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「あのね、なおちゃん、私、市役所の臨時雇いの更新、次はしないでおこうと思うの」
ブラウスの前を肌蹴られて、スカートの中は何も身につけていない状態で彼と繋がっている。
向かい合うような格好で、後部シートに座る緒川さんの上に跨った状態で交わしていた口付けを解くと、私は静かにそう告げた。
「正社員の仕事を……探そうと思ってて――、んっ……」
今、彼から離れたばかりの唇を割り開くように節くれだった男らしい無骨な指が侵入してくる。
その指先に口中を好き勝手に侵蝕されながら、ぼんやりと考える。
今まで私は1年半近く、正規雇用職員ではない、雇用期限のある雇われ方のもと、数ヶ月単位でほんの少しのお休みを挟んでは市役所内の課を渡り歩くような仕事の仕方をしてきた。
最初はなおちゃんと同じ課。
半年経った頃に、別の課――下水道課――へ配属になって。
それを機になおちゃんから告白されたのが数ヶ月前のこと……。
下水道課での雑務も、そろそろ半年。任期が切れる頃合いだ。
少しお休みをしてまた別の課へ行くか。もう辞めてしまうかを選択しないといけない。
今までは何とも思っていなかった、そんな根無草のようなふわふわとした働き方が、何だか急に虚しくなって。
下水道課での任期を満了したら、もうこの仕事は続けまいって心に決めた。
誰にも紹介できない宙ぶらりんの恋人に、中途半端な責務しか負わない非正規雇用の仕事。
私、何ひとつ地に足が着いていないじゃないって心の片隅で思うようになって。
現状、彼と別れることは考えられないって分かっているから……。
だからせめて仕事くらいは正社員で雇ってくれるところに行こうって思ったの。
「それでね、仕事が落ち着いたら……実家を出ようと思ってるの」
私の言葉に、なおちゃんが「ひとり暮らしでもはじめるつもりか?」って聞いてきて。
不意に腰を抱えられて、下から深く突き上げられた私は、彼の肩についた手指にギュッと力を込める。
「んっ、ぁ、……そ、の……つもり……ッ」
私がひとり暮らしを始めたら、こんな風に車の中でしなくてよくなる。
外から中を覗いたことがあるから、こんなことをしていても誰にも見えっこないというのは知っている。
けれど、それでもやっぱりいつも車で、なんて落ち着かないよ。
休日や週末の夜にはホテルに入ったりもするけれど、それにしたって無料じゃない。しっかり経費がかかるのだ。
公務員で……尚且つひとまわり以上も年の離れたなおちゃんが、一体いくらくらいのお給料を稼いでいるのかなんて、私は知らない。
知らないけれど、デートのたびに食事代はおろか、その他諸々の費用を払わせてくれないなおちゃんに、私も少しくらい何かお返しをしたいと思っていて。
なのに――。
「俺の目の届かないところに行って、浮気でもするつもりなの?」
自分には奥さんはおろかお子さんだっているくせに、そんなことを言ってくるなんて……ずるい。
なおちゃんは歳の離れた私が、いつ彼に飽きて同年代の男性と関係を持ってしまうかと気が気じゃないらしい。
「菜乃香は押しに弱いから」
そう言われて眉根を寄せられると、「そんなことない」と即座に否定できないのが自分でも情けなかった。
現になおちゃんとの関係だって、最初は彼からの猛プッシュに負けたわけだし尚更。
「俺はね、菜乃香。本気は許すけど浮気は許さないから」
私が、その人との結婚を考えるような相手にならば、抱かれても目をつぶるけれど、そうじゃないならお仕置きをする、と言われる。
「――私がその人に本気でも……相手がそうじゃない場合はどうなるの? ……貴方と私の関係みたいに」
言ってはいけないと思ったのに、思わず要らないことを付け加えてしまって、喉の奥にトゲが刺さったみたいにチクチクと痛んだ。
それを誤魔化すみたいにギュッとなおちゃんにしがみついたら、
「菜乃香、それ、ナカ……締まる」
って切なく吐息を落とされた。
私、何もしてないのに、……本当?
ズルイなおちゃんは、私が心の底から聞きたいって思った質問には、いつも何だかんだとはぐらかしてちゃんと答えてくれない。
「嘘つき……」
締まってなんかいないはずだし、私の質問への答えを誤魔化そうとしてるだけでしょう?
私のことは縛ろうとするくせに、自分のことは微塵も掴ませてくれないなおちゃんが憎らしくてたまらなくて。
なおちゃんの耳元で「嘘つき」ってつぶやいたら、小さく吐息を落とされた。
「菜乃香。俺はね、最初に話したように妻や子供に対して責任があるんだ。だからね、菜乃香の言いたいことは分かるけど、その望みは叶えてあげられないよ」
ごめん、と言う言葉とともに、すっかり萎えてしまった彼が私の中から引き抜かれる。
「――っ」
その感触にですらゾクリと身体が震えて、私は自分が情けなくてたまらなくなった。
なおちゃんがいなくなったことを惜しむみたいに、鼠蹊部を、トロリと温かな体液が伝って、それが更に自分への自己嫌悪を募らせる。
「さっきの質問だけど……菜乃香が本気なら許すよ? 例え相手がその気じゃなくっても――」
私の目端に滲んだ涙をそっと指の腹で拭いながら、なおちゃんがつぶやいた。
「但し、その場合はまた菜乃香が傷付いてしまうかも知れないってのは覚悟して? 俺のときと同じことを別の相手と繰り返すの、キミが耐えられるって言うんなら俺は止めない。けど――」
そこまで言うと、私をギュッと抱きしめて続けるの。
「俺以外の男に傷つけられる菜乃香は見たくないっていうのが正直な気持ちだよ。キミに喜びを与えられるのも、思い切り傷つけられるのも、俺だけの特権だと思いたい」
――ズルくてごめんな?
ふっと吐息まじりに落とされた聞こえるか聞こえないかの囁きに、私は涙が止められなくなる。
私を幸せにできるのも、どん底に突き落とせるのもなおちゃんだけ。
そんなの、私自身が1番よく分かってる。
この人はそれを知っていて、逆手に取ってきてるんだ。
それが理解できているくせに、そのドツボから抜け出せない自分のことを、心底情けないって思った――。