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第三章 氷晶と炎音
第五話 「氷に灯る炎」
酒場で旅芸人の一団と別れたその夜。
ジュウタロウは自室の寝台へ横たわっていた。
静かな夜だった。
窓の外では雪が降っている。
白い月明かりが、 薄いカーテンを透かして部屋へ差し込んでいた。
眠るつもりだった。
いつも通り目を閉じれば、
すぐ朝になるはずだった。
だが、なぜか今日は眠れない。
静かな天井を見上げながら、自然と一人の男の顔が浮かぶ。
赤い髪。
真紅の瞳。
人懐っこい笑顔。
妙に距離が近くて。
妙に馴れ馴れしくて。
妙に遠慮がない。
「……変な奴だったな」
小さく呟く。
自分に対しても、他の人間と同じように接してくる。
王族でもない。
氷晶の王子でもない。
ただ一人の人間として。
まるで昔から知っている相手みたいに。
「シュンタ……だったか」
口に出してみる。
その名は、なぜか不思議な響きを持っていた。
真紅の瞳を思い出す。
あの目は何か嫌だった。
見透かされているようで。
心の奥まで覗き込まれているようで。
けれど、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろ、もっと別の感情だった。
何なのかは分からない。
自分でも説明できない。
ジュウタロウは寝返りを打った。
銀の瞳が、カーテンの隙間から差し込む月光を映す。
もう一度会えば。
何か分かるのだろうか。
そんなことを考えている自分に、
少しだけ驚く。
これまで誰かに対して、そんな興味を抱いたことなどなかった。
やがてジュウタロウは静かに目を閉じた。
けれど、その瞼の裏には、深紅の瞳が焼きついて離れなかった。
-–
翌朝。
ジュウタロウは食堂へ向かうため、
城の回廊を歩いていた。
すると少し先から、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「私も連れて行ってください!」
「だからダメだって!」
「昨日お兄様とは行ったんでしょう!?」
思わず足を止める。
角を曲がると、そこにはアロハとリリアがいた。
「ジュウタロウは、逆にああいう場所に連れて行かなきゃダメなんだよ」
「ずるいです!」
「全然ずるくない!」
「……何をしているんだ」
低い声に、二人が同時に振り返った。
「あ、ジュウタロウ!」
アロハが助けを求めるような顔をする。
「リリア姫がどうしても酒場に行きたいって言っててさ」
「だって!」
リリアは頬を膨らませた。
「旅芸人の方たちを見てみたいんです!」
「昨日お兄様達だけ行ったなんてずるいです!」
ジュウタロウは小さくため息を吐く。
「リリア」
「……はい」
「お前にああいう場所はそぐわない」
リリアはむうっと頬を膨らませた。
銀色の髪が揺れる。
兄によく似た美しい姫君だった。
この閉ざされた雪国にいてなお、その美貌は近隣諸国にまで知られている。
そんな妹を、酒と煙草と喧騒に溢れる酒場へ連れて行く気にはなれなかった。
「でも……!」
なおも食い下がるリリアへ、ジュウタロウは少し考えてから口を開く。
「父上に頼み、その者たちを城へ招けばいい」
その瞬間、リリアの瞳が輝いた。
「それですわ!」
ぱっと笑顔になる。
「さすがお兄様です!」
「今すぐ父上にお願いしてきます!」
ドレスの裾を翻し、リリアは走り去っていった。
アロハが苦笑する。
「まったく。困ったお姫様だよな」
「昔からああだ」
「それにしても……」
アロハがにやりと笑う。
「またあの赤髪に会えるかもな」
ジュウタロウは一瞬だけ足を止めた。
「……そうだな」
ほんの僅かに、口元が緩む。
その変化を、アロハは見逃さなかった。
-–
それから数日後。
フィルディア王城へ、旅芸人一行が招かれた。
スカーレット・キャラバン。
一座を仕切るのはシュンタの母、
フレア。
炎を自在に操る踊り手であり、
世界各地を巡る有名な旅芸人だった。
炎が舞う。
水が踊る。
風が花吹雪を巻き上げる。
鮮やかな衣装を纏った子どもたちが駆け回り、
楽師たちが様々な音色を奏でる。
王城の大広間は歓声に包まれていた。
そしてその中心にいたのは、やはりシュンタだった。
