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「――ミエル! 早く追おう!!」
怪物の突然の逃亡に、半ば呆けていた私にルーグの檄が飛ぶ。
「うん!」
私は返事をすると同時に、半ば思考が麻痺して呆けたかのようになっていた脳を叩き起こし、思考を回転させる。
怪物の逃亡方向は、確かに山頂方向――つまりは、国境線の方向だが、怪物自体が私達人間の都合を理解している筈は無い。
山頂方向にヤツにとっての助けとなるような何かがあるとは思えないけど、とりあえずは。
「ルーグは山道に戻ってバギーで先回りして。私は走ってあいつを追う!」
「分かった! 何かあったらいつもの合図で!」
「うん!」
私は返事をすると同時、スチールエイプの後を追って走り出す。
私が動いて間もなく、ルーグもバギーを停めた場所へと駆けていったようだ。
木々の間を躱し、倒木を飛び越えながら、逃げる怪物の背を追う。
まだ私と怪物の間は、それほど距離は開いていない。
なんとか手傷を負わせる事が出来た事もあってか、ヤツの動きはそれほど俊敏さは無いのが幸いだ。
――とはいえ、私とヤツの筋力量は相当に差があるし、元々の体力差もかなりあるだろう。
それほど急峻では無いとはいえ、山頂方向へ走っているのだから当然ながら、登り――しかも、道無き道をお互いに全力疾走しているのだ。
私は息を荒く吐きつつ銃口を、前を逃げ走る怪物に向ける。
互いの距離は二十メテル程、普段であればそれなりに当たる距離だが、今は、体力も限界に近い状態で全力疾走しながら――更に、巨体とはいえ必死に逃げる対象だ。しかも全身を鋼毛で覆われている為、碌なダメージは期待できない。
「でも、それでも!」
多少の足止めくらいにはなるだろうと、上下に激しく振れる腕を必死に堪えながら、連続で引き金を引く。
弾倉が空になるまで、無理矢理に撃った弾は、殆どがかすりもせずに、山肌に弾痕を刻む。
舌打ちと共に、弾を撃ち尽くした弾倉を外し、そのまま落として銃を太腿のホルスターに差し戻した。
(やらなきゃよかった……! 銃の下手な自分が恨めしい!)
自らの技術の拙さに歯噛みしながら、ただ自分の消耗が増しただけという結果を突き付けられる。
更に息が上がり、追う足が重くなる。
明らかに私の速度が落ちているのに、それでも互いの距離が開かないのはヤツもかなりの疲労があるのだろう。
額から流れ落ちて来る汗を拭いながら、脚を進め続ける。
――ルーグはもう、私達を追い越した頃だろうか。
そう考えたとき、怪物が突然動きを止めた。
怪物まで数歩の間合いといったところで、私も足を止め、銃に予備弾倉を差し込み銃を構える。
肩を上下させ、なんとか乱れに乱れた呼吸を取り戻そうとした刹那、怪物はこちらに向き直った。
「ヴォォオオオオオオオオオオ!!!!!」
「――ッ!?」
盛大な咆哮と共に、私に向けて突進して来る。
(やば……!)
全力で走り続けたせいか、咄嗟に脚が動かず、怪物の頭からの突進をもろに受ける。
「――うああッ!」
激しい衝撃が私を襲い、視界が一瞬真っ白になったかと思えば、左手からべきりと乾いた枝を踏んだ様な音が響き、鋭い痛みが左手から全身へ広がり、電流が走ったかの様な痺れが襲ってくる。
幾度も転げまわり、背を巨木に受け止められると、衝撃に肺の空気が口から無理矢理吐き出された。
倒れ伏しながら顔を上げれば、怪物は山頂方向では無く、横合いへ向けて走り出していた。
「う……」
全身が痛みながらも、なんとか立ち上がろうと起き上がる。脚は打ち身こそ酷くあちこちが痛むが、まだ動ける。だけど、左手は――ダメだ。薬指と小指が完全に折れてる。
「いった――」
指だけで良かったと思っていたが、左腕も激しく痛む。折れてこそいなそうだが、ヒビくらいは入っているかもしれない。
(ルーグに合図をするか――?)
