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その日、空は少し曇っていた。

朝からなんとなく気持ちが晴れず、環奈は駅の階段をゆっくりと登っていった。

(ちゃんと仕事、できるようになってきてるかな……)

そう思える瞬間がある一方で、まだ周りの人のスピードに追いつけないことに焦る日もある。

だけど――

最近、少しだけ変わったことがある。

「松村さん、おはようございます。」

会社併設のカフェに顔を出すと、自然に声が出るようになっていた。

「おはようございます、白崎さん。」

松村はいつものように、あたたかい笑顔で応えてくれる。

「今日は……少し酸味を強めにしてみました。」

「え?」

「なんとなく、そんな気分かなって。違ったらすみません。」

環奈は小さく笑った。

「合ってます。……なんで分かるんですか?」

「顔に出てますよ。少し、疲れてそうな顔してたから。」

彼の言葉は、いつもやさしくて、まっすぐで、あたたかい。

(ちゃんと見てくれてる。いつも……)

その日は、不思議なくらい仕事がスムーズに進んだ。

***

夕方、少し残業を終えた帰り道。

環奈はふと、いつものカフェのテイクアウトコーナーに立ち寄った。

「……あの、松村さんって、コーヒー以外に何か好きなものありますか?」

突然の質問に、松村は目を丸くした。

「え?……うーん、最近は、ハーブティーとかですかね。寝る前に飲むと落ち着くので。」

「そっか……ありがとうございます。」

そう言って、環奈はなぜか照れくさそうに笑って帰っていった。

松村は首をかしげながらも、彼女の後ろ姿を見送った。

(なんだったんだろう、今の……)

***

数日後の昼休み。

カフェにいつもより早めに行くと、松村がカウンターの奥で何かをしていた。

環奈の姿を見つけて、すぐに気づく。

「こんにちは、白崎さん。今日はいつものブレンドでいいですか?」

環奈は、小さく首を振った。

「今日は……これを。」

彼女がそっと差し出したのは、手作りのハーブティーセットだった。

透明な袋に、小さなラベンダーとカモミールのドライハーブ。

丁寧にリボンで結ばれていた。

「え……これ、手作りですか?」

「はい。ネットで調べながら、ブレンドしてみました。」

「えっと……どうして?」

環奈は少し恥ずかしそうに視線を伏せた。

「この前、ハーブティー好きって言ってたから……その、ありがとうの気持ちをこめて。」

「……ありがとう?」

「私、最初のころ、ほんとにしんどくて。でも松村さんの言葉とか、コーヒーにすごく助けられてたんです。」

「だから……私にも、なにかできないかなって思って。」

松村は、しばらく何も言わずにその袋を見つめていた。

(……やさしいな、この人は。)

「ありがとうございます。白崎さん。」

「うれしいです。すごく。」

ふたりの間に、少しだけ沈黙が流れた。

でも、それは気まずいものじゃなかった。

静かで、あたたかくて――ちょっとだけ、鼓動の速くなるような時間だった。

***

その夜、松村は自宅で、環奈のくれたハーブティーを淹れていた。

ティーカップからふわりと広がる香りは、どこか彼女に似ていた。

やさしくて、でも芯があって、落ち着く香り。

彼はスマートフォンを見つめ、何かを打ちかけて、やめた。

「……名前、まだ“白崎さん”って呼んでるな。」

ぽつりと、ひとりごとのように言って、笑った。


その頃、環奈もまた、同じようにカップを両手で包み込んでいた。

(もっと話してみたい。もっと知りたい。)

心に芽生えたその想いは、まだ“恋”という名前を持たない。

でも、確かにそこに在る。

静かに、でもたしかに、ふたりの距離を縮めている。

翌日、環奈は朝から落ち着かなかった。

昨日、手作りのハーブティーを渡したことが何度も頭をよぎる。

(やっぱり、ちょっと重かったかな……)

何かを返したくて、素直に気持ちを伝えたかっただけ。

でも――あのときの松村の笑顔を思い出すと、後悔と照れが交互にやってくる。

(変に思われてたらどうしよう……)

そんな思いを抱えながらカフェに向かうと、いつもより少しだけ空いていた。

店内に入ると、ちょうどカウンターの中に松村がいた。

目が合った瞬間、環奈は小さく会釈をした。

松村も同じように、笑ってうなずく。

「おはようございます。……白崎さん。」

一瞬、「名前が出てこなかったのかな」と思った。

でも、次の言葉で、鼓動が跳ねた。

「……昨日のハーブティー、すごくよかったです。落ち着けました。ありがとう。」

「い、いえ……よかったです。」

思ったより自然に話せた自分に驚きつつ、ホッとする。

そのまま席に着こうとしたとき、松村がふと呼びかけた。

「……あの。」

環奈が振り向くと、彼は少しだけ照れたような、でも真剣な表情だった。

「次から……“環奈さん”って、呼んでもいいですか?」

思わず目を見開いた。

(えっ……今、なんて……)

「急にすみません。ずっと“白崎さん”って呼んでましたけど……何だか昨日、ちゃんとお礼もらった気がして。」

「それで……少し、距離を縮めてみたいなって、思ったんです。」

環奈の心臓が、大きく跳ねた。

「あ……はい。もちろん……!」

少し上ずった声を、慌てて押さえる。

でも、笑いがこぼれるのを止められなかった。

「じゃあ……松村さんも、“優一郎さん”って呼んでいいですか?」

松村は驚いたように目を見開いたが、すぐに頬を緩めた。

「はい、もちろん。」

ほんの一瞬の沈黙のあと、ふたりは小さく笑い合った。

***

その日の帰り道、環奈は改札を抜けながら、そっとつぶやいた。

「優一郎さん、か……」

名前を呼ぶだけで、なぜこんなに胸があたたかくなるのだろう。

自分でもわからないまま、笑みがこぼれた。

(少しずつ。少しずつでいい。)

今はまだ、“好き”とは言えない。

でも、確かに名前の分だけ、心の距離が縮まった気がした。

そしてその夜、松村もまた、机の上に置かれたハーブティーの袋を見つめながら、思っていた。

(環奈さん、か……)

柔らかな響きが、胸の奥に残っていた。


つづく

いつまでも優しい恋愛

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