「この野郎……」
黙って聞いてりゃ、好き勝手なことばかり。
『たとえ相討ちになったとしても』
『たとえここで果てたとしても』
『たとえ刺し違えてでも、己の意地を徹(とお)す』
そうやって自分を無理に納得させて、どこに向かうつもりなんだコイツらは。
今にも火を噴きそうな表情の葛葉は、苛立(いらだ)ちまぎれに首筋を引っ掻く仕草をして、“他心通”を強制的に打ち切った。
場席を欠いた燐光が、放電時のスパークのように明滅を来(きた)した。
これを袂(たもと)でさっと打ち払い、言葉を選らばずに言う。
「兄(あに)さん、虎石(とらい)っさんっつったな? えらい肩凝ってるみたいだけど、今すぐ楽にしてあげようか?」
わずかに怪訝(けげん)な色を浮かべた男性は、しかしすぐに思い当たる節(ふし)を得て、眉根を山巓(さんてん)のように吊り上げた。
「てめえ、もっぺん言ってみろ?」
「あ? 聞こえたろ?」
先にやらかしたのが向こうである以上、葛葉とて殊勝に悪びれるつもりは無いが、やはり他人(ひと)の心を盗み見るのはあまり良い気がしない。
誰であろうと、心の中は等しく自由であるべきだ。
そこには知られたくない物もあるだろうし、逆に知って欲しい思いも。
それらを断りなく垣間見たことについて、罪悪感はたしかにある。
「……のぞきかよ。 いい趣味してやがんな? そこいらの変態と変わんねぇ」
「あんだとコラ? 失礼な」
この眼についてもそう。
いまだ浄玻璃と呼べる代物ではないが、人の行状や道行きを一生分、ただちに把握することが適う眼というのは、存外に難物だ。
見たくないものを見て、触れたくない思いに触れる。
それによる心身の疲弊はもちろん、行く末を左右する重大な岐路を目(ま)の当たりにしては、“そっちじゃないよ”と、“そっちに行っちゃダメなんだ”と、声を枯らして叫ぼうとも、当人に達する術(すべ)はない。
これは我ら一族に与えられた呪(かしり)なのだと、誰かが言った。
古の時代、神を奉じ、神の下(もと)にあたら命を散らした者が多くいた。
来(きた)る世のため、泣く泣く我らを貶(おとし)める真似事まで演じ、後世の悪名を一身に引き受ける形で、矢面に立ってくれた人たちがいた。
いずれ我らが台頭する国の形を確固と定めんがため、心ならずも夏山に白妙(しろたえ)をはためかせた幼い女帝がいた。
「なに見てやがる? 来ねぇんか?」
「いや……、なんかさ? 急に気が滅入ってきたっていうか」
「は? ふざけ……っ、ふざけてんのかてめぇ!?」
ともかく、他者の人生航路を見澄ます眼力と、心の内々を観察する仙力。
これを同時に起動させた日には、そこいらの巌根(いわね)を鵜呑みにしたようなストレスが、五体の活動に、果ては思考の整理に重大な影響を及ぼしてくれる。
そういった事柄を、平常の業務として淡々と熟(こな)す身内のヤバさを再認識したところで、己の狭量にほとほと嫌気が差した。
しかし、先方の為人(ひととなり)をそれとなく拾えたのは好都合だった。
「ああ言っといて何だけど、この場は退(ひ)いちゃくれんかね?」
「てめぇ……」
「腕が……、この腕がさ? ガタガタなんよ。 お前さんの斧(それ)の所為(せい)で」
「そうかよ。 そんなら──」
「それってどういうアレ? やっぱり、ケガを重症化させる感じの」
「ぶっ殺す!!!」
戦意を削ぐよう計らったつもりが、これは丸っきり火に油を注いだものらしい。
矢庭に躍動した男性は、挙措(きょそ)を失う一団をはね除(の)けるようにして、葛葉のもとへ殺到した。
この事態に、ひとまず右腕を庇(かば)う心積もりで剣線を脇に退(ど)け、虎振りの体(たい)をさっと整える。
意気を止(とど)めるつもりで実践した強(したた)かな歯噛みが、内心の混迷に拍車をかけた。
思えば小烏の神通に任せて、身辺の宝石を撃ち込んでやるのが最速の手札ではあったが、それはもはや。
