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広大な森を北に抜ける前に、故郷の村の側を通った。
野盗どもの根城から北西に位置する村で、そこそこ離れていた。殺された日は薬草を探すためとはいえ、かなり奥に入っていたようだ。
ラゼ村での生活が懐かしい。
戻って暮らしたいかと言われれば、後ろ髪を引かれるくらいには迷うだろう。
のどかで良い村だった。
皆で助け合って、豊かではないが平穏に暮らしていた。皆、大人になっても年に一度の小さな収穫祭を楽しみに、苦労を苦労と思わずに過ごしていた。
「ラースウェイト……戻りたい、ですか?」
「あぁ……いや、すまない、リグレザ。速度が落ちていたな」
「少し、見て行きますか?」
森での狩猟や野草狩りを仕事にしていた俺は、秋と冬が一番忙しかった。冬を越すために、なるべく皆の分の薪になるものを持ち帰り、蓄えのための狩りは普段の倍は必要だった。真冬は飢えた魔物の討伐と、渡り鳥なんかを探す。
魔物に臆することなく自由に森に立ち入れるのが、俺を含めた数人だけだったからだ。特に、一人で問題なく行き来出来る俺は、皆の期待も大きかったから。
今思えば、雪の少ない地域だからあの暮らしが出来ていたんだろう。気候にも恵まれた、良い村だった。
「皆がどうしているのか、気になっただけだよ。そう思うと、独り身で良かったな。家族が居たんじゃ、死んでも死にきれなかったかもなぁ」
「旦那さま……わたしのせいで、ごめんなさい」
しまった。言い方が悪かったか。
「すまん、謝ってくれるなよ。スティアのせいじゃないし、今はこの新しい生き方を楽しいと感じている。お前はどうだ?」
――ああ。
懐かしさと感傷に浸ってしまったせいか、話し方が生前の優男のものに戻りかけているな……。
「わ、わたしは……旦那さまと一緒に居られるだけで、うれしいから……。でも、わたしだけよろこんで、ごめんなさい」
「スティア……あの時一番後悔したのは、お前を救い出してやれなかった事だ。そのお前が、今を喜んでくれてるなら俺も救われた思いだよ」
「えへへ……。旦那さま、今夜の心づもりはできているので……召し上がってくださいね?」
「うん? どういう意味……ってオイ! 子どもがそういうことを言うんじゃない」
「子どもじゃないですよぉ。十四才だったし、今はもう十五才かもですし?」
自分の正確な年も分からないのか……。
生まれから辛い境遇だったのかもしれないな。
「どっちにしても子どもだ」
「むぅぅ……」
「ラースウェイト。スティア。もうすぐ森を抜けますよ」
この流れを切ってくれるか。たまには役に立つじゃないか、リグレザ。
「そうか。飛べるというのは、素晴らしいな。何の苦も無く森を抜けられる」
森を出るのは初めてだな。というか、ラゼ村から出たことがなかった。
「わぁ、あの道は何? どこに続いてるの?」
スティアの言うように、森をなぞる街道が見えた。
東の草原から回ってきた道は、ゆるやかなカーブを描きながら北の草原へと伸びている。
「あれは、最前線と呼ばれた町に続いているのでしょうね」
聞いたことがある。
魔王城のある山脈を見据えた、人が住めるギリギリ北端の城砦町。
そこに住めるのは、一端(いっぱし)の強さを誇る者だけだという。
確か、王国の直轄ではなくて、自治を認められたか、認めさせたという町。
「どんな町か、着いたら覗いてみるか」
「わたしも見てみたいです!」
「いや待て、あれは……人が襲われているのか?」
街道の真ん中で、遠目に馬車が走っているのかと思っていたそれは、立ち往生している上に魔物と交戦しているらしかった。
「ほんとだ。助けてあげなきゃですね。あ、わたし戦えます!」
「なにっ? と、とにかく急ごう」
徐々にはっきりと見えてきた魔物は、巨大なトカゲだった。
岩のような肌を持ち、草原で岩に擬態するそれは、ロックリザード、という呼び名だったと思う。
初めて見るロックリザードは想像よりも大きく、生前に聞いた話よりも、遥かに恐ろしく見えた。
以前の俺なら、戦うよりも逃げたかもしれないな……。
まだ距離があるためにそんなことを考えていると、サッと俺を追い抜く影が見えた。
「旦那さま、わたしが行きます!」
「あ、こら勝手に! ――あいつめ! ホーリーシールド!」
止める間もなく突っ込んで行ったスティアに、盾の加護を与えるしか間が無かった。
初めて見る大物に、見惚れていた俺も良くなかったが。
「光よ! 流星の……剣(つるぎ)!」
「うん? この距離からか」
スティアがそう叫ぶと、光が、まるで鋭い剣のような形を帯びて十数個も降り注いだ。
それらは本当の流星のように、きらきらと中空からロックリザードを貫いていく。
――ぐぎゃあああああ!
