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第304話 復活した人間
【どこでもない層/深部】
榊原梓の身体について話したあとも、白峰律はしばらく白色コアを見ていた。
意識はここにある。
身体も、少なくともどこかには残っている。
それなのに、自分には繋げることができない。
かつて「必ず戻す」と約束した相手を、今も二つに分けたままにしている。
そのすぐ近くで、別の実験が始まろうとしていた。
白峰が視線を向けると、空間の中央には一台の寝台が置かれている。
そこに横たわるのは、一人の男だった。
心拍。
なし。
呼吸。
なし。
脳活動。
なし。
すでに死亡している。
だが、身体そのものは大きく損傷していない。
Cの観測結果が表示される。
《被験体A》
《身体生命反応・なし》
《死亡確認》
《身体情報・保存状態良好》
その横。
透明な保護容器の中に、一つの意識コアがある。
淡い青色。
こちらは別人。
元の身体は、別の場所で生存維持されている。
《被験体B》
《意識コア・安定》
《自己認識・維持》
《本人身体・別途保存》
白峰は表示を見比べた。
「本当にやるのか」
カシウスは寝台の男を見たまま答える。
「ここまで来て、何を今さら」
「昨日までの実験とは違う」
「違うから意味がある」
オルガが二つの反応を確認する。
「身体Aは死亡済み。意識Bは生存。接続だけなら可能」
ヴァルドは寝台周囲の結界を調整しながら低く言った。
「定着は保証しない」
「十分だ」
カシウスが言う。
白峰は眉を寄せる。
「B本人の身体へ戻すこともできる」
「それでは実験にならない」
「実験のために、別人の死体へ入れる必要があるのか」
カシウスが白峰を見る。
「君は死者を戻したいんだろう」
その一言で、白峰は黙った。
「なら確かめなければならない。死者の身体へ別人の意識を入れた時、その身体は誰になる」
「身体だけで本人が決まるわけではない」
「そう思っているなら、結果を見ればいい」
カシウスは続けた。
「その後で、記憶を変える」
白峰の目が細くなる。
「どこまで」
「必要なところまで」
「何を本人と呼ぶのかが分かるまでだ」
◆ ◆ ◆
ヴァルドが結界を閉じた。
「固定」
寝台の周囲へ薄い膜が生まれる。
オルガがBの意識コアを接続位置へ移す。
「意識位置、安定」
Cの声が響く。
『身体Aへの接続準備完了』
白峰は寝台を見る。
死んでいる。
間違いなく。
さっきまで。
カシウスが言った。
「始めろ」
Bのコアから細い光が伸びる。
胸部。
首。
頭部。
身体Aの神経反応が、一本ずつ戻り始めた。
最初に指が動いた。
次に胸が僅かに上下する。
オルガが数値を見る。
「自発呼吸、再開」
さらに。
心拍。
一度。
二度。
弱い。
だが確かに戻ってくる。
白峰の表情が変わった。
死体だった身体が呼吸している。
Cの結果。
《身体生命反応・再開》
《意識コアB・接続》
《神経同期・進行》
《身体適応・61%》
男の瞼が震えた。
そして、ゆっくり開く。
焦点が合わない。
数秒。
天井。
周囲。
自分の手。
男は急に息を荒くした。
「……何だ」
声
掠れている。
だが出た。
オルガが問いかける。
「名前を言える?」
男は何度か呼吸して、答えた。
B本人の名前。
間違いない。
次に。
自分の胸を見る。
手。
腕。
指。
「……違う」
男の顔が歪む。
「これ、俺の身体じゃない」
カシウスは聞く。
「なぜ分かる」
「分かるだろ」
男が自分の腕を掴む。
「こんな手じゃない」
胸を触る。
顔。
髪。
「俺じゃない」
Cの表示が更新される。
《意識コア・B》
《自己認識・B》
《身体識別・A》
《不一致認識・明瞭》
白峰が言う。
「当然だ」
カシウスは白峰を見る。
「まだな」
その言葉に。
白峰の表情が変わった。
◆ ◆ ◆
