この作品はいかがでしたか?
0
この作品はいかがでしたか?
0
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「ぷうぎ」とは最近はやりのマンガで、山を崩して谷を埋め、どんな場所でも平らにしてしまう、ぎょろっとした目に低い鼻、タラコくちびるの怪獣だ。ぷうぎが通過した後、交通の便がよくなったと喜ぶ人がいる一方で、昔の風情が台無しになったと文句を言う人も結構いたりする。そういった意味で、まさに有難迷惑な存在だ。
怪物が去ったあとの村社会はがらっと変わる。中腹の集落の人は、先祖代々見下してきた谷底の部落が自分達と同じ高さになって、戸惑っている。谷の人と道端で顔を合わせるたびに悩ましい表情をしたあと、「あこれはどうもどうも今日はお天気いいですねお出かけですか」と、結局改まった挨拶をしている。見上げ崇めていた山の上の社も、平地にくればただの古びた廃屋になる。以前は険しい山の参道を、汗をかきかき供え物を担いで登り、何度も深々とおじぎをしてから帰ってきたものだが、今は道に張り出した鳥居にすら気づかず素通りしていく。違和感や葛藤はしばらく続くのだが、人はだんだんと平らな風景に慣れていく。
さらに、いったんその起伏のない景色が基準になると、今度は元の風情は徐々に忘れられ、古代の無用物になる。その殺風景な平野では、人やモノは山や谷を昇り降りすることなく、平面上のスライドとなる。動線や工程は短くなり、作業は合理化され、時間あたりの処理速度は上がり、つまり産業効率はアップし、モノは豊かになり、生活はますます便利になっていく。一方で毎日は忙しくなり、人の方が村のペースに合わせなければ生きていけなくなり、社会的落伍者が生まれ、貧富の差が拡大し、貧を恐れた労働者の中から過労死する者も出てくる。
こうして、見える風景は平らになりゆく一方で、差の方はつぎつぎと見えない所へと追いやられていく。最初の頃の登場人物の姿は、先のマンガとあまり変わらない。Tシャツに半ズボンで飛び回る子供、スーツにネクタイの男性、ドレイプの入ったスカート姿の女性達だ。長く続いた短髪ブームの影響で、男女とも耳が出ている。ただ、お婆さんは決まって髪が長い。この頃は村の会議に子供が登場することはないし(高齢化の影響で自然と老人の数が多いこともあるが)、したがって子供はただ大人のあとをついてまわる付属物に見える。
ところが十巻目くらいになると、子供も村落会議に参加していて、大人が子供の意見まで聞くことがある。そして、徐々にだが大人達は子供の意見に「そういう考えもあるのか、へぇ~」と、腕を組む場面が出てくる。
二十巻目くらいになると、子供の中にもスーツとネクタイ姿がちらほら混じりはじめ、逆に大人たちは仕事先でもノーネクタイで通す者が多くなる。長髪ブームの影響で、髪の長さは男女ともに長い。背中や胸元まで伸びている人も珍しくはない。短髪はお爺さんのみだ(彼らはもう少し若かった頃、きっと短髪ブームの先端にいたに違いない)。
そして子供の意見を、大人達は自分達と同等のものとして聞くようになる。例えば家の前の谷が埋まったことで、元の向こう岸にピクニックを企画した夫婦がいた。ところが子供の思わぬ反対にあい、その休日はいつものようにふてくされて家でテレビを見て過ごすこととなる(実際は、三歳の子供は反対していたわけでなく、夫婦の話がよくわからなかっただけだ。彼らはピクニックの話よりも、反対票を投じる権利、そこから生じる義務の話ばかりしていた)。
そこへ、自己中心的な子供達が登場しはじめる。いわゆる「キッズジェネレーション」の時代だ。例えば二十二巻のある話では、村の共同墓地を取り壊して昆虫採集場にするといってきかない一人の高校生が、村落会議を独占している。そのときの大人達の、苦渋に歪む表情が映し出される場面は、マニアの間では名シーンとして名高い。
二十五巻になると「授業拒否」が話題になり、その波が低年齢化した二十九巻では、授業に出ず校庭で遊んでばかりいる「授業拒否児童」が話題になる。学校側が事態の収拾に動くと、「授業に出るか出ないかを決める権利は子供にある」といってわが子をかばう親が続々登場し、機能不全な学校が現れた社会問題を、ぷうぎでも扱ったというわけだ。この頃のぷうぎはもはや、山や谷を埋める怪物というよりは(もちろんそれはストーリーのお決まりの骨組みではあるけれども)、人の権利を平らにして、変化に戸惑う人間達をせせら笑う怪物のようだ。
三十五巻が出たのはこの国の識字率が世界平均を下回りはじめた頃で、テーマも学習格差が多かった。世の公立中学・高校の閉校があいつぎ、公立が幅を利かせているのは小学校だけとなりはじめた頃でもある。その小学校でも、授業の場面は塾の補習と相場は決まっている。塾の宿題を学校の先生が苦労して解き、子供達が無機質にノートに写す。塾の勉強が忙しいからと学校をたびたび休む生徒の親を、「ちょろっとでも構わないから学校にも顔を出させて下さいよぉ」と説得する校長も登場する。
三十八巻になると、残された公立中学は読み書きができない授業放棄生のたまり場であり、授業態度の悪いとされた子を保護する問題児観察施設であり、それはかつてこの国の公教育があらかた機能していた頃を、遠い昔話にしている。
小学校は成績や授業態度の悪い生徒を公立中学へ振り落とすが、四十巻頃その割合が下位定率一割となってから、この国にも競争原理が復活した。大人達は「勉強しろ、さもないと」という魔法の言葉を握ったことにより、小学生への支配権を取り返した。
ちなみに、先週出たばかりのぷうぎ四十二巻は子供の国会議員が生まれる話だが、それも、何年か後には笑い話になっていないかもしれない。
居間ではまだつばぜり合いが続いている。健太はぷうぎを開いたまま、机につっぷして寝てしまった。