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影が、一つ咆哮する。
びりびりと森が揺れる。それだけで、三人の警官の内、二人は悲鳴をあげて逃げ出した。留まった一人はなんとか立ってはいるものの、その顔は死人のように真っ青だった。
【…この餓鬼を奪うか】
どこからか、地獄の底から響くような、低い低い声が聞こえてくる。
あの人の声だ。すぐにわかった。名前を尋ねた時にぽつりと、奇跡とだけ答えたあの声とは似ても似つかないけれど、それは確かにあの人のものだった。
「そ、そうだ…!その子を離せ……っ!」
警官が震えながら必死に返す。すると影は、また鋭く一つ咆哮をあげて更に言葉を返す。
【お前達が捨てたものを、どうして我が拾ってはならぬのか。戯言も大概にしたらどうだ】
「っこの子には帰る場所がある!それを、お前が拐ったんだろう!この…化け物が…!!」
【…くだらんな。化け物なのは、年端もいかぬ餓鬼を躍起になって虐める、お前達の方であろう?ならば拐って、喰ったとしても文句はあるまい】
「……!?」
警官は、明らかに動揺していた。そこに畳み掛けるように、影は大袈裟に台詞を重ねていく。
そうやって目の前で繰り広げられる寸劇に、僕は何も言えなかった。
……怖い。
この警官は、真実を知れば僕の味方になってくれるだろう。気丈で、正義感あふれる人間性を持っている。この短い間でも、それをうかがい知ることができた。だからこそあの人は、わざとあんなことを言っている。
……あの人は、自分が悪役になればいいと思っているのだ。
それがただ、怖い。
あの人を止めたくてその肩を揺すろうにも、煙状の影は掴めない。ならばと腕を影に突っ込んでみても、僕の短い腕ではあの人の所に届きそうになかった。
半泣きになったその時、いきなり後ろ襟を引っ張られた。急なことに反応も追いつかず、気がついたら警察官の方まで吹き飛んでいた。けれど、警官には近づかれていなかったはずだった。
なら、僕を引っ張ったのは………。
ぱん、と乾いた音がした。見上げた警官が構えた銃口から、白い煙が伸びている。咄嗟に振り向くと、あの人がぐらりと傾いていくのが見えた。 纏っていた影たちが、塵が風に舞うようにはらはらと剥がれ落ちてゆく。黒い花吹雪の中から現れた美しい男の瞳は、憂いを帯びていて、でも少し満足そうだった。
気がついたら、僕は駆け出していた。
警察官の前に躍り出て、その銃口を手のひらで覆う。あの人にとどめを刺す為の銃弾が、僕の手を貫通して胸に刺さった。
血は、思っていたより出なかった。
警察官は、真っ青を通り越して真っ白な顔になり、その場に座り込んだ。しばらくは動けないだろう。
背を丸めて、あの人の下へ一歩一歩歩く。狭まる視界の中心には、倒れ込んだあの人がいる。このままでは、僕もあの人もじきに死ぬだろう。これが、僕があの人に守られなかった結果だ。
「……奇跡、さん」
目の前に、崩れるように座る。あの人がこちらを見る。ごぽ、と口から血が溢れて顎を伝う。今更やって来た痛みを無視して、あの人の頬をそっとなぞった。
「僕、を”…たべ、て……」
人間の血肉は、悪魔の魔力の源だ。魔力さえあれば、その傷は塞がるはずなのだ。
……そうしたら、貴方だけは生き残る。
もう、僕が死ぬとか死なないとか、そんな事はどうでもよかった。とにかくあの人が生きてくれれば、何でも良い。
いっしょに過ごしていくうちに、気がつけばもう喰われたいとは思わなくなっていた。
ただ、明日も明後日も、貴方に会いたかった。本当は、たったそれだけで良かった。
ならそう言えばよかったのに、僕は幸せに慣れていないから上手く言えなくて。あの人が首を振るとわかっているから、わざと殺してくれますかなんて尋ねて、安心して。
僕は、自分勝手だった。
あの人が泣きそうな顔をしていた。
それを見た途端に、次から次へと言葉が溢れてくる。それらのほとんどが、 謝罪と感謝の言葉。
でも多分、最期に相応しいのはそういうのじゃなくて、きっとこの言葉だけでいいのだ。
奇跡さん、と僕は呼びかける。
「___だい、すき」
にへ、と笑って、僕の意識は途絶えた。