わせて、智香ちゃんの頭をそっと右手でなでた。

「うん。だからボクと遊ぼっか?」

「……うん!」

「あれ、智香ちゃんはお休みかい?」

そんな会話をしていると、隣の家から顔を出した三井さんが声をかけてくる。どうやら玄関先で話してたから少し聞こえたのだろう。

「はい、ちょっと微熱があるみたいで」

「はは、なるほどね。後でお昼ごはんとか、持っていこうか? 薬はある?」

「いえ、大丈夫ですよ。今日はボクが家にいるので」

「そっか、助手さんなら頼もしいね」

そう言って笑う三井さんと適当に会話をしてから、ボクは智香ちゃんと一緒に家に戻った。


***


家綱が行って十分くらい経ってから、雉原さん家の固定電話が鳴る。出るかどうか迷ったけど、公衆電話からかかってきていたので多分家綱だろうと判断したボクは受話器を取った。

取る瞬間、ストーカーからの脅迫電話とかだったらどうしよう、と思ったものの聞こえてきたのは家綱の声だった。

「よう、そっちは無事か?」

「心配し過ぎだよ、何事もないよ。智香ちゃんなら、今は熱が下がってるから部屋でお絵かきしてる」

「ああ……ちょっと色々気になってな」

そう言って、家綱は大きくあくびをする。そういえばいつもなら家綱はまだ寝てる時間(起きてて欲しいけど)だし、昨日は交代で起きてたから眠いのも当然だ。ボクも眠い。

「気になるって、ストーカーのこと?」

「いや、それもあるが……」

少し言葉を濁したものの、すぐに家綱は電話の向こうで言葉を続ける。

「友枝さんは何で一度送迎を断ったんだろうな。俺と歩くのが恥ずかしいってんなら、まあ……なんだ……アレだが」

家綱と一緒に歩くのが恥ずかしいかどうかは置いといて、少し違和感があるのは確かだった。ボクと家綱はストーカー調査だけでなくボディガードも仕事の中に入っている。友枝さんがストーカーに狙われているんだとしたら、家を出て一人になる通学路は相当危険なハズだ。

「友枝さんは家の中でだけって言ってたよね……ほんとに外じゃ全然視線を感じないのかな」

返事の代わりに一度、電話機に十円玉を入れる音が聞こえてくる。なんでスマホすら持ってないんだろうね、ボクらは。

「行きながら少し話したが、通学路や学校の中じゃ全然感じないらしいぜ。買い物に出てる時はたまにあるらしいが……」

ということは本当に家の中にいる時だけ感じていることになる。でもそれは何だかストーカーとしては少し不自然な気がする。確かに家の外からジッと見てはいるのかも知れないけど、ストーキングはそんなにしていないような気がする。