魔物は図体だけではなくて断末魔まで大きく、ここまではっきりと届いた。
あれには突然出会っても、倒しても、普通なら二度飛び上がることだろう。
「ねぇねぇ、どうでしたか? わたし、けっこう凄くないです?」
魔物まで、まだ五十メートル以上はあっただろうに攻撃を届かせ、あっさりと絶命させた力は物語の英雄のようだと思った。
「ああ、ほんとにな。驚いたよ。俺より強いんじゃないか?」
「えへへ~。でも、旦那さまの方が断然強いですよ」
「うん? なぜわかる?」
「あれ? 知らないんですか? わたしとは霊格が違うので――」
「ラースウェイト。あの方々、どうします? パニックから抜け出せていませんね」
今の話はぶった切って欲しくなかったぞ、リグレザ。
しかし、襲われていた彼ら――彼女たちの前まで来ると、そうも言っていられない状況だった。
馬はロックリザードに首を食い切られており、荷馬車本体も車輪が壊され、もう走らせることは出来ない。
護衛か、それとも夫婦だったのか、男が三人……無残に死んでいる。
そして、彼らにそれぞれすがるように泣き崩れている若い女性が、三人。
「そうだな……何か力になってやりたいが。とはいえ、俺達が見えるわけでもないだろうしな……」
荷馬車の中を覗いてみたが、天幕の中はしっかり固定された片面満載の荷物と、イス代わりにしていただろう荷物のクッションしかなかった。
「他に人は居ないか……どうしたものかな」
男手も無いが、小さな子どもが居ないだけ、まだマシだなと考えてしまった。
しかし、彼女たちに話しかけたところで、霊体である俺たちの声は誰の耳にも届かない。
「置いてっちゃうの?」
「そうするしかなさそうだが……このままにしておくと、今度は他の魔物に襲われそうだしなぁ」
野犬タイプの魔物は、森にも草原にも、というかどこにでも居る。
犠牲になった彼らの血の匂いにつられ、どこからともなくやってくるだろう。
「わたし、話しかけてみます」
「……あぁ、うん」
他に何の案も浮かばず、かと言って、無意味だろうと思いながらの生返事をした。
「もしも~し。聞こえますか~? 可哀想だけど、がんばって町に移動した方がいいですよ~?」
……あの勇者一行の聖女みたいに、俺たちの存在を感じられる人が居るといいんだがな。
この体は便利だと思っていたが、人に関わろうとした瞬間に、最悪なほど不便極まりないのだと気付かされた。
よく考えれば、もっと前に理解出来ていたはずだが。戦闘や移動しかしていなかったから失念していた。
「もしもぉぉぉし! 聞こえませんかぁぁぁ!」
「――え? 今、ニナが言ったの?」
「……なにも言ってないわ……」
「じゃ、セリーナ?」
「私も、何も」
――まさか、一人はスティアの声が聞こえるのか。
「旦那さま! 聞こえたんじゃないです? 今の!」
「ああ。もう一度何か話してみろ」
「あの~! みなさん! がんばって、町に移動してくださ~い!」
その声は、やはりその一人には聞こえたらしい。
「……みなさん? がんばって、町に移動……?」
「リエラ……そんな、すぐにはそんな気に……なれないわよ」
おそらくは旦那だろう人の、残った方の手を握りしめたまま、彼女はそう言った。
目は昏く、生気もない。
生きる希望を失い、立つことさえままならない。そういう状態だろう。
「……そうよね。でも……この声は、きっと神様に違いないわ! だって見たでしょう? ロックリザードが突然、降って来た光に貫かれたのを! 助けてくださったのは、きっとこの声の主様、神様なのよ!」
「神様なら……どうして。どうして夫が死ぬ前に、助けてくださらなかったの」