第二段階。
身体Aが生きていた時の記録が呼び出される。
家族構成。
仕事。
友人。
趣味。
癖。
過去の映像。
日記。
音声。
文章。
医療記録。
さらに、A本人が生前に残していた意識反応の一部。
白峰がそれを見る。
「全部入れるつもりか」
「全部ではない」
カシウスが答える。
「まずは記憶」
男が寝台の上で反応する。
「何の話だ」
誰も答えない。
オルガが転送準備を進める。
白峰がカシウスを見る。
「Bには、この工程まで説明していない」
「必要な実験への協力には同意している」
「別人の記憶を入れられることに同意したわけじゃない」
カシウスの目が僅かに細くなる。
「君がそれを言うか」
白峰の口が止まった。
榊原梓。
自分は危険を全て説明しなかった。
それでも、白峰は言った。
「知らされていない選択は、選択じゃない」
「なら、今さら正しさを覚えたか」
「同じことを繰り返す理由にはならない」
カシウスは答えなかった。
ただ。
「続けろ」
とだけ言った。
男が身を起こそうとする。
「待て。何する気だ」
ヴァルドが結界を強める。
「動くな」
低い声
身体は押さえつけられていない。
だが境界固定の膜が大きな動きを許さない。
男が叫ぶ。
「俺を戻せ!」
カシウスは見ている。
「始めろ」
Aの記憶情報が。
Bへ流れ込んだ。
◆ ◆ ◆
最初に
男の表情が止まった。
次の瞬間
目を閉じる。
「……母さん」
白峰が反応する。
B本人の母親ではない。
Aの母親。
男の呼吸が乱れる。
「何で……」
映像。
小さな家。
食卓。
誕生日。
学校。
雨の日。
病院。
初めての仕事。
喧嘩。
謝罪。
恋人。
父親の死。
それらが一度に流れ込む。
「やめろ……」
男が頭を抱える。
「知らない」
また別の記憶。
「違う」
自分のものではない。
そう言いながら涙が出る。
《人格情報A・定着率34%》
《記憶競合・強》
《自己認識B・維持》
さらに。
四十一。
四十八。
五十三。
男が突然
誰も聞いていない住所を言った。
オルガが確認する。
「Aの旧住所と一致」
白峰の顔が険しくなる。
男は自分でも驚いている。
「……なんで知ってる」
次に。
Aの勤務先。
上司。
同僚。
子どもの頃に飼っていた犬の名前。
全て正しい。
《人格情報A・定着率62%》
男が目を閉じた。
暫く何も言わない。
カシウスが尋ねる。
「名前は」
男はすぐには答えなかった。
「俺は……」
Bの名前を言おうとした。
だが途中で止まる。
額へ手を当てる。
「いや」
呼吸が速くなる。
「違う」
白峰が一歩近づく。
「何が違う」
男は白峰を見る。
その目がさっきとは違っていた。
「俺は――」
そしてAの名前を言った。
静かに。
まるで。
最初からそうだったように。
◆ ◆ ◆
空間が静まり返った。
オルガがすぐに数値を確認する。
ヴァルドは結界を崩さない。
白峰は男を見たまま。
カシウスだけが
ほとんど表情を変えなかった。
男は自分の手を見る。
さっき
「自分の身体ではない」
と言った手。
今は指を動かし不思議そうに言う。
「……動く」
カシウスが聞く。
「その身体は誰のものだ」
男は答える。
「俺のだ」
白峰の目が鋭くなる。
「さっき違うと言った」
男が眉を寄せる。
「俺が?」
「覚えていない?」
「……何の話だ」
Cの表示。
《身体識別・A》
《表層自己認識・A》
《人格情報A・定着率71%》
《記憶競合・継続》
カシウスは聞く。
「母親の名前は」
答える。
Aの母親。
「初めて働いた場所」
答える。
Aの職場。
「十八歳の時、何があった」
男は少し考え。
Aの記憶を答えた。
内容も、感情も、揃っている。
カシウスが続ける。
「好きな食べ物」
答える。
Aの好物。
「嫌いなもの」
Aの嫌いなもの。
「死んだ時のことは」
男の顔が止まった。
「……死んだ?」
「君は一度死んでいる」