「そもそも、ほんとに彼女はストーカー被害に遭ってんのか……?」

「でも友枝さんの能力は本物だと思うし、ボクとしては友枝さんが嘘吐いてるなんて思いたくないな……」

「悪い、言い方が悪かった。ストーカーが狙ってんのは本当に雉原友枝なのかって話だ」

一瞬、家綱の言っていることがわからなくてキョトンとした。でも考えてみれば確かに、ボクと家綱が前提から勘違いしている、ということもあり得る。

視線は本物だったけど、ストーカーの目的が友枝さんじゃないとしたら……? それなら、家の外で視線を感じないことにも説明がつく。

そこまで気づいて、ゾクリと背筋に怖気が走る。だったら、犯人の狙いは――

「……由乃、智香ちゃんは今どうしてる?」

「智香ちゃんなら上で――」

ボクが言いかけると同時に、二階から物音が聞こえてくる。それと同時に智香ちゃんのびっくりしたような声がここまで聞こえてきて、ボクは血相を変えた。

「――家綱!」

返事もないまま、勢い良く受話器を戻す音だけがする。ボクもすぐに、二階の智香ちゃんの部屋へと向かった。


***


「智香ちゃん!」

すぐに智香ちゃんの部屋のドアを開けようとしたけど、何か向こうで重たいものが支えていてビクともしない。さっき聞こえた物音は、中で棚か机を動かす音だったのだろう。

「智香ちゃん! 智香ちゃん!」

「由乃さんー?」

何度も名前を呼んでいると、普段と変わらないのんびりした声音で智香ちゃんの声が返ってくる。

「大丈夫!? 何があったの!?」

「あのね! 三井さんが遊びに来てくれたの!」

「三井さん……?」

ボクが訝しげな表情でそう言うと、ドアの向こうからククッと男の笑い声が聞こえた。智香ちゃんの言葉を信じるのなら三井さんの声なんだろうけど、玄関先で話した時の印象からは程遠い、不愉快な笑い声だった。

「そうだ、俺と智香ちゃんはここでずーっと遊ぶんだ……」

「なんだよそれ! 意味がわからな――――」

どろりとした視線が、ドアの隙間から流れ込んできた。一度地面に滴ってから、ズボンの隙間から這い上がってくるような視線がボクの動きを止める。てらてらした粘液のような錯覚を伴い、三井さんの視線はボクを舐め回す。

「お前が……ストーカーだったのか……!」

長い舌に絡め取られているみたいに。ボクはその場で数瞬固まってしまった。

もしかして友枝さんは、いつもこの視線を感じ取ってたの……?

「まず」

勿体ぶった調子で、三井が口を開く。

「前提から間違っているよなァ……良いか、俺はそもそもストーカーじゃあない」

「な、何言ってんだよ! 明らかにストーカーじゃ――」

ドアの隙間から見ている三井に何とか目を向けてそう反論しかけると、三井の口からずるりと濡れた舌が這い出してくる。その突然の奇行に、ボクは思わず後退った。

「俺はスーパーヒーローだ。愛しい智香ちゃんが危険な目に遭わないよう、見守り続ける愛と正義の使者なんだよォ……! わかるか? わからない? 馬鹿なのかァ……!?」

舌が、ドアの隙間を這い回る。ぬるぬるした唾液が、ドアを伝って床を汚していく。

「アッ! こりぇ、智香ちゃんの触ったドアでは~~~~!? キレイにキレイにしッキレ、ロッ、キレロレロレロレロレロレロレロ」

ドアを舐め回すその悍ましい光景に、ボクは言葉を失っていた。あまりにも常人の思考から逸脱したその行為に理解が追いつかない。糾弾する力さえ、今のボクにはなかった。

「三井さんどうしたの? 何してるの? ねえどうしてドア塞いじゃうの?」

怯えるばかりだったボクの耳に、ふと智香ちゃんの不安そうな声が届く。状況をよくわかっていなかったし、視線もあまり気にしていなかった智香ちゃんだったけど、今この状況が異常なことくらいはわかって当然だ。ねえ、と繰り返す声がどんどん泣きそうになる。三井は完全にトリップしているのか、ドアの隙間から未だにドアを舐め続けている。

「あー……クソ!」

あの時もう、怖がらないって、なんとかするって決めたじゃないか。ボクがいるのに、智香ちゃんにこんな思いさせてたんじゃ申し訳が立たない。家綱(アイツ)は、ボクにまかせてくれたんだぞ!

「や、めろ……」

ゆらりと立ち上がって、ボクは三井を睨みつける。そして人差し指を、思い切りドアの隙間に突き出した。

「智香ちゃんが怖がってるだろ!」

舐めるのに夢中だったのか、それとも怯えているボクを歯牙にもかけていなかったのか、三井の目にボクの人差し指が直撃する。

「アアアアッギエッ……アエェェェェァァァァアア!」

緊張したまま思い切った行動に出たせいか、ボクの呼吸は荒い。達成感に浸る間もなく、これからどうするべきか考え込んでいると、ボクの肩にポンと大きな手が置かれた。

「ナイスファイトデス、由乃サン」

「アントン!」

いつの間にかアントンに交代してるけど、どうやら家綱が来るまでの時間稼ぎは出来たみたいだった。アントンも、多分家綱のときから全力疾走だったのか少し息が荒い。

「後ハ私ノ仕事デス。由乃サンモ、智香チャンモ、ドアカラ離レテ!」

そう言ってアントンがグッと握りしめた拳を引く。左肩から右拳までの逞しくかつ滑らかなラインは、さながらたわんだ弓だ。それを見て、ボクはすぐにアントンの次の行動を理解した。