「それは……」
――神様ではないし、神様は細かく見てくれてるわけじゃないらしいからな。
しかし、このままでは埒が明かない。
「スティア。急ぐわけじゃないとはいえ、ここで足止めされるのも面倒だ。一応、俺が辺りを浄化して魔物が来ないようにしておくから、先に進もう」
ホーリーサークルを施しておけばその間だけでも、魔物からの襲撃は無いだろう。運が良ければ、効果が切れる前に他の旅人や商人が通るかもしれない。
「ラースウェイト……あなたって結構、薄情なのね。助けるのかと思っていました」
「仕方が無いだろう。直接手を差し伸べることが出来ないんだ。――ゴホン。辛くても状況で切り替えることは必要だ。それが出来ない人間なら、いつまでも関わっているとこっちが疲弊するだろ」
「サイコパス・ラースウェイト……」
「良心はあるだろーが。誰がサイコパスだ。逆さタマゴのくせに」
「またタマゴって言いった!」
……案外気にしているんだな。
「あっ、あの! もう一回だけ話してみますね!」
「あ、ああ。頼む」
この三人の良心は、スティアかもしれないな。健気で優しい子だ。
「お姉さんたち。がんばって、町に行こう? でないとここは危ないから」
一番可能性のありそうな、リエラと呼ばれた人の耳元でスティアは言った。
その声には、今だけでも強くあれという、心を後押しする力と想いを感じた。
「がんばって……町に……。はい。そうします神様」
リエラは、そう答えた。
「聞こえるものなんだな」
「聞こえました!」
「はい……。き、聞こえました!」
もしかすると、意外と俺たちを知覚出来る人間は居るのか。
町で検証してみたいところだ。
「なら、貴重品と水と食料だ。持てるだけ持って移動するんだ」
…………反応がないな。
しかしリエラは、次の言葉が続くと思っているのか、目を閉じてじっとしている。
「俺の声は聞こえないのか? スティア、同じことを伝えてくれ」
「はい。――お姉さん。貴重品と、お水と食料。持てるだけ持って行こうね」
「貴重品と……お水、食料……持てるだけ、ですね。分かりました! すぐに準備いたします!」
かなり、はっきりと聞こえている。
「この人たちの案内はスティアの仕事だな。というか、お前しか指示出来ないからな。頼んだぜ女神様?」
「めっ、女神様だなんて。もう、旦那さまってば……」
このやり取りも聞こえてしまったらしく、リエラには勘違いをさせてしまった。
「ああ、やはり女神様なのですね。ありがとうございます。助けて頂いた事、心より感謝申し上げます。この命を無駄にせぬよう、今はともかく、町へと向かいます。……さぁ二人とも。立ちましょう。後で……後で必ず迎えにきましょう。ね?」
この人は、本当に強い人だな。
スティアの声があったとはいえ、すぐに立ち上がってくれた。
こういう人は、なるべく最後まで護ってやりたいと思ってしまう……。
もちろん限度はあるし、この人は町までだが。
「旦那さまぁ。わたし、女神様だなんて勘違いされちゃいました……」
「うん? いいじゃないか別に。その方が今は都合がいい」
「悪い人ですね。ラースウェイトは」
「何とでも言え。とにかくまぁ、辺りは浄化しておくさ。――ホーリーサークル」
これでしばらく、魔物は気にしなくてもいいだろう。
「相変わらず、サラッと無詠唱で、とんでもない範囲にかけますね」
「やっぱり旦那さまはすごいです!」
「……基準がよくわからねーんだよ。だが、褒めるならもっと褒めてくれ」
「もう褒めませんよ……」
「旦那さまはほんとにすごいです~!」
両極端だな、二人は……。