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畑の中心で愛を叫ぶだね、と柚子と母親から笑われた大葉は、そこでやっと今更のように『杏子は?』と思ったのだけれど。
「アンちゃんなら帰ったわ」
母親にうながされて家の中へ入って行く羽理の背ろ姿を気にしながら、スッと大葉の方へ近付いてきた柚子が、大葉にだけ聞こえるくらいの小声でそう教えてくれた。
『大葉、私ね、最低なの……』
途端、さっき抱き締めた腕の中で小さく身じろぎながら発せられた羽理の言葉が頭の中へよみがえってきて、大葉は我知らず眉根を寄せる。
『大葉がね、彼女に縋りつかれてるのを見たとき、私、彼女が貴方に冷たくあしらわれて突き放されてしまえばいいのにって思っちゃったの……』
そんな自分のどす黒い感情がイヤで、大葉に呼び止められても逃げてしまったらしい。
『私、絶対すっごく意地悪な顔になってたと思うの。そんな酷い顔、大葉には見せたくなかったから……』
羽理は愛らしいアーモンドアイをちょっぴり曇らせて大葉を見上げながら言ったのだ。
『私、今、イヤな顔してない? 彼女は……杏子さんは大葉からあんな風に放置されてきっとすごく傷ついたよね。大丈夫かな……』
と――。
大葉は、ヤキモチを妬いたのだと盛大に告白していることにも気付けない様子でそう告げて、本来ならばライバルであるはずの杏子のことを気遣う羽理のことが、心底愛しいと思ってしまったのだけれど――。
少し冷静さを取り戻したからだろうか。今頃になって、いつの間にか姿を消してしまった杏子に対して『もう少しうまく断りの言葉を伝えられなかっただろうか?』と心がざわついてしまった。
考えてみれば、そもそも自分が恵介伯父から見合い話を持ち掛けられた時点で、ハッキリと断り切れなかったことが原因なのだ。
(あんなに長いこと待たせてなけりゃ、杏子だって変に期待することもなかったよな)
幼い頃、自分にギュッとしがみついて『たいくん、だいしゅき!』と言っていた杏子の顔を思い出して、チクリと胸の奥が痛む。
長いこと釣書を預かりっぱなしだったくせに、中を確認すらしていなかった自分の在り方はどうだったんだろう? 見る気がない書類なら、伯父が何と言おうとさっさと突き返しておくべきだったのだ。
面倒くささにかまけて相手をさんざんヤキモキさせた挙句、恵介伯父に断りの連絡を任せてしまったのは配慮不足だったように思う。
例え紹介者を介してのやり取りが見合いのセオリーだったとしても、今回の場合はそれを当てはめるべきではなかったのかも知れない。
杏子の口振りからすると、彼女のことを憎からず思っていたらしい恵介伯父が、その感情のおもむくまま。杏子に言わなくてもいいことを言ってしまったのは明白だったし、そのことが杏子を余計に傷付ける要因になってしまったのだから。
羽理の罪悪感に引っ張られるように、大葉がそんな風に思ってしまったのを見透かしたみたいに、柚子があからさまに吐息を落とした。
「たいちゃん。お姉ちゃん、貴方が何を考えているのか大体想像がつくんだけど……誰かを選ぶってことは誰かを切るってことなの。どちらを選ぶか決めたなら、選ばなかった方へは中途半端な同情をしちゃダメ」
「柚子……」
「あっちにもこっちにもいい顔をするっていうのはね、たいちゃんの心は安らぐかも知れないけど巻き込まれた方は振り回されて、たまったものじゃないの」
誰にでも優しい人間は、実際のところ誰にも優しくないのだと示唆された大葉は、小さく吐息を落とした。
柚子の言う通り。下手に杏子に心を砕いて、羽理を不安にさせたのでは本末転倒だ。
「肝に銘じとく」
大葉は姉のアドバイスを素直に受け取ることにした。
***
結局夕飯を食べていきなさいと言われて、実家で羽理とともに夕飯を済ませた大葉だったのだが、おかずの大半は自分が忙しい両親のために作り置きしておいたものばかりで。何となく納得がいかなくて結局あり合わせのもので少しだけアレンジしてちょっぴり体裁を整えたりした。『こんなんだったら一から作っても一緒だったんじゃないか?』とか思ったりしたのはここだけの話だ。
食事の途中で父・屋久蓑聡志も帰ってきて、元々、【今日は彼氏のご家族との顔合わせ!】みたいに構えて来たわけではなかった羽理は当然というべきか、やたらと緊張している様子だった。
そんな羽理を見ていた大葉は、予定外とはいえ両親に自分が見初めた婚約者の紹介ができて一石二鳥。一気に外堀を固められた気がして内心しめしめと思っていたりしたのだが、羽理に怒られそうなので黙っておいた。
***
「羽理ちゃん、また遊びに来てね」
母・果恵にニコッと微笑みかけられて、彼女の背後に立つ父・聡志からも静かにうなずかれた羽理が、「ひゃ、ひゃいっ! 有難うございましゅっ」と、やたら裏返った声でしどろもどろ答えているのが、無性に可愛く思えた大葉である。
上司であるはずの自分と裸で対峙した初っ端のときに、バスローブ姿でぶっ飛んだ発言をしまくっていた女性と同一人物とは思えないカチンコチンぶりに、羽理が自分との結婚を意識してくれているような気がして嬉しかったからだ。
さて、羽理と二人で実家をお暇しようとしたら、柚子が「私も……」とか言うから、大葉は丁寧にお断り申し上げた。
「悪いけど柚子は乗せらんねぇよ。いい加減旦那さんの待つ自宅へ帰れ」
「何でよ!」
「羽理と二人きりになりたいからに決まってんだろ! っていうか」
そこでじっと姉を見つめると、大葉は小さく吐息を落とした。
「どんな喧嘩したのかは知らねぇけど……いい加減仲直りしないと柚子も落ち着かねぇだろ?」
羽理とほんの数時間すれ違っただけで、大葉は物凄く辛かった。
ここ数日柚子がやたらと自分たちにお節介なのは、きっと旦那のことが気になっている裏返しに違いない。
「お義兄さんだって柚子と今のままはしんどいと思うぞ?」
「何よ、たいちゃんのくせに……分かったようなこと言って」
「少なくともパートナーにそっぽを向かれる苦痛は身をもって実感したばかりなんだけど?」
大葉の言葉に羽理が申し訳なさそうに「ごめんなさい」とつぶやくから、大葉は「俺こそすまん」と素直に謝った。
そんな三人の様子を、足元のキュウリが交互にキョロキョロと見上げている。
「あー、もう! すぐイチャイチャする!」
「ん? 俺と羽理のラブラブぶりを見て、柚子も優一さんが恋しくなったか?」
「うるさい!」
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