「智香ちゃん! 離れて!」

ドアの向こうで智香ちゃんの返事が聞こえて、バタバタと走る音がする。それを智香ちゃんがドアから離れた証拠だと取ったのか、アントンは岩石のような拳を思い切りドアへ突き出した。

「伏セテクダサイッ!」

次の瞬間、視界が木屑でいっぱいになった。アントンの筋骨隆々な身体から繰り出される拳が、ドアごと後ろの棚やら何やらまで破壊したのだ。

家綱の人格には、一人一人固有の特技がある。それは葛葉さんで言うところのパイロキネシスみたいな超能力だったりするんだけど、アントンのソレは怪力だ。並の人間では考えられないようなパワーで、アントンは目の前の障害を粉砕する。

「は……ハァ!?」

ベタリと尻餅を付き、三井は目を抑えながらアントンを唖然とした表情で見つめている。そんな三井を、アントンはボクが今までに見たこともないような形相で睨みつけていた。

普段穏やかなアントンからは想像もできないような鬼の形相で、アントンは三井を睨みつける。さっきまで視線や舌でボクを怯えさせていた時とはまるで立場が逆だ。今視線に怯えているのは、三井の方だ。

「アナタ……」

チラリとだけ智香ちゃんに視線を向けた後、すぐにアントンは三井へ視線を戻す。

智香ちゃんは、もう泣き出してしまっていた。それがアントンのパワーや形相におびえていたのか、三井だけのせいなのか、状況の変化についていけずにキャパシティオーバーした結果なのかはわからないけど。

「智香チャン泣イテマス」

「な、何を……」

「泣イテマス」

木片を踏み潰す音と共に、アントンが三井へ歩み寄り、その胸ぐらを掴む。

「泣イテマス! 子供ガ! 泣イテマス! 誰ノセイダカワカリマスカ!?」

その双眸は地獄の業火と言っても良い。燃え盛るような憤怒の瞳は、近くで見ているボクでも竦んでしまう。正面から見られている三井なんてきっとたまったものじゃない。

「アナタデス……アナタガ智香チャンヲ泣カセタンデス!」

「あ、ひ……ひひぃ……」

三井が声にならない悲鳴を上げる。ひとまずこれで片付いたかな、とボクが思った――その瞬間だった。

三井はアントンを蹴り飛ばしてその手から逃れると、一瞬でその場から掻き消えてしまう。

「え……っ!?」

ボクもアントンも、智香ちゃんでさえも消えた三井をキョロキョロと捜し始める。もしこれが三井自身の能力なのだとすれば、今まで警察やボク達が三井を見つけ出すことが出来なかったことにも説明がつく。

てっきり何か言ってくるかと思ったけど、頭は回っているのか三井は一言も発さない。声を頼りに見つけることも出来ないなら、このまま逃げられてしまいかねない。

「大丈夫デス、必ズヤッツケマス……必ズ」

静かにそう言った後、アントンは思いっきり拳を振り上げ――

「マタ伏セテクダサイッ!」

そう言いながら滅茶苦茶に振り回した。それも歩きながら部屋全体にめがけて。

「ゲッパァッ……!」

そして鈍い音と悲鳴。アントンに殴り飛ばされた三井が、その姿を表しながら壁に叩きつけられた。

「おま……めちゃ、くちゃ……」

「当タルマデ振リ回ス。コレガ最適解デス」

うわ、すげえ力業。

「おま、え……何なんだよ……ッ!?」

「――――イギリス系デス!」

いや、全く答えになってないです。


***


その後、三井秀太朗は当然逮捕された。家宅捜査の結果、三井の部屋の中から智香ちゃんを盗撮した写真や、智香ちゃんが使用した後のものであろう物品(恐らくゴミの中から盗まれたもの)等がいくつか発見された。祖母と二人暮らしだったみたいだけど、祖母の方は三井を信用し切っていたのか、事件が発覚した時ひどくショックを受けていた。

