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窓を開けた瞬間、花々から放たれる微かな魔力の粒子が、夜風に乗って部屋に流れ込んできた。
その粒子が私の肌を撫で、肺の奥深くへ入り込み、魂を優しく、けれど確実に侵食していく。
(……ああ、そういうことだったのね。私はもう……)
その瞬間、すべてを悟った。
数ヶ月間、彼の魔力が色濃く練り込まれた食事を摂り続け、彼の魔力が満ちた空気の中で毎夜抱かれ
彼の魔力そのものを受け入れ続けた結果。
私の身体は、この「檻」から放たれる魔力なしでは
呼吸すらままならず枯れ果ててしまう体質に作り替えられていたのだ。
外へ出れば、私は数分も持たずに命を散らすだろう。
私の緻密な亡命計画も、喉から手が出るほど欲しかった自由も、描き続けた未来も。
それらすべては、この青い薔薇の海の中に、音もなく沈んで消えた。
背後から、フィンセントが音もなく近づき、私の腰に太い腕を回した。
首筋に落とされる熱い吐息。
逃げ場はない。けれど、不思議と絶望はなかった。
代わりに湧き上がってきたのは、すべてを諦め
フィンセントという狂気的な男に身を浸したからこそ得られる、底なしの安堵感。
「……逃げるのは、もうやめたわ」
私は自ら振り返り、彼の首に腕を回した。
驚きに琥珀色の目を見開くフィンセント。
彼の瞳の中には、かつてないほど真っ赤に上気し、悦楽と諦観に染まった私の顔が映っている。
「その代わり、死ぬまで私を離さないで」
私の「悪役令嬢」らしい、愛よりも重い呪いのような告白。
それを聞いたフィンセントの顔が、劇的に歪んだ。
歓喜、狂気。
そして、今だから言える〝気が狂う〟ほどの愛おしさ。
「……ああ、もちろんだとも、セシリー。骨の髄まで愛すことを誓うよ」
彼は私の手を握りしめる力をさらに強め
骨が鳴る音さえ快楽に変えるように、奪うような熱い口付けを落とした。
肺の空気をすべて彼に吸い出され、脳が真っ白に染まっていく。
何度も、何度も唇が重なり、離れるたびに銀の糸が美しく引き合う。
「あ……ふ、ん……っ」
彼の情欲に濡れた琥珀色の瞳が、私の視界のすべてを覆い尽くす。
もう、ここには彼と私しかいない。
(断罪は回避した。……なら、この生活もそんなに悪くないかもしれない)
私は彼の腕の中で、甘美な絶望に全身の力を抜き、ゆっくりと目を閉じる。
窓の外には、二度と辿り着くことのできない、遠い自由な空。
部屋の中には、永遠に終わることのない、血と熱に塗れた狂愛の戴冠式。
二人は、誰にも知られることのない深紅の箱庭で
重い足枷の音を響かせながら、永遠に閉ざされた幸福の底へと、ゆっくりと沈んでいった。
◆◇◆◇
後日談
それから、どれほどの月日が流れただろうか。
窓のない深紅の寝室に、時間の概念は存在しない。
あるのは、銀の燭台が灯す揺らめく光と
不自然なほどに色鮮やかな青い薔薇の香り
そして、肌を焼くようなフィンセントの熱情だけ。
「……セシリー、おはよう。今日も世界で一番美しいね」