「あっ、桜だ……」
車窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた涼ちゃんが、ぱっと嬉しそうに笑ったかと思うと、そう小さく呟いた。助手席に座る元貴が寝ているから気を使って声を潜めたのだろう。俺は涼ちゃんの方に身体を寄せて同じように窓の方を覗き込んだ。
「お~ホントだ。結構もう咲いてんじゃん」
でしょでしょ、と言わんばかりに涼ちゃんはこちらを振り向いて、満面の笑みで頷く。かわいい。出会ったころから変わらないこのほんわかした笑顔は、いつの間にか俺の心を捕らえて離さないものになってしまっていた。
「今週末には満開だってよ」
俺たちの会話を聞いていたらしいマネージャーが運転席からそう教えてくれる。その言葉にぱっと涼ちゃんが前を向いた。その瞳は子供みたいにキラキラと輝いている。
「え~いいなぁ、お花見したいよねぇ」
お花見か。最後にしたのはいつだったろう。こうやって移動中なんかに桜を眺める以外、きちんとお花見をしに行くなんて行為はもう長いことしていないような気がした。しいていうなら休止期間中に涼ちゃんと同居生活をしていた時に、一緒に夜に散歩に出たら桜が咲いていたことがあったっけ。結構二人ともメンタル的にぎりぎりだったこともあって、桜の時期とかそんなこと考える余裕もなかったから、「もうそんな時期か」なんて驚いたりもして。ちょっと待ってて、なんて涼ちゃんたら俺を置き去りにしてさ、戻ってきたと思ったらコンビニでビールと団子買ってきて。ボディメイク中だったからふたりともお酒も甘いものも制限されてたのに「はんぶんこならセーフ。はい共犯者ね」ってあのふわふわ笑顔で巻き込みやがって。……今思えばあの頃にはもう俺は彼のことが好きになっていた。いいな。また彼とあんな風にお花見でもなんでも笑い合える時間が取れたらいいのだけれど、いかんせん今の俺たちはあまりにも忙しすぎる。
「今週俺ら全員スケジュールぎりっぎりだけどな」
思わず苦笑いしながらそう言うと、彼は目に見えて落ち込み、無理かぁとため息を吐く。そんな彼の反応をみると、なんとか喜ばせてあげたくなって、
「じゃあ日曜の夜、ちょっとだけ川沿い散歩しに行こうよ。涼ちゃんちの近くの川、あそこも桜だったでしょ?深夜なら人も少ないだろうし、コンビニで団子でも買ってさ」
なんて思わず提案してしまう。昔俺たちがした「お花見」を、彼が覚えているかは分からないけれど、あえて「コンビニで団子」だなんて言ってみる。わっそれいいねぇ、と彼は嬉しそうに笑ってみせた。よし。思い切って言ってみるもんだな。心の中でガッツポーズを決めたのも束の間、
「元貴も行くかな。今寝てるもんね、あとで起きたら誘ってみよ」
あ、と浮かれかけていた心に小さいけれど鋭い棘が刺さる。しかし、すかさず
「行かないよ」
瞼を閉じていただけで起きていたらしい元貴が不機嫌そうに声をあげた。
「あれっ、起きてたの元貴」
「起きちゃったの」
何が気に食わないのか知らないがイラつきをあらわにする元貴。涼ちゃんは申し訳なさそうに横で、あっ……と息を呑む。
「ごめん……僕が騒ぎ始めちゃったから……」
涼ちゃんは今にも泣きそうな顔をしながら、助手席に座る元貴の方を見つめる。元貴は深く腰掛けていて、その表情は見えないが、自分の機嫌ひとつで彼の感情を左右しようというその態度が気に食わない。俺は思わず
「いや、そんな大きい声じゃなかったし、涼ちゃん悪くないでしょ。元貴、どうしたんだよお前。今日機嫌悪いじゃん」
と元貴を咎めた。しかし
「うっさいな」
と元貴は涼ちゃんに謝ることもなくそう小さく吐き捨てる。涼ちゃんが小さく俺の服の肩の辺りをくしゃりと掴んだ。視線を移すと、泣きそうな顔のまま小さく首を振る。これ以上言い争うなということらしい。
