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#探偵
橘靖竜
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にゃいにゃい
74
第303話 預けられた身体
【現実世界・秘密研究区画/過去】
カシウスが現実世界へ渡った翌日。
榊原梓のカプセルの前には、二人の男が立っていた。
白峰律とカシウス。
透明な蓋の向こうで、梓の身体は昨日と変わらず眠っている。
胸は一定の間隔で上下し、生命維持装置も正常に動いていた。
《BODY STATUS・STABLE》
《CONSCIOUSNESS RESPONSE・REMOTE》
《RECONNECTION・UNRESOLVED》
身体は現実。
意識は異世界。
どちらも失われてはいない。
だから、まだ戻せる。
白峰はそう考えていた。
「移送中も、この状態を維持する必要があります」
白峰はカプセルの側面を確認しながら言った。
「主電源を切れるのは最大で二十七秒。
それ以上になるなら補助電源へ切り替える。
循環系と呼吸補助は止めないでください」
カシウスは装置を見る。
「分かっている」
「振動も避ける」
「それも聞いた」
「それから――」
「白峰」
カシウスが遮った。
「君は私に身体を預けると決めたのだろう」
白峰の手が止まる。
「預けるだけです」
「同じことだ」
「違います」
白峰はカシウスを見る。
「榊原さんの身体は実験材料ではない」
「では何だ」
「帰還先です」
即答だった。
「彼女の意識を戻すための、唯一の身体です。勝手なことはしないでください」
カシウスはしばらく白峰を見ていたが、やがて視線をカプセルへ戻した。
「君はまだ、元へ戻すことに拘っている」
「当然でしょう」
「元と同じでなければ、本人ではない?」
白峰の眉が僅かに動く。
「何が言いたい」
「確認しただけだ」
白峰は答えなかった。
今、その話をするつもりはない。
梓の意識は異世界に存在している。
梓の身体は現実に存在している。
二つを繋ぎ直す。
それ以外を考える必要はなかった。
少なくとも。
白峰は、そう思おうとしていた。
◆ ◆ ◆
その日の午後。
研究区画へ、一台の大型搬送車が入った。
クロスゲート社の名前はどこにもない。
車体にも。
書類にも。
運転手の制服にも。
記されているのは、白峰が一度も聞いたことのない会社名だった。
「どこの会社ですか」
白峰が聞く。
カシウスは答える。
「こちらで用意した」
「誰の名義で?」
「君が知る必要はない」
白峰の表情が険しくなる。
「身体を預ける人間に、保管先も教えないつもりですか」
「保管先は伝える」
カシウスは淡々と答えた。
「ただし、そこへ至る経路まで君が知る必要はない」
白峰は納得していなかった。
だが、時間がなかった。
匠の調査は確実に近づいている。
秘密区画の電力消費。
特殊保存液。
生命維持設備。
大型カプセルの搬入履歴。
一つずつならただの異常値で済む。
しかし匠はそれらを繋げる。
昔からそうだった。
白峰が研究室で何日も考えていることを
匠は外へ出て人に会い。
紙を拾い。
誰かの何気ない一言から
別の答えへ辿り着く。
学生時代からそういう男だった。
「始めます」
搬送担当者が言った。
カプセルの固定具が外される。
白峰は最後までそばを離れなかった。
補助電源。
正常。
呼吸補助。
正常。
循環。
正常。
脳活動。
最低値を維持。
カプセルがゆっくり持ち上げられる。
その時
白峰は思わず手を伸ばした。
透明な蓋へ指先が触れる。
冷たい。
「榊原さん」
もちろん身体は答えない。
意識は別の世界にいる。
「少しだけ、場所を移します」
誰への説明なのか
白峰自身にも分からなかった。
「戻すためです」
それだけは強く言った。
「必ず迎えに行きます」
カシウスが背後から聞いていた。
だが何も言わなかった。
◆ ◆ ◆
搬送車が施設を出る。
白峰は自分の車で後を追った。
高速道路。
湾岸方面。
