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この事態を受け、頭にカッと血がのぼるのを感じた頭目であるが、思うように体を動かせない。
虎口(ここう)に付き物の一時的な硬直などではなく。 上下関係の煩労(はんろう)から来る枷(かせ)のような物が、手足を雁字搦めに縛っている気色がした。
本来なら取るに足りないものであるが、彼のように生一本(きいっぽん)な性分の持ち主にとっては、これが思いのほか堅牢で、引きちぎるには労力がいる。
しかしそんな中、かのブロンド娘が呂律(ろれつ)を欠いた母国語で絶叫するのを聞いて、いよいよ頃合いを知った。
手近の部下に目配せを送り、腹積もりを暗に伝える。
いずれも荒事に熟(こな)れた集団とあって、呑みこみは早い。
ある者は武器を構え、ある者は痛めた体を引きずるようにして、男性の行く手に立ち塞がった。
「てめぇら……」
「もう止(よ)しましょう」
ささくれた心中とは裏腹に、図らずも情緒を纏綿(てんめん)とした物言いが、頭目の口をついた。
訓告とは違う。彼と会うのは今回が初めてである訳だし、どういった心持ちで接すれば考えを改めてくれるのか。 どのような言葉を用いれば心を動かしてくれるのか、とんと見当もつかない。
「なんだと?」
「ご無体はもう……」
「無体? 無体だと? 笑わせんなよオイ、これが無体ってんなら──!」
胸中の泥濘(でいねい)を心のままに吐き出そうとした男性は、しかし瀬戸際で思い止まった。
いかに言葉を重ねようとも、それは負け犬の遠吠えに他ならず。 さらに言えば、駄々をこねる子どもの癇癪と大差ない。
あの時、ああであったなら・こうであったなら。
そんな不毛な悔恨に時間を割くのはもう沢山だ。
「虎石さん……」
血を吐くような形相で歯噛みする男性の様子に、頭目は雷に打たれたような衝撃を得た。
この男にも、いまだ正気があったのかと。
狂いに狂った世界にあって、あるいはそれを体現する我らが組織にあって、こうまで実直に兇徒の仮面をかぶり続けることは、生半可な苦労ではなかろう。
たしかに“復讐”の一語に憑(たの)めば、我らの道理は立つ。
しかし、この男にはそれすらも──
我らに残された最後の権利すら放棄して、この男はあくまで狂気を笠に、あのお方に一矢報いるつもりなのだ。
「……遺憾ながら、お供はできかねます」
「だろうな? いいぜ、別に」
目線を逸らさず宣言する頭目に対し、男性は鰾膠(にべ)もなく応じた。
誰かと袂を分かつ場面など、往々にしてこんなものだろう。 どこにも逃げ場のない怨府にあって、去る者をわざわざ追いかけるのはバカげてる。
味気なくはあるが、後に禍根を残さぬよう計らうには、これが最善なのかも知れない。
他者の思いを背負って歩くには、峻厳すぎる世の中だ。
「ひとつ聞かせろや?」
そう思った矢先、男性の口から名残を惜しむかのような物言いがあった。
姿に似ず感傷的な男なのかも知れない。
そう思うと、妙に居たたまれぬ可笑(おか)しさが、頭目の胸間に沸々と湧いた。
「何なりと」
「お前、あいつに何を見た? いや、見せられたか」
「……何でしょうな。 いえ、実を言うと何も」
「あん?」
「あれはそう、果たして我らには見えぬものなのか。 あるいは」
「むしろ見透かされたか? てめえの方が」
眉を顰(ひそ)めた男性は、かすかに同情の機微を燻(くゆ)らせた後、握斧を腰だめに据えて、これ以上の問答を打ち切った。
対して、頭目は常用の鎖鎌を引っ提げ、これに真っ向から臨んだ。
──嘘だ。
先ほど自分が見たものを、真っ正直に伝える訳にはいかなかった。
あれを伝えてしまえば最後、この男の決意にあらぬ揺らぎが生じるかも知れない。
延(ひ)いては、その並々ならぬ覚悟に泥をつける事にもなる。
──よくて相討ちか。
ならば、何も伝えず知らせずに、このまま。
よもや自分にも、いまだ仲間を思う心が残っていたのかと驚いたが、彼女に内面を見透かされた今となっては。
あれは恐ろしい眼だ。
己の生い立ちを、道程を行状を、果てには都度ごとに感じた心の機微すらも、まるで罪状のように突きつけてくる心の鏡。
浄玻璃とは言い得て妙だ。
もっとも、そのお陰でこうして人心を──、最後まで人の心を忘れずに、務めを全うすることができる。
思うところはあるが、もはや。
いずれにせよ、実の母に申し開きの立つ人生ではなかったろう。
「クズ……」
廊下の片隅でひとり、凍りついた表情のリースは、動向を見守ることしかできない。
ピストルが手元にあればと思うものの、この場をおさめる最善の手立てについては、心中をひっくり返しても容易には見つけられず、ただただ無力感に苛(さいな)まれた。
「なに……、あれ?」
途端、彼女の口が戦慄(わなな)くように漏らした。
この死地にあって、せめて友人の安否をたしかめようと、悲痛な視線をそぞろに動かした矢先のことである。
大きく破れた壁面。
その内部は、果たして自分たちが利用する客室であるが、室内に何やら蚊柱(かばしら)が立っていた。
よくよく見ると、羽虫とは似ても似つかぬ宝石が無数、意思を得たように群舞している。
もはや元の形状をのぞむ術(すべ)はないが、それはどうやらこの部屋のシャンデリアに用いられた品のようだった。
先頃、初めてこの客室に通された折り、大いに燥(はしゃ)ぎまわったあの時の出来事が妙に懐かしく思え、鼻の奥がツンとした。
そういった情趣が胸の内々に落ち入(い)る間際、見たままに感ずる鳥肌が肌膚(きふ)を席巻し、少女の思いを有耶無耶にした。
瞬間、群れを離れた宝石が複数、弾丸のように飛来した。
「なん……っ!?」
目を見張った男性は、反射的に首を傾け、この害意に満ちた礫(つぶて)の応酬を辛くも免(まぬが)れた。
眇(すが)めて確認すると、中折れ帽のツバに穴が空いていた。
喫驚し、室内を見る。
荒れた客室の直中(ただなか)で、絶佳の乱舞を身辺に配(あしら)った葛葉が、肩先を戦慄(わなな)かせて立っていた。
「おい、お兄ちゃん」
その眼は烈火のように爛々と耀いており、先の痛手とはまた異なる感情の起伏が全面に押し出されているようだった。
口振りも同様、声音の端々に火の粉が散りそうな物言いは、図抜けた凄みを感じさせる。
左に把持(はじ)した一刀が、天日(てんじつ)のような緋々色を蓄えていた。
「あんまし調子くれてっと、マジでぶっ殺すよ?」
触らぬ神に──とは言うが、なるほどそういう事かと得心する一方で、男性の内心は追い風を得たように雀躍した。
──ほれ見ろ、化けの皮が剥がれやがった。