三井がああして家に忍び込んだのは、何も今回に限った話じゃなかったらしい、智香ちゃんの話によれば、友枝さんには内緒だ、という約束で何度か智香ちゃんと遊んでいたようだった。そしてなんと、三井はバイトで貯金をしてあのまま智香ちゃんを連れ去る計画を立てていたらしいのだ。丁度お金が貯まった頃合いでボクらが来てしまって、焦ってあんな行動に出てしまった……というのが今回の事件の全貌だ。

意外だったのは智香ちゃんの反応だ。警察に連れて行かれる三井を見て、智香ちゃんも何となく三井が悪いことをしたんだ、と理解したようだったけど、三井に向けた視線はどこか寂しそうだった。

「ごめんなさいしたら、また遊んでね」

小さな声で言った智香ちゃんを見て、その場でわんわん泣き始めてしまう三井を見て、ボクはたまらなくなって目をそらす。

「……彼ハ間違エタダケデス。智香チャンガ好キナ気持チ、私トソンナニ変ワリマセン」

「罪を償って戻って来たら……今度は、間違えないと良いね」

「ハイ! 私ノオ仕置キパンチ受ケタ人、必ズ反省シマース!」

……まあ、あの怪力で殴られたらね。


***


事件解決から二日後、友枝さんと智香ちゃんはボクと家綱に改めて礼を言うためにもう一度事務所を訪れていた。初めて会った時よりも友枝さんは随分と顔色が良く、ストレスから解放されたんだろうな、と察することが出来る。あの後、事件の話を聞いたご両親はすぐに家に戻って来たみたいで、うちにも連絡が来て何度もお礼を言われたし、報酬金の入金はその翌日だった。そしてこれからはもう、家を空けないようにするみたい。

「本当に……ありがとうございました」

事務所を出る前にもう一度だけ丁寧にお辞儀をして、友枝さんは事務所を出て行く。ボクと家綱は、その背中に手を振りながら見送った。

「ホント……良かったね」

「ん、ああ」

家綱は小さく頷くと、ダルそうにデスクへうつぶせになった――その瞬間、事務所のドアが開かれる。

「っと」

すぐに家綱は身体を起こし、ドアの方へ視線を向ける。そこにいたのは、先程友枝さんと一緒に帰ったハズの智香ちゃんだった。

「どうした?」

「えっとね……ありがと、たよれる探偵さん! アントンにもよろしくね! それと……」

言いながら、智香ちゃんはバッグの中から丸められた画用紙を取り出すと、それを家綱の方へ差し出す。それを家綱が受け取ったのを見ると、智香ちゃんは少し恥ずかしそうに顔を背ける。

「それね、お礼!」

「おう、ありがとな」

家綱がそう答えて画用紙を開こうとすると、智香ちゃんは恥ずかしかったのか慌てて事務所を出て行ってしまう。そんな背中をしばらく見つめた後、家綱はゆっくりと画用紙を開き始めた。

「あ、見せて見せて」

その絵は、ボクとアントンが来た日の夜に描いたものだった。友枝さんと智香ちゃん、そしてアントンとボク……その横には、家綱らしき人物が描き足されている。よく見ると、描き足されていたのは、家綱だけではなかった。友枝さんと智香ちゃんの傍に、一組の男女が描かれている。きっと、ご両親だ。よく見ると、端っこに三井らしき人物も描かれている。

「……良かったね、頼れる探偵さん」

「……おう」

満足げに笑みを浮かべると、家綱はデスクからセロテープを取り出して立ち上がると、近くの壁に智香ちゃんの絵をセロテープで貼り付ける。

「こんなモンでどうだ?」

「とりあえずは良いけど……今度額縁でも買う?」

冗談めかしてボクがそう言うと、家綱は小さく笑みをこぼした。

「……ああ、その内な」


七重探偵事務所に、一枚の絵が飾られる。少し殺風景だった事務所が、優しい絵で彩られた。


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