「あっ、桜だ……」
ぽつりと呟くような涼ちゃんの声。車窓の外を眺めていたらしい。その言葉に狸寝入りを決め込んでいた俺はうっすらと目を開けて窓の外を確認する。目に入るのは隣の車線を走る車。どうやら涼ちゃんが見ているのは反対側の車窓らしい。スタッフも乗れるようなロケバスではなく、マネージャーの運転してくれるコンパクトカーで移動する時、座席の位置はだいたい決まっている。助手席が俺で、後部座席に若井と涼ちゃん。ちら、とバックミラーに目を遣ると、運転席側の後部座席に座って、楽しそうに窓の外を眺める涼ちゃんの姿があった。
「お~ホントだ。結構もう咲いてんじゃん」
若井が涼ちゃんの方に身体を寄せるようにして窓の外を覗き込む。そんなに寄らずとも、お前の席からだってみえるだろうがよ。
「今週末には満開だってよ」
これはマネージャーの声。俺は薄く開けていた目をまた閉じた。
「え~いいなぁ、お花見したいよねぇ」
「今週俺ら全員スケジュールぎりっぎりだけどな」
若井が苦笑して、涼ちゃんが無理かぁとため息を吐く。
「じゃあ日曜の夜、ちょっとだけ川沿い散歩しに行こうよ。涼ちゃんちの近くの川、あそこも桜だったでしょ?深夜なら人も少ないだろうし、コンビニで団子でも買ってさ」
若井が優しい声で涼ちゃんを元気づけるように言う。わっそれいいねぇ、と涼ちゃんの声も一気に明るくなった。
「元貴も行くかな。今寝てるもんね、あとで起きたら誘ってみよ」
「行かないよ」
能天気な彼の声に苛ついて、俺は思わず間髪入れずに低い声で返す。
「あれっ、起きてたの元貴」
「起きちゃったの」
そんな言い方をしたいわけではないのに、棘の含んだ声音が彼を刺す。涼ちゃんが、あっ……と息を呑んだのが分かった。
「ごめん……僕が騒ぎ始めちゃったから……」
目を開けていないけれど、彼が肩を落としているのが目に浮かぶようだった。
「いや、そんな大きい声じゃなかったし、涼ちゃん悪くないでしょ。元貴、どうしたんだよお前。今日機嫌悪いじゃん」
落ち込む彼をなだめ、咎めるように俺に声をかける若井。俺だって分からない。なんでやたらと涼ちゃんに優しくする若井に腹が立つのか。その優しさの真意に気づこうともしない涼ちゃんに苛立ちが募るのか。なぜ自分は、彼のように動けないのだろうともどかしくなるのか。どうしてこんな風にまた冷たい言葉で君を遠くに置こうとしてしまうのか。
「うっさいな」
小さく吐き捨てる。車内の雰囲気は最悪で、俺はこんな俺が嫌いなんだと本当は声を大にして言いたい。いいじゃんプチ花見、夜はまだ寒いだろうけど、月明かりがあればものすごくきれいだろうね。ううんそうじゃなくて。俺はいいや、二人で行ってきなよ。って若井の背を押してやるんだ。いや、本当はそれでもなくて。涼ちゃん、俺とお花見行こうよ、ふたりで。って言いたいんだ本当は。分かっているんだ、もうとっくに。自分のこの苛立ちの原因なんて、結局つまらない僻みなのだ。彼への好意を前面に押し出して優しくできる若井が羨ましくて妬ましくて仕方ない。若井のように立ち回れず結局彼を傷付けてばかりの自分が疎ましい。俺の想いにも、若井の想いにも、気づくことなく能天気に過ごしている彼が憎くてたまらない。
「涼ちゃん、花見は俺らだけで行こ」
若井の言葉に涼ちゃんが頷いたかどうかは分からなかった。
