「…………あなたは、だれですか?」
そして敦がきょろきょろと辺りを見回し、
「ここは、どこなんでしょう…?」
と、眉を八の字にして困ったように笑う。何も言えずに俯く太宰を横目に、随分と暗いところですね、と呟く。
「……あの」
敦が意を決したような顔をして太宰に問う。
「だざいおさむってひと、しりませんか?」
太宰は微かに息を呑んだ。
「あ、とくちょうがわからないとだめですよね。ええっと、………。」
へらりと微笑んだままの敦が言葉に詰まる。しかし、敦は太宰の特徴が思い出せないことに気が付かない。気が付けない。
「………とても、おだやかで、おちつくこえをしていた、と、おもいます。」
目を細め、頬を色づかせてそう語る敦は純真な少女のようだった。
「………何故だい?」
「はい?」
「何故君は太宰治という人を探しているのかな」
「…………………やくそく、してたんです。」
どこか上の空で敦は語った。
「どこにも、いかないって。いってくれて。でも、ぼくをおいていっちゃったんです。」
しかたがないひとですよねぇ、と敦は苦笑する。
「…でも、いいんです。ぼくはきっと、もうだめなんです。だから、あのひとがしあわせでいてくれるだけで、ぼくはうれしいんですよ。」
敦はにこりと太宰に笑いかけた。
「………そうかい。」
太宰は複雑な表情で応えるしかなかった。
「きみのせ□□がいろづい□とき、いつかかならず□か□がみちるこの□□を、き□といっしょにあ□こう。」
誰かが、そう言っていたような、気がする。
誰が言っていたのだっけ。
もう顔も思い出せないけれど。
なんて言ってくれたのかも覚えていないけれど。
「まった□、□□□く□てば、□□とに□□だねぇ。」
その誰かが、ぼくにくすりと
笑いかけた気が、したんだ。
「………大丈夫かい?」
太宰の心配する声にはっと敦は意識を戻した。
「私の声が聞こえていないようだったけど、もし体調が悪いようなら無理はしないほうが……」
「ああ、ごめんなさい。すこしかんがえごと、してました。」
「……無理はしないでおくれよ?」
そわそわと落ち着かなさげな太宰の姿に敦は思わずくすくすと笑った。
「ほんとうにだいじょうぶですよ。あなたこそげんきがないようにみえます。なにかありましたか?」
「…………、」
たじろぐ太宰の頬を両手で優しく包み親指で目元を撫でながら敦は問いかけた。
「…大丈夫、大丈夫だよ。ありがとう、……」
敦くん、とは言えなかった。
「そういえばおしごととかだいじょうぶなんですか?」
「ん?……あー、仕事、ね…。うん、大丈夫だよ。この時間だ。誰も来ないさ。」
そう言って太宰は、微かに夜明けの匂いが漂う濃紺を四角く切り取った窓にちらりと目をやった。そこには数時間前よりも幾ばくか数が減った星屑が煌めいている。
「? そうなんですね。ぼくはあなたのしごとをしらないですけれど、いつもがんばっているのはわかりますよ。」
なにもしらないのにすみません、と頬をかきながら敦が笑う。
「気にしてなどいないよ。君はとても優しい子だね。」
ご褒美に君と一緒にいてあげよう、とへらりと笑う太宰に敦は笑みを返した。
「ここにいてくださるんですか?あなたこそ、とてもやさしいかたですね。ありがとうございます。」
すると敦は先程とは打って変わってとっておきの秘密を話す子供のような表情で続けた。
「おれいに、よるがこわくなったときのとっておきのおまじない、おしえてあげます!」
「おまじないかい?ふふ、是非教えてくれ給え。」
2人でくすくすと笑い合うと、敦は太宰の耳に顔を寄せてこそりと呟いた。
「あけないよるはない、そうですよ。」
太宰の笑顔がほんの少し強ばった。
「…と、ても、良い言葉だね。」
「ぼくもそうおもいます!このことばがほんとうにおきにいりで。」
そんな太宰の様子に気づかないまま敦は嬉々として語っている。
「…その言葉も、君と約束をした人に教えてもらったのかい?」
もしかしたら記憶を取り戻せるかもしれない。そんな一縷の望みを抱きながら太宰は敦に問うた。
「………やく、そく、?」
そんな人は知らないとばかりに首を傾げて見つめ返す敦に、太宰は己の中の何かががらがらと音を立てて崩れていくのを感じていた。
「…………ごめん、なさい。おぼえていなくて。あなたにそんなかお、させるつもりはなかったんです。そんな、かなしそうなかおなんて。」
悲痛な面持ちで、敦は項垂れている太宰にしきりに謝っていた。
