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解雇通知は、紙一枚だった。
加瀬はそれを受け取ったとき、思ったより動揺しなかった。
理由は明確だった。
業績悪化。
部署統合。
人員整理。
どれも、嘘ではない。
「今回は、あなたで」
上司は申し訳なさそうな顔をしていたが、
言葉は淡々としていた。
加瀬は頷いた。
引き留める理由も、怒鳴る理由も、見つからなかった。
要らなくなった。
それだけだ。
帰り道、スーツのポケットに入れた紙が、
歩くたびに少しだけ擦れた。
家に帰ると、
使わなくなった鞄や書類が、棚の奥に残っていることに気づいた。
まだ使える。
でも、使っていない。
自分と同じだと思った。
翌日から、時間が増えた。
朝は同じ時間に起きたが、
行き先がないだけで、街の音が違って聞こえた。
「必要とされなくなると、人は空っぽになる」
誰かが言っていた言葉を思い出した。
でも、加瀬の中は空っぽではなかった。
静かだった。
欲しい、と思う前に、
要らない、という事実が先にあった。
再就職先は、紹介だった。
規模は小さく、給料も下がった。
それでも、断る理由はなかった。
そこで、彼は一人の若い社員と再会した。
かつて自分の部下だった男だった。
「あ……」
相手は一瞬、言葉に詰まった。
自分が切られ、相手が残った。
その記憶が、二人の間にそのまま残っていた。
「久しぶり」
加瀬は、そう言った。
それ以上でも、それ以下でもない。
仕事中、機械のトラブルが起きた。
現場は少し混乱した。
若い社員が、手順を間違えていた。
「違う」
加瀬は短く言った。
「そっちじゃない」
声は穏やかだった。
責める調子はなかった。
彼は、黙って修正した。
休憩時間、二人で缶コーヒーを飲んだ。
「……あのとき」
若い社員が口を開いた。
「俺が残って、すみませんでした」
加瀬は首を振った。
「謝ることじゃない」
「でも……」
「生き残ったんだろ」
その言い方に、感情はなかった。
肯定も、否定もない。
「俺は、要らなくなっただけだ」
若い社員は、何か言いかけて、やめた。
「……恨んでませんか」
加瀬は少し考えた。
「恨むほど、欲しがってなかった」
それは、嘘ではなかった。
夜、帰宅途中で、
かつて通っていたオフィスビルの前を通った。
灯りはついている。
中では誰かが働いている。
加瀬は立ち止まらなかった。
要らない場所になった。
それだけのことだ。
家に帰り、
古い社員証を引き出しから取り出した。
プラスチックは、まだきれいだった。
彼はそれを、処分箱に入れた。
迷いはなかった。
要らない、と決めるのは、
終わったことを認める行為だ。
そして、終わったものは、
もう奪ってこない。
眠る前、加瀬は思った。
必要じゃなくなっても、
生きること自体は、否定も肯定もされない。
それが、少しだけ楽だった。