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諸事情で今回72話73話と続けて更新致しました。^^
73 ◇お願いごと
私が応接室に入ると、お茶を前に椅子に座っていた哲司さんが
私の姿を見て立ち上がった。
珠代ちゃんがすでに誰かに声掛けをして哲司さんにお茶出ししてくれていた
のだと知り、私の胸に気の効くやさしい心根の義妹のことを愛おしく思う気持ちがこみ上げてきた。
「こんにちは」
私は彼に挨拶をしつつ、椅子に腰掛けた。
すると彼も私に合わせるように再び座った。
「忙しいところをすまないね。
もう二度と顔出しなんてしちゃあいけなかったんだけど、そうもいかない
事情ができてね。それでこうして来させてもらった」
「事情って何ですか?」
「僕の幼馴染が嫁ぎ先から返されて、生活に困窮しているようなんだ。
それで何か彼女のためにできないかと考えていたら君の顔が浮かんだ。
今すぐでなくてもいいんだ。工場で工員でもいいし、下働きでもいいので
空きができたら、紹介してもらえないだろうか……と思って」
哲司は元妻に話している間にどんどん言葉に詰まりそうになった。
これまで温子との会話でこんな心持ちになったことはない。
だから、どうしてなのだと内心焦った。
なので、言いたかったことをなんとか最低限言い終えた時の疲労困憊
は半端なかった。
目の前の温子が視線を逸らすのが見えた。
その様子を視線で追っていたら彼女の視線が自分に戻り、断りの
文言が紡ぎ出された。
「哲司さん、私は雇用主ではないのでそれは難しいわ。
お役に立てなくてごめんなさい」
温子の言葉には迷いは一切なく、よどみなく伝えられた。
社長の夫に訊いてもくれないなんて――― 哲司はガックリきた。
例え結果的に駄目であっても、温子なら……自分の知っている温子なら
自分の旦那に訊くくらいはしてくれるだろうと考えていたから。
「そっか、そうだよね。ははっ、しようがないね。
忙しいところをお邪魔して悪かったね」
「お役に立てなくて……何て言ったらいいか。
あぁ、そうだ。もしも求人が出たらその人に連絡しましょうか?
採用の確約はできないけど、一応名前と連絡先を書いておいてもらえれば」
「ああ、それで十分だよ。助かる」
その言葉を受けて、温子は哲司に鉛筆と紙を手渡した。
――――― シナリオ風 ―――――
◇応接室での再会
〇製糸工場/応接室
昼下がり。
テーブルの上には湯気の立つ茶碗
哲司、緊張した面持ちで座っている。
温子が入ってくると、彼は慌てて立ち上がる。
温子(柔らかく挨拶しながら椅子に腰を下ろす)「こんにちは」
哲司もぎこちなく座り直す)
哲司(声を低めて)「忙しいところをすまないね。
もう二度と顔を出すべきじゃなかったんだが……そうもいかない事情が
できてね」
温子(静かに)「事情、とは?」
哲司(息を吸い込み、言葉を絞り出す)
「……僕の幼馴染が、嫁ぎ先から返されて、困窮している。
彼女のために、何かできないかと考えたとき……君の顔が浮かんだ。
今すぐでなくてもいい。
工員でも、下働きでも……もし空きができたら、紹介してもらえないだろう
か」
しだいに言葉が詰まり、哲司の声はかすれる。
手は膝の上で強く握られている。
応接室の2人の間に静寂が流れる。
温子、一瞬だけ視線を逸らすが、すぐに哲司を見返す。
温子(淡々と、よどみなく)
「哲司さん、私は雇用主ではありません。ですから……難しいわ。
お役に立てなくて、ごめんなさい」
哲司の顔が沈む。
哲司(N)「せめて夫に掛け合ってくれるのでは? と思っていた期待が
砕かれる」
哲司(力なく笑いながら)
「そっか……そうだよね。ははっ……忙しいところを邪魔したね。」
温子、少しだけためらいを見せ、それから言葉を継ぐ。
温子「……もし求人が出たら、その方にご連絡しましょうか。
採用を確約はできないけれど……。
名前と住所を、書いておいてもらえれば―――」