「涼ちゃん、花見は俺らだけで行こ」
いいさ、元貴がそういうつもりなら。俺は元貴にも間違いなく聞こえるようにわざと少し大きな声でそう言い放った。
涼ちゃんのことが好きなんだ、と気づいた時には当たり前のように涼ちゃんは元貴のことが好きで。元貴も涼ちゃんのことを好いているらしいということはなんとなく分かっていたから、俺はこれが諦めるべき恋だとすぐに覚悟を決めた。
なんでも器用にこなすスーパーヒーローみたいだけど少し独りよがりなところのある元貴とおっちょこちょいだけど人をよくみていてそつなくサポートをこなす涼ちゃん。お似合いだ、と正直に思った。それにふたりのことが大好きだったから、ふたりが上手くいくなら自分の想いなど邪魔でしかないと思っていた。
それなのに。
元貴は何気ない言葉や行動で涼ちゃんを蔑ろにする。涼ちゃんは気にしていない風を装っていたけれど、それで傷ついてひとりで泣いていたことがあるのも知っている。元貴は慣れや甘え、照れからそっけない言葉や態度をだしてしまうのだと俺は分かっていた——それはおそらく涼ちゃんも——けれど、だからといって涼ちゃんがそれに苦しめられる事実には変わりなかった。
なんで、好きなのにそんな態度が取れるんだよ。そんな言葉を平気で吐けるんだよ。俺は歯がゆくて仕方なかった。と同時に、それでも愚直に元貴を好きで居続ける彼のことが憎くもあった。俺ならそんな顔させないのに。そんな風に傷つけたりしないのに。
そんな想いが募りながらも、俺はやはり彼に好きだと伝えることはできなかった。元貴のことを好きで居続ける彼を馬鹿だ、弱虫だと心のどこかで思いつつも、それがそのまま自分に返ってくることを知っていた。桜を観に行こうと誘った時も、別に彼とどうこうなりたいとか元貴を出し抜こうとかそんな計画的なものではなかった。
ただ、桜をみて嬉しそうに笑う涼ちゃんの姿が見れたら。俺はそれだけで幸せなのだ、満足なのだと言い聞かせるためのものだったのかもしれなかった。
週末にかけて気温が急激にあがったのもあり、日曜の夜には桜は満開。なんなら少し散り始めの様子をみせているくらいだった。咲き誇る桜並木の下を彼は楽しそうに駆けていく。俺は思わず笑みをこぼしながら彼の後ろ姿を見送った。
「うわぁ〜すごいっ!きれ〜!」
少し先で立ち止まった彼はそのままくるくるとまわりながらスマホのカメラで写真を撮っている。俺が近づいていくと、彼はスマホをぱっと俺に向けた。
「若井〜」
嬉しそうに手を振る涼ちゃん。写真を撮ってくれるつもりなのかとちょっとかっこつけてポーズを決めると
「あっごめん、これ動画……」
と笑って涼ちゃんは膝から崩れ落ちる。
「ちょ、笑いすぎ!俺恥ずかしいやつじゃん!」
俺も笑いながら、彼に駆け寄った。
「ごめんごめん、でもかっこいいやつ撮れたよ〜」
「もうマジでそういうのいいから〜みせろって!ねぇこれまだまわしてんじゃん!何してんのマジで」
周囲に人がいないのをいいことに、ふたりで馬鹿みたいにげらげら笑いながら土手に寝転がる。ふと空を見上げれば、暗い藍色の闇をバックに薄桃の花びらの大群が視界いっぱいに広がっている。
「きれ〜……」
と思わず呟くと、横でうっとりとした表情で空を見上げていた彼もほんとだね、と呟いた。
「ね、涼ちゃん。写真撮らせて」
「あ〜ファンクラブに載せるやつ?」
「うん、人物撮るのも練習したいし、メンバーの写真のせてって要望も結構あるしね」
カメラ趣味が高じてファンクラブサイトで定期的に俺が撮った写真を載せるコーナーをもたせてもらっているのだが、今回はそれを口実にカメラを持参したのだ。これまでにも時々メンバーを被写体に撮影したものを載せているので特に不審に思われることもない。