リュートを抱え。
時に優しく、時に激しく、
時に胸を締め付けるように。
真紅の旋律を奏でていく。
子どもたちと笑い合い、観客へ手を振りながら。
舞台を自由に駆け回りながら。
その姿は、まるで炎そのものだった。
気付けば、ジュウタロウは目で追っていた。
-–
やがて演目が終わる。
盛大な拍手が響いた。
深々と頭を下げる旅芸人たち。
王フロストも満足そうに頷いていた。
「見事であった」
フレアが優雅に礼を返す。
一方、リリアは完全に魅了されていた。
うっとりした表情でシュンタを見つめている。
その視線に気付いたシュンタが、
ぱちりとウィンクした。
リリアの顔が一瞬で真っ赤になる。
その横でアロハが眉を吊り上げた。
「おい、何してんだあいつ!」
しかし当の本人は全く気にしていない。
そのままジュウタロウの方へ歩いてくる。
「どうやった?」
満面の笑み。
「俺らのステージ」
ジュウタロウは少し考えた。
そして率直に答える。
「先日も良かったが……今日も見事だった」
シュンタが目を丸くする。
数秒固まった後。
照れたように頭を掻いた。
「そんな真面目に褒められたら照れるやん」
「……事実を言っただけだ」
「いやいや」
シュンタは笑う。
「氷晶の王子の心を溶かせるくらい熱い演奏やったってことやろ?」
「そこまでは言っていない」
横でアロハが吹き出した。
「やっぱお前変な奴だな」
「よく言われる」
シュンタは胸を張った。
-–
その夜、王城では盛大な立食会が開かれた。
普段は閉ざされたフィルディアでは珍しい光景だった。
兵士たちも、使用人たちも、旅芸人たちも。
皆が笑顔で語り合っている。
その光景を眺めながら、ジュウタロウは壁へ寄りかかり、静かにグラスを傾けていた。
「なんや」
聞き慣れた声。
「一人で黄昏れとるやん」
シュンタだった。
皿いっぱいに料理を盛っている。
「フィルディアの飯うまいな!」
肉を頬張りながら笑う。
「もっと質素なもんばっかやと思っとった」
「こんな雪国でも食料生産技術は発達している」
「なるほどなぁ」
感心したように頷く。
そしてふと。
シュンタが窓の外の雪景色を見た。
「綺麗な国やな」
その声は、いつもより少し静かだった。
「せやけど」
真紅の瞳がジュウタロウを見る。
「外の世界も面白いで」
ジュウタロウは答えない。
ただ黙って聞いていた。
「俺なんかずっと旅ばっかりや。
まだ知らんことだらけやし、分からんこともいっぱいある」
シュンタは笑う。
「でもな、それを一個ずつ知っていくんが楽しいんよ」
「色んな場所へ行って、色んな人に会って、色んな景色を見る」
「それが俺は好きや」
紅い瞳が、まるで炎みたいに輝いていた。
ジュウタロウは静かに目を伏せる。
自分はどうだろう。
この城に閉じこもり。
調べ物をして。
鍛錬をして。
魔物を討伐して。
それだけの日々を、何年も繰り返している。
「ま、余計なお世話やな!」
シュンタはけらけら笑った。
「よし、もうちょい料理取ってこよ!」
「ジュウタロウも楽しまな!」
ひらひらと手を振りながら去っていく。
その背中を見送る。
賑やかな笑い声。
楽器の音。
人々の笑顔。
どれも自分とは無縁だと思っていたものだった。
けれど不思議と今日は、その光景が少しだけ心地よく感じた。
窓の外では雪が降っている。
白く、
静かに、
閉ざされた世界のように。
そしてその片隅。
ジュウタロウ胸の奥では、小さな炎が灯ったような気がした。
凍りついた心に、ほんの僅かに、ひびが入る音を聞いた気がした。
コメント
1件
うわあ、この第24話、すごくよかったです……。 ジュウタロウがシュンタのことを「変な奴だったな」とつぶやきながら、瞼の裏に深紅の瞳を焼きつかせているシーン、静かだけど心臓がギュッと締めつけられるような切なさがありましたよね。 凍った心に小さなひびが入る、その瞬間の描写が本当に美しくて。 旅芸人一座が招かれてからの温かい空気と、ジュウタロウがまだ壁際から眺めているだけなのに少しだけその輪に溶けかけている感じ、次の展開がすごく気になります!
#見て
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