夏の陽射しが白く差し込む大学のキャンパス。
いつもより人が多く、にぎやかな声があちこちから響いていた。
今日はすちの大学のオープンキャンパス。
みことは、案内のパンフレットを片手に、胸を高鳴らせながら歩いていた。
──すちが大学生として過ごす姿を、この目で見られる。
それだけで、心の奥がじんわりと熱くなる。
校門をくぐると、広い芝生の上に立てられたテントや、学生たちの笑顔が目に入った。
そしてその中に、パンフレットを配りながら笑顔で話しているすちの姿があった。
「……すち……」
みことは思わず足を止める。
いつもより少し大人びたすちの笑顔。
Tシャツに名札を下げ、大学のスタッフとしてきびきびと動く姿。
眩しくて、見蕩れてしまう。
すちは来場者の学生たちに丁寧に説明をしていた。
柔らかい口調、相手の目をしっかり見て話す姿勢。
そのたびに、周囲の女子学生たちが
「かっこよくない?」
「あの人優しすぎ」
「ああいう先輩と付き合いたいよね」
とひそひそ話しているのが聞こえる。
それがなぜか、胸に小さな棘のように刺さった。
──すちが褒められるのは嬉しい。
けれど、「付き合いたい」「惚れちゃう」なんて言葉を聞くたびに、どうしても落ち着かない。
みことは展示教室の隅の机に座り、机に顔を伏せた。
視線を上げれば、また誰かがすちを見ている。
その光景が苦しくて、俯いたまま髪を握りしめた。
やがてひと段落ついたのか、すちがみことの方に気づいて歩み寄ってきた。
優しい声が耳元に落ちる。
「……みこと、どうしたの? 調子悪い?」
「え、あ……ううん。大丈夫……」
無理に笑顔を作ろうとするみこと。
でも、その笑みは明らかに元気がない。
すちはその微妙な変化を見逃さなかった。
「……本当に大丈夫?」
心配そうに眉を寄せ、そっとみことの頭を撫でる。
人前なのに、その手つきがいつもよりずっと優しい。
周囲の学生たちがちらちらと視線を向け始めた。
みことは「だ、大丈夫だから……」と慌てて言おうとしたが、
次の瞬間、すちの腕が自分の身体をぐいっと引き寄せた。
「えっ──す、すち……!?」
気づけば、すちの腕の中。
みことの身体は軽々と抱き上げられていた。
周囲のざわめきが一気に広がる。
「え、あの人抱っこしてる!?」
「弟さんかな……?」
「すち先輩、かっこよ……」
ざわめく声の中、すちは落ち着いた声で言った。
「弟が体調悪いみたいなんで、ちょっと保健室まで運びますね」
その言葉に、スタッフたちも「あ、はい!お願いします!」と慌てて道を開ける。
みことは顔を真っ赤にして、すちの胸に手を当てた。
「す、すちにぃっ!恥ずかしいってば……!」
「いいの。体調悪いの放っておく方が心配」
すちはみことを抱きしめたまま、ゆっくりと向かう。
腕の中のみことは、耳まで真っ赤に染まり、恥ずかしさと嬉しさの間でどうにもできずに小さく口を尖らせた。
廊下の窓から差し込む光が、二人の影を重ねる。
そんな中、すちはふとみことの髪に唇を寄せ、誰にも聞こえないように囁いた。
「……俺のこと、見ててくれたでしょ」
みことは一瞬目を丸くして、すぐに俯いた。
「……見てた。かっこよかった」
その小さな声に、すちは微笑んだ。
まるで、周囲の喧騒なんて何もないかのように、優しく、穏やかに。
すちは静かな廊下を歩き、人気のない空き教室の扉をそっと開けた。
日差しが柔らかく差し込み、埃が光の粒のように舞っている。
「ここなら少し落ち着けるね」
そう言って、すちはみことを教卓の端に座らせた。
まだ顔を伏せたままの彼の肩に、そっと腕を回す。
みことの身体は小刻みに震えていて、指先が服の裾をぎゅっと握りしめていた。
「……不安になったの?」
みことはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷く。
「……みんな、すちのこと、いいって言ってたから……」
その声はかすれていて、どこか拗ねたようでもあった。
すちはそんなみことを見つめ、少しだけ微笑んだ。
「そっか。でも、俺が好きなのは──」
言葉を区切り、みことの頬に手を添える。
視線が絡まり、互いの鼓動がゆっくりと重なっていく。
そして、すちはそっと顔を近づけた。
みことのまつげが震え、目を閉じる。
唇が触れたのは、ただの一瞬。
けれど、その一瞬が永遠のように感じられるほど温かかった。
離れたあと、すちはみことの額に軽く口づけを落とし、優しく囁いた。
「……みこと以外、興味ないよ」
みことは胸の奥が熱くなり、すちの胸に顔を埋めた。
静まり返った空き教室。
窓の外では、柔らかな風が木々を揺らしていた。
すちの胸に顔をうずめたまま、みことは小さく呟く。
「……すち、もっと……」
その声は震えていて、けれど真っ直ぐだった。