倉庫。
工場。
大型施設。
夜になると人の気配がほとんど消える地域へ入っていく。
途中、搬送車が一度止まった。
白峰も停車する。
前方で別の車両が待っていた。
カシウスが助手席から降りる。
白峰も車を出た。
「何をしている」
「車両を替える」
「聞いていません」
「追跡対策だ」
「誰に対する?」
カシウスは答えない。
白峰が一歩近づく。
「匠ですか」
「彼だけではない」
「なら誰だ」
「知る必要はない」
その言葉が、二度目だった。
白峰の中に
小さな違和感が残る。
自分はカシウスと協力している。
目的は重なる。
失った者を戻す。
死を終わりにしない。
そのために世界の境界まで越えた。
だが。
同じなのは本当にそこまでなのではないか。
白峰は初めてそう思った。
「私も行きます」
「必要ない」
「榊原さんの身体です」
「だからこそだ」
カシウスが白峰を見る。
「君が動けば、雲賀匠は君を追う」
白峰は黙る。
「君が行き先を知らなければ、聞かれても答えられない」
「私を信用していないのか」
「逆だ」
カシウスの声は変わらない。
「君は匠に対して嘘をつき続けられない」
白峰の目が鋭くなる。
「何を根拠に」
「昨日、殺すなと言った」
「それとこれは別です」
「同じだ」
カシウスは言う。
「君は雲賀匠をまだ友人として見ている」
白峰は否定できなかった。
「だから君には、知らない方がいい」
新しい車両へ榊原梓のカプセルが移される。
白峰はそれを止めなかった。
正確には止められなかった。
このまま秘密研究区画へ置いておけば、匠は辿り着く。
警察へ繋がる可能性もある。
そうなれば梓の身体を自由に管理できなくなる。
戻す実験も続けられない。
白峰は自分に言い聞かせた。
これは、梓を守るためだ。
「保管場所は」
白峰が聞く。
カシウスは短いコードが書かれた紙を渡した。
施設名ではない。
管理番号。
そして一つの外部保全事業者の名称。
「ここを経由する」
「経由?」
「最終管理は私が行う」
白峰が紙を見る。
「住所がない」
「必要になれば連絡する」
「私は彼女の身体状態を確認する必要がある」
「定期データを送る」
「直接確認します」
カシウスが
ほんの少しだけ目を細めた。
「戻す方法が完成した時にな」
その言葉に、白峰は反論できなかった。
梓を戻せる方法。
今はない。
先にそれを作らなければならない。
「……分かりました」
その返事をしたことを
後になって白峰は何度も思い出すことになる。
新しい搬送車の扉が閉まる。
内部に榊原梓の身体を載せたまま
車は走り出した。
白峰はその後ろ姿を
見えなくなるまで見ていた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・クロスゲートテクノロジーズ/数日後】
「榊原さんの件ですけど」
一ノ瀬ユナが、また白峰のところへ来た。
白峰は画面から目を上げる。
「まだ連絡取れないんです」
「そうですか」
「社内アカウントも消えてました」
白峰は何も言わない。
「本当に辞めたんですか?」
ユナの目は以前より疑っている。
「本人の意向です」
「でも」
ユナは一度迷ってから、言った。
「先輩、辞めるつもりなかったと思います」
白峰の手が止まる。
「どうしてそう思うんです」
「私に仕事残してるから」
ユナは答えた。
「来月、一緒に直す予定だったところがあります」
「その予定が変わっただけです」
「じゃあ、何で何も言わないんですか」
白峰はすぐには答えなかった。
ユナは続ける。
「私、何か知らない方がいいことあります?」
その質問が白峰の胸に残った。
数秒。
「ありません」
また嘘をついた。
ユナは白峰を見たまま。
「……分かりました」
以前と違い
その声に完全な納得はなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・現在/警察関連施設・臨時合同分析室】
「これだ」
木崎の声で
城ヶ峰と日下部が画面へ集まった。
表示されているのはクロスゲート社の内部資料ではない。