ぽたり、と、太宰の膝に染みができる。
「………ああ、そんな。」
胸を刺すような悲哀に満ちた声が敦の口から零れ落ちた。我慢ならないとばかりに敦は寝台の上を移動して太宰の目の前へ座る。
「そんな、なかせるつもりなんてぼくは。ああ、ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい…。」
苦しげな敦の声にそろりと顔を上げた太宰は涙が零れるのも気にせずに目を見開き、ぱちぱちと数回瞬きをした。
「……あつし、くん?」
「! どうされましたか?」
「いや、どうって…。気づいていないのかい?君、」
太宰の細くしなやかな指がまっすぐに敦を指す。
「泣いているよ。」
「………………ぇ、?」
朝焼けの瞳からは、何処までも透き通った欠片が幾つも零れ落ち、シーツへと溶けていた。
「……あ、れ、?なん、で、どうして…?」
急いで拭うも涙は次から次へと敦の頬を伝っていく。しかし、太宰をどうにかして泣き止ませたい気持ちと何故自分が泣いているのかという混乱から敦は途方に暮れていた。しばらく迷った末に、ふいに口を開く。
「……………らら、らり、るら…」
「…………………、」
太宰は静かに息を呑んだ。敦は太宰の顔色をうかがいながら薄紅色の艶やかな唇から歌を紡いでいる。
「らら、らり、るら。らら、らり、るら…」
ふ、と敦が歌うのをやめて太宰に遠慮がちに微笑みかけた。
「………いっしょに、うたいませんか?」
太宰は上手く言葉が出ずに、こくりと頷く。
少し肌寒い医務室の柔らかな暗闇に、2人の歌声が静かに解けていた。
どれくらいの間歌っていたのだろうか。時間の感覚さえなくなりかけていた頃、小窓から通して見ていた景色が変化したことに敦は気がついた。
「…ぁ、みてください。そらがすこしあかるいですよ。そろそろあさなんでしょうか。」
仄かに橙がかった瑠璃色にまばらに散る星が小さく滲んでいる。段々と朱みを増していく空を見て敦は無意識のうちに寝台を降り、小窓へと顔を寄せていた。
「……嗚呼、本当だね。雲ひとつないようだから、今日はきっと綺麗な青空が見れるだろうね。」
少し掠れた声で太宰が応える。ぴくりと敦が身じろぎしたことに太宰は気がつかない振りをした。
「そうですね!ほら、もうすぐ、ひがでてきますよ。」
敦の視界に少しずつ暖かな光が差す。
眩い光に、視界が白く、白く染まる。
堪らず敦はぎゅっと目を瞑った。
その間も光は強まっていく。
目を閉じていても眩しかった。
段々と目が光に慣れていく。
敦はどこか懐かしい期待に胸を踊らせ、そっと目を開いた。
敦の朝焼け色の瞳に映ったのは。
「……………ほら、みえますか?……とても、
そらが、きれい、で、」
ああ、と敦の声は、絞り出すように、悲鳴のように小さく医務室に響いた。その朝焼けの瞳は、色が重なって濃くなったように見えた。
「………とっても、そらって、あおいんですねぇ………。」
その声はふるふると震えており、太宰の瞳には敦の後ろ姿が泣いているように、感動に打ち震えているように映った。いや、きっとそうなのだろう。ほう、と感嘆の溜息をつきながら空を眺める敦は、恋焦がれていた人と結ばれたような、長い間会えなかった想い人と再会したような、言い表し難い表情をしていた。
「こっちへ、来てくださいませんか?いっしょに、見ましょう?」
何か、何かを忘れている。
ぽかりと胸に穴が空いているような。
なんだろうか。思い出せない。
嬉しいのに、苦しい。
大事なことだった、気がする。
嗚呼、頭が痛いな。
痛いのはあまり好きではない。
ここまで考えて思い出せないのだ。
そこまで重要なことではないのだろう。多分。
何かが胸につっかえている。
嗚呼、そうだ。
「言い忘れてました。おはようございます。」
敦は振り返ってふにゃり、と微笑んだ。何かが欠けている。
「そういえば、
貴方のお名前は?」
朝焼け色の瞳が、鳶色の瞳を真正面から見据えた。
「…………太宰。」
「…………は、い?」
「太宰、治だ。」
「…………そうなんですね。とても綺麗なお名前ですね。ねぇ、太宰さん。」
「…………なんだい?」
「あなたは、えっと、」
「私は、君が大好きだよ。」
コメント
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投稿して5分でいいね100とかどゆことっすか…?(((( '-' )))) (訳:ありがとうございますめちゃめちゃ嬉しいです)