「いいよ〜、俺若井が撮ってくれる写真好き」
よっ、と勢いをつけて彼は起き上がった。俺は寝転んだままカバンからカメラを取り出して用意を始める。
「最初どうやって撮る?」
寝転んだままの俺を覗き込む彼。その後ろには満開の桜が広がっていて、俺は思わずシャッターを切った。
「いま絶対変な顔してたよ!」
慌てて仰け反る彼。俺はいたずらっぽく笑いながらプレビューを確認する。思っていたよりも優しげな瞳でこちらを見つめるその表情に俺はどきりとしてしまう。あえてそれを彼に見せず、
「いいじゃん、そんな変わんないよ」
「ちょ、それどういう意味?!」
うそうそ、冗談だって〜と返すもちょっとふくれっ面の彼。でもすぐにあのふわふわの笑顔に戻って
「早く撮ってお団子食べよ〜」
花より団子じゃん、と俺は苦笑して、桜の木の下を駆けていく彼の後ろ姿に再びシャッターを切った。
「あれ、花筏っていうんだって」
ふたりで並んで土手に座り、撮った写真を確認していると、川を眺めていた彼がふとそんなことを口にした。すぐそばを流れている川には舞い落ちた桜の花びらが時々群を成して流れてくる。
「へぇー、よく知ってんね」
「前に元貴が教えてくれたんだよね〜」
ふふっ、と嬉しそうに笑う彼。胸の辺りが鈍く痛んだ。そんな俺の様子に気づくことなく彼は続ける。
「桜の花びらがこうやってたくさん流れてるのみても綺麗だな〜とは思うけど、それを筏みたいって表現するのって、昔の人ってすごい感性だよね……」
感心したように彼は頷きながら流れていく花びらを目で追っている。きっと彼は先人のすごさにも思いを馳せながらも、それを自分に教えた彼のことも思い浮かべているのだろう。俺はなんだか躍起になって、涼ちゃんの視線の先を遮るようにコンビニの袋を彼の目の前に掲げた。
「ほら、涼ちゃんは花より団子だろ」
「くぅ〜そういう訳では……いや団子あってこそのお花見で……」
「そこは桜あってこその団子って言うんじゃないの?それじゃほんとに花より団子じゃんか」
あれ?と首を傾げる彼に俺は思わず吹き出しながら、3本入りの三色団子のパックを開けて差し出す。ありがと、といって彼はそれを1本手に取りながら
「うわ、懐かしいな〜前も夜にこうやって桜みながらお団子食べたね」
覚えていたんだ、と俺は少し嬉しくなりながら
「ビールは無いけどね」
明日も仕事だもんね〜と彼はちょっぴり残念そうに口を尖らせる。
「ありがとね、俺が花見したいって言ったから。本当はちょっとでも長く休みたかったでしょ」
「別に。俺も桜みたかったし、写真も撮れたし。それにたまにはこういう息抜きもなきゃね」
桜こんなに綺麗なんだから元貴も来れば良かったのにね、と半分は嘘でできたことばを俺は当然のように吐く。
「……若井は、俺がしんどい時いつも気づいてそばにいてくれるよね。ほんとありがと」
「え、なに急に。照れるじゃん」
串にひとつ残った団子をみつめながら涼ちゃんが言う。俺は照れくささを誤魔化すようにもうひとくち団子を頬張った。
「前にさ、こうやってお花見したときは俺いろいろ限界だったでしょ。若井の前でも泣いちゃって。そしたらこうやって外に連れ出してくれてさ。あの時若井がそばにいてくれてよかったってどれほど思ったことか」
そんなの、涼ちゃんが望むならいくらでもそばにいるのに。でもそんなこと言えるわけなくて、俺は黙ったまま、串に残る最後の団子を口にした。最後のひとつは横からこそげるようにして食べなくては行けないのでもたついてしまう。
「今日もだけど……若井って人が落ち込んだりしてるのとか察するの上手だよね」