週末にかけて気温が上昇したのもあり、金曜には桜は満開。風が強まるのもあって見ごろは月曜か火曜ごろまでだと先週のニュース番組は報じていたが、月曜である今日の朝には、マンションの窓から見下ろせる桜の木はもうずいぶんとさみしくなっている感じがした。早く桜が全部散ればいい。この時期にしつこく毎朝伝えてくる「開花予報」コーナーからようやく解放されるというものだ。なんで日本人ってこんなに桜が好きなんだろう。涼ちゃんだって花粉症酷いくせに花見したいとか言っちゃって。
午後から撮影の仕事があり、少し遅れて現場入りすると、控え室には準備を終えた若井がいた。
「涼ちゃんもうソロ撮り行ったよ」
「ん、分かった」
現場入りの時間がメンバーでずれている時は大体いつも涼ちゃんが一番早いことが多い。
「昨日さ、二人で桜見に行って」
「……あぁ」
今思い出した、というように振る舞ってみせる。本当は昨晩ずっとそのことが気にかかって仕方なかったのに。
「結構開花早まったでしょ。どうだったの」
何気ない風を装って聞くと
「風はまぁまぁあったけど、まだ全然残ってたし綺麗だったよ。そう、途中で強い風がぶわーって吹いて、花吹雪が涼ちゃんに直撃してさ」
若井が楽しそうに笑って話す。なんとなくもやもやがまたつのり始める。そりゃよかったね、と話を切ろうとすると
「そうそう、俺たち付き合うことになったから」
ジャケットを脱ぎかけていた手が思わず止まる。
「……そう。そりゃよかったね」
準備行ってくる、とジャケットを椅子の背もたれに掛けて部屋を出て行こうとすると
「涼ちゃんさぁ、ずっと元貴のこと好きだったんだよ」
その背中を追いかけるように若井が声をかけてくる。俺は思わず足を止めた。
「でも元貴はあんな調子だったし。俺はずっと涼ちゃんのこと好きだったから、昨日俺にしてよって口説いたの。で、オッケーもらった」
あ、そう。声が少し震えた気がした。
「なんでそれ俺に言うの」
俺は若井の方を振り返りもせずにそっけなく言った。
「……別に。報告だけしとこうと思って」
「そう。思いが叶ってよかったじゃない、お幸せにね」
俺はそのまま控え室を後にした。
撮影が終わるころには外はもう真っ暗だった。いつも通りマネージャーがそれぞれの家まで送ってくれる。涼ちゃんのマンションの前で若井が「今日は俺もここで」と言って二人で降りた。
「元貴、お疲れ様~」
涼ちゃんが笑顔で手を振ってくれる。俺もそれにちょっとだけ笑って手を振り返した。
「桜、もうだいぶ散ったな~」
再び車を発進させ、川沿いの道に差し掛かったところでマネージャーが言う。
「ね。今日風強かったもん。花見客なんてもういないや」
ふたりが見たのはこの川沿いの桜かな。昨日はどれくらい桜が残ってたんだろう。風に乗って舞う桜は綺麗だったかな。涼ちゃん、お団子食べたがってたけど深夜のコンビニにちゃんと残ってたのかな。
きっと満開の頃は賑わっていたであろう河川敷にも、今は人の姿はなかった。
「まつりのあと、だ」
小さく呟いた声は車窓の外の暗闇に溶け込んで消えていった。
※※※
都内は桜が早いですね🌸
私は一昨日お花見散歩をしてきました〜
明日はフォロワー800人記念にフォロワーさん限定の短編集の方の更新をします!
皆さまいつもコメントやいいね、本当にありがとうございます!
なかなか慣れない新生活ですが、おかげさまで乗り切れてます( ˶’ᵕ’˶)💞
コメント
34件
一気見してきました… 涙出て来ちゃいました…元両片思いって辛いなぁ…多分若井さんは大森さんの気持ち気づいてるのかなぁ…私にはそう見えました…笑
切ないお話で涙が出ちゃいました。 💙くんは❤️くんの気持ちに気づいてたのかな? 💙くん視点も気になりました…。
切なすぎる( ;꒳; ) 気づいたら涙が こういう作品もすき( ⸝⸝ ⸝⸝)👉🏻💘