いや、スチールエイプは進行方向を変えていた。
もしかすると、この近くに住処の様なところがあってそこへ向かったのかもしれない。
そうだとしたら、そこに追ってきた私を寄せ付けたくなくて、手負いの身で攻撃を仕掛けてきた可能性もある。
(もう少し、このまま追ってみるか)
ルーグとの合図は、飛翔光弾だ。
これは、甲高い音を上げながら上空で閃光が発生するというもの。
これを使えば、スチールエイプも少なからず何かしらの反応を起こしてしまうだろう。
全身の軋むような痛みを堪え、ゆっくりと立ち上がり、怪物の逃げた方へと脚を進める。
じんじんと折れた指から痛みが広がり、身体の左側が全部痛いような感覚になる。
(これ、もっかい同じの食らったら、死んじゃうかな)
顔が苦痛に歪むのを感じながら、歩を進めれば、私は小川に出た。
この小川は、山頂近くの湧水が水源で水質も良いと言われている。
こういう状況でもなければゆっくりと水を味わいたいところだが、今はそうも行かない。
アイツはこの小川を渡ったのだろうか? 川を渡れば川底の砂が舞い上がり水が濁るはずだ。
そういった形跡が無い事を見て取ると、少し上流に行ったところに、ほら穴らしきものが見えた。
(まさか、あれが巣……?)
私は、音をたてないようゆっくりとほら穴に近寄り、覗き込むようにして中の様子を伺う。
「――!」
中の様子に、私は背筋に電流が奔るようだった。
全身を血で濡らした怪物よりも、相当に小さな怪物が、私の追っていたスチールエイプに寄り添うようにしていたのだ。
(子供――!?)
怪物が子を成すなど、聞いた事が無い。
だが、鈍色の体毛や、体躯の作りからみれば、スチールエイプの幼体というのがしっくりくる。
しかしそれより――。
私は二体の怪物から、私の中に入り込んで来た感情に、自分でもはっきりと分かる程の、強い憎悪を抱いた。
成体の方の怪物からは、慈愛とも取れるような優しい感情を、幼体からは親の怪我を心配するかのような悲壮さと親愛が感じ取れた。
思わず、強く歯を軋らせる。
――私だって、そんな気持ちを親から向けられた事無いのに……!!
苛立ちと嫉妬に心が焚かれ、身体の痛みが薄れていく。
――怪物のくせに。化け物のくせに。
無意識に、私は太もものホルスターからいつの間にか銃を抜いていた。
――人間の私のほうが、その気持ちを向けられるに相応しい筈なのに。なんで。
私は内から湧き上がる憎悪を銃に込める。
「化け物のくせに! そんな綺麗な心を、抱くな!!」
怪物達が私の姿を捉え、成体の方のスチールエイプが凶悪な顎を大きく開き咆哮する。
「シャアアアアッッッ!!!」
「――ッ!」
成体が、幼体を護るように自らの背に回す。
(護……ル! イノ、チニ、カエ……テモ!!)
――やめろ。やめてくれ。そんな心を、私に見せないでくれ……!!
「ああああぁぁッ!!」
視界が滲みながらも、憎悪に任せて引き金を引き続ける。
絶望しろ! 絶望しろ! 絶望しろ! 絶望しろ!
効くはずの無い弾丸を、それでも込み上げる想いに流されて撃ち続ける。
「――ミエル!」
突然腕を掴まれ振り返れば、そこにはルーグが居た。
「倒したのか?」
ルーグの言葉に、滲んだ視界を怪物に戻せば、確かに怪物は仰向けに倒れ伏していた。
――でも、まだ、心がある。
「貸して」
私はルーグの腕を振り払い、ルーグが腰に差していた直刀を引き抜く。
「何を……?」
私は死んだように倒れている怪物の身体を足で蹴り起こすと、庇われるように震える幼体のスチールエイプと視線が交錯した。
「……」
私は無言で、幼体のスチールエイプの喉元へ直刀の切っ先を突き込む。
直刀を引き抜けば、鮮血が私に向かって噴き出し、返り血が私の身体を濡らした。