すちはみことの髪をそっと撫で、優しく問い返す。
「……もっとって?」
みことは恥ずかしそうに顔を上げ、潤んだ瞳で見つめた。
「いっぱい……して欲しい…」
その一言に、すちは思わず微笑む。
「喜んで」
そう言って、すちはみことの頬にそっと手を添えた。
唇が軽く触れる。ほんの一瞬。
またひとつ、またひとつ。
唇を重ねるたびに、みことの表情がやわらいでいく。
最初はしょぼくれていたのに、次第に笑顔を浮かべ、安心したように目を閉じた。
「……俺の気持ち伝わった?」
すちは小さく囁く。
みことはこくりと頷き、嬉しそうに微笑んだ。
光の粒が二人の間を漂い、 時間が止まったような穏やかさが教室を包んでいた。
「……なんか、俺、すごい甘えたになった気がする」
みことは照れくさそうに笑いながら、袖を軽く引っ張った。
「……もう少しだけ、離れたくないな…」
その言葉に、すちは少しだけ驚いたように瞬きをした。
周囲には見学者もいて、すちにはまだ案内の役割が残っている。
だからこそ、ほんの一瞬、言葉を失う。
「……でも、俺、まだ少し仕事が――」
そう言いかけた時、みことが小さく笑って首を振った。
「冗談だよ。ちゃんとわかってる。すち、忙しいもんね」
その途端、すちはふっと微笑んでみことの前にしゃがみ込んだ。
「じゃあ、冗談は俺のほうかもね」
「え?」
「ほら、乗って。おんぶしてく」
「えっ!? すち兄!?」
「しっかりつかまってて。落ちたら大変だから」
みことがあたふたしている間に、すちは軽々と背中にみことを背負った。
そのまま立ち上がると、自然に腕を支える手がみことの太ももに回る。
「すち、ほんとに……!?」
「うん。この方が、みことと一緒に居れるし安心でしょ?」
みことは顔を赤らめながら、すちの肩に頬を寄せた。
「……ありがと。すちの背中、あったかい」
そんな二人の姿に、周囲の学生や見学者たちの視線が集まる。
ざわ…と小さな波が立ち、
「あの人たち、すごく仲良いね」
「お兄さん優しすぎる……」
「ていうか、あの高校生の笑顔やばくない!?」
と、ひそひそ声が飛び交った。
すちはそんな視線など気にせず、いつもの穏やかな笑顔で説明を続けている。
みことはすちの肩越しに視線を漂わせながら、ふにゃりとした笑顔を浮かべた。
(見られててもいいや……。だって、すちとくっついてられるんだもん)
同じ高校の見学者がその姿を見て、思わず口にした。
「え……あれ、奏? あんな緩んだ顔、初めて見た……」
そんな中、少し遅れているまとこさめが合流してきた。
「おーい、すちにぃー! ……って、なにしてんの!?」
こさめが目を丸くし、いるまが片眉を上げて苦笑する。
「……甘やかしすぎじゃねぇ?」
そして次の瞬間、いるまがぼそっと呟いた。
「おら、みこと。兄貴の仕事の邪魔すんな」
そう言って、半ば強引にみことをすちの背中から引きずり下ろした。
「い、いるまくん!? 待って、いたっ!」
「はいはい、地上へようこそ」
こさめは笑い転げ、すちは苦笑しながら頭を掻いた。
「……ほんと、賑やかだなぁ」
けれどその口元は、どこか嬉しそうに緩んでいた。
みことも引きずり下ろされながら、思わず笑ってしまう。
――すちの隣にいられるなら、どんなにからかわれてもいい。
そんな気持ちが、みことの胸いっぱいに広がっていた。
夜の静寂が部屋を包み込んでいた。
窓の外では虫の声が微かに響き、月明かりがカーテンの隙間からこぼれている。
すちの胸の中で、みことはゆっくりとまぶたを閉じた。
温かい腕に包まれたまま、すちの鼓動が自分の鼓動と重なって響いてくる。
「……やっぱり、落ち着く」
みことはぽつりと呟きながら、すちの胸に顔を埋めた。
すちの服の布越しに、彼の体温と香りが伝わってくる。 みことは深く息を吸い込む。
「いい匂い……」
寝ぼけたような声でそう言って、小さく笑う。
すちは少し驚いたように目を細め、そしてふっと優しく笑った。
「くすぐったいなぁ、みこと」
手を伸ばし、みことの髪をゆっくりと撫でる。
その動きはまるで子どもをあやすように穏やかで、愛情がこもっていた。
「すち……」
「うん?」
「すちがいないと……眠れなくなっちゃった」
「……そっか。それなら、ずっと一緒にいればいいよ」
すちは囁くように言いながら、みことをさらに強く抱き寄せた。
みことは嬉しそうに目を細め、すちの胸に顔を埋めたまま、すちの鼓動を数えるように静かに息を整えていく。
やがて、みことの呼吸がゆるやかになり、眠りへと落ちていった。
すちはその髪をもう一度撫でて、小さく微笑む。
「おやすみ、みこと」
二人の影がぴたりと重なり、寄り添ったまま夜が静かに更けていった。
コメント
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はい、尊い