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──春の風が、校庭の桜を揺らした。花びらがふわりと舞って、私と先輩の間をすり抜けていく。
「久しぶりだな、紬。高校、ここだったんだ」
そう言って笑う声が、少し低くなっていた。
成長したんだ、あの頃の“水森先輩”じゃなくて、ちゃんと“水森遥人”としてそこにいる。
「…はい。先輩こそ」
ようやく絞り出した声は、驚くほど震えていた。
先輩は少し照れたように後ろ頭をかいた。
「中学のときのこと、覚えてる? あの、放課後の図書室とか」
覚えてる。
あの静かな時間も、机に並んだ本の匂いも。
ページをめくる音にまぎれて、こっそり彼の横顔を見ていたことも。
「もちろん、覚えてますよ」
そう答えると、先輩は少し目を見開いた。
そして、ふっと柔らかく笑った。
その笑顔に、また胸がぎゅっと痛む。
二年前から止まっていた何かが、音を立てて動き出すみたいに。
チャイムが鳴った。
新しい一日の始まりを告げる音。
「じゃあもう俺、教室行くな」
「…はい」
先輩は少し歩き出して、ふと振り返った。
「また話そうな、紬」
その言葉が、春の光の中で溶けていった。
私は胸の奥でそっとその音を拾い上げる。
また話そう。
それだけで、今日一日が特別に見えた。
危うく落としかけた鞄を持ち直し、私も教室へ向かった。
窓の外では、桜の花びらがまだ、降り続けていた。──