当時、外部の物流会社が保管していた古い搬送記録。
出発地点。
クロスゲート関連施設。
荷物。
《医療研究用大型保存装置》
搬送条件。
《電源継続必須》
《振動制限》
《温度管理》
日下部の表情が変わる。
「人を運べる条件ですね」
「人じゃないなら、ここまで厳しい生命維持条件はいらない」
木崎が言う。
城ヶ峰が画面を下へ送る。
搬送日時。
榊原梓が退職したことになった直後。
一致している。
「行き先は」
城ヶ峰が聞く。
日下部が拡大する。
搬送先。
会社名。
施設コード。
住所。
――空欄。
代わりに、中継先を示す番号だけがある。
「会社を調べます」
日下部が検索する。
数秒後。
眉を寄せた。
「もう存在していません」
「倒産?」
「違います」
「登記が消えてる?」
「会社そのものは存在した形跡があります。ただ、活動期間が短すぎる」
設立。
数か月。
医療保全事業。
研究設備管理。
その後別会社へ事業譲渡。
譲渡先、さらに別会社。
そこからもう一社。
木崎が低く言う。
「逃がしてるな」
城ヶ峰は画面を見たまま答えた。
「ああ」
身体を、ではなく
記録を。
一つの会社を追うと、次。
そこを追うと、また次。
所有者だけが何度も変わっている。
「この最初の搬送記録」
城ヶ峰が言う。
「白峰は知っていたと思うか」
日下部が考える。
「少なくとも、この時点では」
画面を見る。
「白峰さん側の承認コードが残っています」
木崎の目が鋭くなる。
「じゃあ、本人が運ばせた」
「可能性は高いです」
「その先は?」
日下部は答えなかった。
分からない。
だが、一つだけ。
昨日までとは違う。
榊原梓は、会社から突然消えた。
それだけではない。
その直後、生命維持を必要とする大型保存装置が
秘密裏に外へ運び出されている。
城ヶ峰が椅子へ座った。
「死亡記録は」
「ありません」
「火葬」
「なし」
「医療機関での死亡届も?」
「確認できません」
木崎が画面の搬送条件を見る。
《電源継続必須》
そしてゆっくり言った。
「これ」
二人が見る。
「死体を隠した記録じゃないんじゃないか」
誰もすぐには答えなかった。
木崎は続ける。
「生かしたまま」
短い沈黙。
「どこかへ運んだんじゃないのか」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深部】
白峰律の前で
一件の古い記録が表示されていた。
現実側が、搬送記録へ到達した。
Cの声が響く。
『榊原梓の身体に関する追跡が進行しています』
白峰は黙って表示を見る。
カシウスが言った。
「いずれ辿り着くと思っていた」
白峰は静かに聞いた。
「身体は」
カシウスを見る。
「まだ生きているんですね」
カシウスは即答しなかった。
その僅かな間に白峰の目が変わった。
「カシウス」
「何だ」
「私は場所を聞いているんじゃない」
一歩も動かず白峰は言う。
「生きているのかと聞いている」
カシウスはしばらく白峰を見たあと答えた。
「少なくとも、私が最後に確認した時点ではな」
白峰の表情から何かが消えた。
「最後に?」
「管理は移してある」
「どこへ」
「今は教えられない」
昔と同じ言葉だった。
白峰は、白色コアへ目を向ける。
意識ここにある。
身体どこかにある。
かつて自分は
その二つを必ず戻すと約束した。
だが
梓を匠から隠すために、身体をカシウスへ預けた。
その瞬間から
白峰自身も
梓の身体がどこにあるのか。
知らなくなっていた。
コメント
1件
第303話、読み終えました。白峰が「預ける」と言い張るほどに、カシウスとの距離感と信頼の危うさが滲んでいて、胸が締め付けられました。特に、ユナに「ありません」と嘘をつく場面——あの短い沈黙に、白峰の孤独と決意の全てが詰まっている気がします。そして最後、自分すら梓の身体の在りかを知らなくなっている事実が、あまりにも切ないです。戻すために離したはずなのに、その手触りがどんどん曖昧になっていく感覚、すごくリアルでした。続きが気になります。