ふにゃりと笑った彼も最後の団子を口にする。ねぇ、それは涼ちゃんだからなんだよ。俺がどんだけ涼ちゃんのことみてると思ってんだよ。あぁ、もう言ってしまおうか。涼ちゃんの事が好きなんだって。だからこうやって落ち込んでたら気づくし、なんとか元気づけてあげたくなっちゃうんだって。
思わず口を開きかけた時、急にごおっと強い風が吹いた。ぶわりと舞う桜の花びらに俺たちは視界を遮られる。視界を覆わんばかりの花吹雪の向こう、彼と目線が交差する。何故かふと、この花びらたちが彼を俺の手の届かないところに連れて行ってしまう気がして、俺は咄嗟にその手をとってそのまま強く引いて抱き寄せた。
「わっ」
耳元で小さく彼が驚きの声をあげる。
「涼ちゃん、俺じゃダメかな」
もう風は止んでいて、抱き寄せた彼の髪の毛にたくさんの花びらが絡んでいるのがみえた。
「若井……」
涼ちゃんは小さく俺の名前を呼ぶ。
「ま、まっへ、はなびらが……」
は?と俺は肩を掴んで引き剥がす。顔を見合わせると、彼の頬や唇にまでたくさん花びらがくっついている。なんなら口の中まで入り込んでいるらしく彼はぱっと口元に手を当てた。俺は思わず吹き出してしまう。
「なんで!どうしたらそうなるんだよ」
「わ、若井が引っ張るから!その勢いで花びら食べちゃったの!」
あーもう、しまんないなぁ。俺は笑いながらため息をついた。
「ほら、こんなとこもついてる」
俺は彼の唇にくっついたままの花びらをとってやる。
「あのね、俺は誰にでもこうやって世話焼いたり優しくする訳じゃないし、落ち込んでるのとか様子がいつもと違うのをすぐ気づけるのも涼ちゃんだからなんだよ」
彼は少し困ったように眉を下げた。なにか言葉を探すように口を開いて、でも思い直したように閉じて。優しい君は、どうしたら俺を傷つけずに済むかを必死に考えているに違いなかった。狡い俺は、全部分かっているから、君に逃げ場なんて与えてあげないのだ。
「涼ちゃんが元貴のことずっと好きなのは知ってるよ」
はっ、と息をのんだ彼が目を大きく見開いてこちらをみた。
「そのうえで言ってるんだ……俺じゃダメかって。分かるよ、俺は元貴みたいに何でもかっこよくできる訳じゃないし、物知りでもない。でも涼ちゃんのことを誰よりもいちばんに好きで、涼ちゃんがしんどい時はそばにいたいし、泣いてたら元気づけたいし、楽しいことしてたくさん一緒に笑いたい」
俺にしなよ。狡くて弱い俺が、優しくて、やっぱり弱い君を絡めとるための言葉。桜の中で君は笑う。泣きそうに、笑う。
「……本当に、俺でいいの?」
俺は、彼の瞳にいっぱいにたまった涙がこぼれおちるまえにその目尻にキスをする。彼の瞬きにあわせてこぼれた雫が俺の唇を濡らした。
※※※
以前投稿した「桜のあと」の若井視点のお話でした!
コメントで若井視点も気になる、と言っていただけて、書いたものになります
中編の更新もあったのでなかなか間があいてしまいましたが……😅
もしよければまた「桜のあと」とも合わせてお楽しみください🌸
コメント
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うぁぁ、2人が幸せそうで嬉しいけども、頭の中で前回の元貴がよぎって来てうわぁぁあってなりながら読んでました🤭もう、最高🫶🫶
ありがとうございます💕 めちゃくちゃ嬉しいです✨ あの日曜日の夜に、こんなやりとりがあったとは。 諦められると思ってたのに、カメラを通しての💛君の瞳や桜吹雪に連れ去られそうな💛君に、気持ちが抑えられなくなったんでしょうね。素敵な2人だけの世界のお話が一つできてて感動です🥹お団子🍡も素敵なアイテムですね✨
あ~😭✨涼ちゃんこれは頷いちゃうよね 描写がまた綺麗で、映像みてるみたいに浮かんでくる感じが素敵だ、、 桜のあともまた読み返したくなっちゃう~