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寺育ちのK
#読み切り
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枯れ葉を踏む複数の足音が、ひっそりと近づいてきた。抑えた声で交わされる、短く端的な合図。荷駄の傍らで分厚い布がわずかに持ち上げられ、秋の冷たい外気がすっと差し込む。
「これだな」
低い声が言う。
「ああ、聞いていた通りだ。馬の嘶きは目立つ。人力で押していくぞ」
車輪に巻き付けられた布が、固い土を擦る鈍い音を立てた。割れ物を扱うほどゆっくり、荷車が動き出す。揺れは想像していたよりもずっと穏やかで、まるで揺り籠のように規則的だった。
ソラスは薄暗い荷台の中で目を閉じ、膝を抱えるようにして身を小さく丸めた。外の景色はもう見えない。木々の影を抜け、開けた野を通り、低い茂みを越えていく。そのたびに、布越しに透ける光と影の気配だけが、万華鏡のように移り変わっていく。進んでいることだけが、確かに伝わってくる。
運ばれている。
守られている。
この世界の誰の目にも触れないように。
その優しすぎる事実が、強張っていた胸の奥を静かに、けれど確かに締めつけた。瞼の裏に最初に浮かんだのは、ユスティナの背中だった。決して振り返ろうとしなかった、あの不器用な赤毛の背中。短く、強く、引き止めるような余計な感傷を一切交えなかった声。
“生きろ”。
そのたった三文字が、やけに鮮烈に耳の奥にこびりついている。あの人は、最後まで自分の抱える感情を多くは語らなかった。けれどその歩幅で、気遣うような呼吸で、剣を握る指先の力で、言葉以上のものを確かに伝えてくれていた。ソラスは震える唇をかすかに噛み締める。
次に、フラスニイルの顔が静かに重なる。常に冷静で、隙のない整った立ち姿。それでも彼が最期に見せたという、ほんのわずかな迷い。剣聖ジークへの致命の剣筋をあえて外したという事実が、鋭い棘のように胸に突き刺さる。きっと、あの人は最期の瞬間まで、誇り高き王国の騎士だったのだ。だからこそ冷徹な刃ではなく、血の通った人としての選択を貫いてしまった。とても、あの人らしい不器用な最期だと思った。
エルナの顔が浮かぶ。不安そうに見上げていた大きな碧眼。手を離したくないとすがりついてきた、小さな指の温もり。自分がその意志を壊してしまったかもしれないと、ずっと怯え続けていた。それでも最後まで、誰よりも自分を信じ抜いてくれた小さな女の子。あの子の未来が、どうかこれから先は穏やかで、光に満ちたものであるようにと、痛いほどに願う。
アルベルトの、ひどく穏やかで誠実な声が耳の奥に蘇る。人を斬る騎士のくせに、あんなにも悲しそうに、不器用な顔をする人。優しくて、正しくて、だからこそ両手に抱えきれないほどの重荷を背負って生きている人。”三回目もあなたで良かった”と、その言葉を直接伝えられたことが、ソラスには少しだけ誇らしかった。
村の人々。強固な認識阻害によって自分を正確に見ることができないまま、それでも自分を”聖女様”と崇め、心酔し、愚かなほど必死に守ろうとしてくれた人たち。あの歪んだ狂信と優しさは、間違いなく自分が生み出してしまった罪の形だった。それでも、彼らが自分に向けてくれた笑顔の温度だけは、確かに本物だったのだ。どうか、彼らがもう二度と、あんな理不尽な争いに巻き込まれることがありませんようにと祈る。
そして。最後に――。
ユイス。自分が暴走しないよう、自分の防衛機構が生み出した、自分を止めるためのかりそめの存在。誰よりも近くにいて、誰よりも絶対的な距離があった、もう一人の私。口うるさくて、世話焼きで、いつも少しだけ不機嫌そうに眉を寄せていて。それでも、再び尖塔で目を覚ましたあの日から、ずっと私のそばにいてくれた。
彼がなぜこの深い森に入れなかったのか。なぜ、中立であるはずの使い魔の黒猫と折り合いが悪かったのか。その全ての理由を理解してしまった今、心臓が握り潰されるように痛む。
ごめんね。
声には出さず、暗闇の中でただ頭の中だけで呟く。荷車は変わらず、軋む音を立てて進み続ける。ソラスは固く閉ざしていた目から力を抜き、溶かすようにゆっくりと息を吐き出した。そして、空っぽになった心の奥底に、小さく唄を紡ぎ始める。誰に聞かせるでもない、ひそやかな別れの唄。
『ひらひら ほどけた 鳥籠の糸
きらきら こぼれた 宙の星
まあるい 小窓に 手を振って
さよなら 私の 黒い塔
ごめんね 勝手な 私の魔法
あなたの 涙を 隠してごめんね
それでも 最後に 怒った顔が
どんな 奇跡より 暖かかった
ありがとう 叱ってくれた 人たちよ
ありがとう 守ってくれた 人たちよ
間違いだらけの 白雪の日は
過ぎゆく季節の 風に溶けゆく
名前も 持たずに 歩き出す
知らない 明日へ 歩き出す
どこかで 笑う あなたのために
私は もう、振り向かない』
閉じた瞼から、温かい雫が止めどなく伝い落ちる。ソラスは、荒い麻の毛布に顔を深くうずめ、ほんの少しだけ、誰にも聞こえないように声を殺して泣いた。