一部分とは言え、彼の内面を垣間見てしまった今となっては、そうした滅法な手段に頼るのはどうしても気が退けた。
ともかく、ド頭(たま)に一発ぶち込んでおとなしくさせよう。 話はそれからだ。
「っ食らえあぁぁぁぁぁ!!!」
「………………ッ!」
敵の凶刃が形振(なりふ)り構わず駆け出す間際、透かさず左右の足を踏み変えた葛葉は、肩口の反動を利用して素早く横面に打ち掛けた。
男性にとっては、撓(しな)りのある一刀がちょうど死角から飛び出してくるようなものだから、安易には防ぎようが無い。
切先周辺の両刃は相も変わらず酔(え)い狂いの気迫を滾(たぎ)らせていたが、当面の用途に足る棟の辺りを巧妙に活用し、痛烈な打撃を浴びせかけようとした矢先
「か……っ!?」
出し抜けに、男性の長躯がびくりと跳ねた。
何事が起こったのか、すぐには理解が及ばず。 双方とも、闘争に臨んで狭めた視野を元通りに正したところ、当人の腰元に妙なものを見た。
「お前……! なんで!?」と、柄(がら)にもなく頓狂な声を上げた男性は、しばらく身動(みじろ)ぐことも忘れ、自身に纏(まと)わりつく屈強な体躯のなすがままに、がっちりとホールドされる運びとなった。
「おじいさん!」
同様に、ようやく事態を察したらしいリースが、歓呼とも悲鳴ともつかない声を上げた。
一方で葛葉にとっても見覚えのあるその人物は、紛れもなく先の宴席で見(まみ)えた老人だった。
そんな彼が、逞しい腕骨を惜しみなく揮(ふる)い、男性の身柄をギリギリと拘束するという不可解な構図。
思わず言葉を失う面々を他所(よそ)に、当人らには何やら勝手知ったる事情があるらしい。
「なんで、お前がここに居る?」
「バカ野郎。 なに言ってんだぃ、んなモン──」
言い掛けて、葛葉の眼に気づいた様子の老人は、取ってつけたような咳払いをコンコンとやった。
その仕草を隠れ蓑(みの)に、室内で飛び交う宝石の群れを。 不思議の根幹をなす一刀の神通を、目を眇(すが)めてチラリと確認する。
次いで威儀を正した彼は、一転して篤実な口調で男性に訴えかけた。
「滅多なことを。 すこし頭を冷やして考えなされ」
「……横槍かよ? 上の」
「お前さんを救いに来た。 手前の一存で」
「なんだそりゃ? 勝手なことすんじゃねぇ!」
握斧を頼みに、精一杯の仕草で凄んでみせる男性であるが、その口前には先頃の灰汁(あく)がない。
まるで不行儀を身内に見咎(みとが)められた悪ガキのような印象で、青みがかった可憐(いじら)しささえ感じさせるものだった。
これに危うくと吹き出しそうになった葛葉であるが、こちらをギロリと苛(さいな)む男性の目線を知るや、慌てて片手をパタパタと振って、潔白の意図を伝えた。
「この場は退(ひ)け。 夜が明けりゃ事態も変わる。 お前さんの心持ちもまた」
男性の肝玉を見越した老人は、説法を施すような口振りで告げた。
真剣勝負の最中(さなか)、力量の差を埋め合わせるものとは、果たして体(たい)を捨てる度胸と、一命を擲(なげう)つ覚悟であろう。
この男性には、そのどちらも備わっている。
本気で抵抗された場合、自分とて無事では済むまいと、老練な勘働きは早々に推していた。
「ちょい待った!」
これに嘴(くちばし)を容れた葛葉であるが、この行いが結果として契機になったらしい。
老人の腕骨を力任せに振りほどいた男性は、積もる情念を大きな舌打ちに認(したた)め、さっさと踵(きびす)を返してしまった。
追っても良かったのだけど、葛葉の胸中にもはや気炎はない。
小烏丸の通力が切れた途端、乱舞の群れはもとの宝石に還り、にわか雨のようにバラバラと音を立てて降りしきった。
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