男は自分の胸へ触れた。
「そんなはずない」
心臓は動いている。
呼吸もある。
自分の記憶もある。
身体もある。
「俺は生きてる」
カシウスの口元が僅かに動いた。
「そうだな」
白峰がカシウスを見る。
「誘導するな」
「事実だ」
「全部じゃない」
「では何が足りない」
白峰は答えようとして止まった。
目の前にいる男は。
Aの身体。
Aの記憶。
Aの名前。
Aの人格。
自分をAだと認識している。
Aの家族を知っている。
Aの人生について話せる。
もしこの実験を知らない人間が見たら
どう判断する。
死んだAが蘇った。
そう思うかもしれない。
だが、Cの観測結果には
もう一つ別の表示が残っていた。
《意識コア基底・B》
白峰がそれを見る。
「残ってる」
カシウスも表示を見る。
「何が」
「Bです」
白峰が男を指す。
「どれだけAの記憶を入れても、基底の意識コアはBのままだ」
「だから?」
「これはAじゃない」
カシウスが白峰を見る。
「本人はAだと言っている」
「そう思わされているだけだ」
「家族もAだと言えば?」
白峰が黙る。
「身体もA」
「記憶もA」
「人格もA」
「本人自身も、自分をAだと思っている」
カシウスは一つずつ確認するように言った。
「それでもAではない?」
「違う」
「何が違う」
白峰がCの表示を見る。
《意識コア基底・B》
「そこです」
カシウスの目が細くなる。
「コアが本人?」
白峰は答えなかった。
「ならコアからBを消せば?」
「それはBを殺すことになる」
「身体Aは一度死んでいる」
カシウスは男を見る。
「だが今は生きている」
男は二人の会話を理解できずにいる。
「何を言ってる」
その声は
Aの声。
Aの身体から出ている。
「俺は俺だろ」
白峰の表情が僅かに歪んだ。
カシウスはその言葉を聞き静かに問う。
「白峰」
「もし世界中の全員が、この男をAだと認識したら」
白峰はカシウスを見る。
「母親も」
「友人も」
「記録も」
「本人も」
カシウスの声は穏やかだった。
「それでも君は、Bだと言い続けるのか」
白峰は答えなかった。
答えられなかったわけではない。
答えはある。
これはBだ。
そう思う。
だが、それを証明する言葉が見つからない。
身体ではない。
記憶でもない。
名前でもない。
本人の認識でもない。
では人間を人間にしているものは
何なのか。
Cの声が静かに響いた。
『観測結果を更新します』
《身体・A》
《記憶・A》
《人格・A》
《自己認識・A》
《意識コア基底・B》
一拍
新しい表示。
《本人判定――不能》
カシウスはその文字を見て。
初めて薄く笑った。
「そうか」
白峰が見る。
「何が」
カシウスは答えた。
「まだ世界の方にも」
表示。
《本人判定――不能》
「本人が何なのか分かっていない」
その言葉に
白峰は何も返さなかった。
ただ
少し離れた場所で
白色コアが
一度だけ
弱く震えた。
コメント
1件
ああもう、これめっちゃ重い…でもめちゃくちゃ刺さったわ。 「身体も記憶も人格も全部Aなのに、コアだけB」って状況、SFとしてめちゃくちゃ考えさせられる。白峰が「違う」って言い張るけど証明できないもどかしさ、すごく伝わってきた。カシウスの「それでもBだと言い続けるのか」って問い、答えが出せないのがリアルすぎる。 ラストの「本人判定――不能」って表示も、世界そのものがまだ答えを持ってないって感じでゾクゾクした。白色コアが震えたの、梓さん関係あるのかな…気になる! この話、読んだあとしばらく「人間って何だ」って考え込んじゃうわ。続き楽しみにしてる🔥
#探偵
橘靖竜
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にゃいにゃい
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