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翌朝、真衣香は総務部の上司である杉田課長と共に、一階にあるミーティングルームへと向かっていた。
普段は営業部の人たちしか利用しない、真衣香は朝の掃除でしか入ったことのない場所だ。
「課長、朝からすみません」
真衣香は隣にいる杉田へ頭を下げた。
「いやいや構わんよ。 昨日は僕がいなかったから、何もしてやれんで悪かったね。 電話に気付いたのも遅くて」
杉田は、基本的に穏やかな男性だ。
真衣香にとっては自身の父親と歳も変わらない。だからだろうか。
身近に感じ、安心することができる存在だ。
しかし、その安心感では拭いきれないほど……これから対面する人物が恐ろしい。
杉田も、真衣香も、互いに。
「しかし気が滅入るねえ。 君も無理をしなくてもよかったんだよ」
「い、いえ。 そんなわけには」
ポツポツと会話を交わしながら、やがてたどり着いてしまったミーティングルームを前に真衣香は深呼吸して控えめにノックをした。
(結局、課長にまで迷惑かけちゃってる……)
昨日、何とか自分で出来ることがないかともう一度営業部に足を運んだが始業時間後は小野原や森野も含め、全体的に忙しなく相手にはされなかった。
坪井に念の為連絡をしようとも思ったのだが『迷惑になってるでしょ』と言った小野原の表情と言葉を思い出し、スマホの画面に触れていた指は止まったまま動かなかった。
小野原や、営業部の誰かが既に連絡をとっているだろうと思ったから……と自分には言い聞かせた真衣香だが。
(ほんとは、怖かったんだよね。 私、最低)
それを伝えてしまった時の、坪井の反応を想像するといえなかった。
ついでに言えば、小野原のことも少し聞きたいと言う欲さえあった。 それが更に怖かった。
そんな自分のことばかりの真衣香を杉田は心配し、上だけで話をつけるよとも言ってくれたのだ。
冷たい言葉や扱いを思い出すと、このまま杉田に任せて、自分はぬくぬくと待っておきたいと。
ついそんな考えが過ったのは、きっと心の奥底の本音だろう。
(でも、それじゃダメ)
何もできないなら、せめて、できないなりに逃げない自分でいたい。
その方がきっと、ほんの少しでも自分を嫌いにならずにすむと思うから。
坪井に会う資格も、少しだけなら持たせてあげてもいいと自分を許してあげられる気がするから……と、思いながら。
意を決してドアを開き、中を見渡す。
長机が四つ正方形を作り並んでいて、正面には既に営業部長が座っていた。
「ああ、杉田さんも……立花さんだったかな。 君も朝から悪いね」
「いやいや、こちらこそうちの立花がご迷惑をかけたみたいでね」
ドクドクと心臓が鳴っている。
言葉こそ怖くはないものの、ワックスで程よく固められた髪の毛、細いシルバー縁のメガネ。
切れ長の一重まぶたがギロリと真衣香を見た……ような気がする。
30代後半だという営業部長である高柳は、異例のスピード出世をしている凄腕な、男性だと。
(噂程度にしか知らないけど、怖い……)
「……申し訳ありませんでした」
杉田の言葉に続き、真衣香も謝罪の言葉を発し頭を下げる。
「いや、俺もうちの営業事務から聞いただけなんだが。 君がどうしてもスキルアップの為手伝わせて欲しいと、頼みこんできたとか」
「……え?」
「それに対して、あまりにも無責任だと騒いでいてね。まあ、こちらとしては確かに余計な仕事が増えましたけど」
(頼みこんでなんてない)
と、咄嗟に思ったが鋭い瞳を前に声にはならず。
ビクついてそのまま黙っていると、高柳は言った。
「まあ、座って下さい」
促され、杉田と共に正面に着席する。
「今回のことは、数字としての被害は少ないです。 今のところは」
「……はい」
低く落ち着いたトーンの声は、イメージのものよりも優しく感じたが。
それでもヒリヒリとした緊張感が真衣香の心拍数を上げていく。