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灰色の空に見守られながら、傭兵と少女が向かい合う。
ここは空き地だ。何もないこの更地を、運動場として有効活用している。
迷いの森と名付けられた未開の土地。その奥に隠された集落で、二人は今から優劣を競う。
見届け人は赤髪の魔女だ。白衣のポケットに両手を突っ込んでおり、傲慢な態度は彼女の特権と言えよう。
「これはあくまでも力比べ。変な怪我はさせないように。わかったわね?」
審判役のハクアとしても、釘を刺さずにはいられない。
エウィンが声も出さずに頷く中、もう一人が跳ねるように右手を挙げる。
「はい! よろしくおにゃしゃす!」
モーフィスを負かしたばかりのパオラだが、本人は当然ながら衣服にすら傷一つ見当たらない。
柔らかそうな白いブラウスは綺麗なままだ。フリル袖には赤い染みがついてしまったが、これは対戦相手の返り血ゆえ、仕方ない。
真っ青なズボンも澄んでおり、せいぜいが靴の汚れくらいか。
瑠璃色のツインテールも乱れておらず、当人に疲労の色は見られない。
少女の年齢は十二歳。正真正銘の子供ながらも、その実力はイダンリネア王国の中でも上澄みだ。
対するエウィンだが、こちらもまだ十代。童顔ゆえに若く見られるも、年齢的には成人だ。
(わかってはいたけど、やりづらいな……)
子供相手にも手加減はしない。
そう思いながらも、やはり戸惑ってしまう。
それほどに、パオラは小柄な子供だ。年齢差は六歳ながらも、この少女は一層幼く見える。
両親共々、身長が低い家系なのか?
別の理由があるのか?
どちらにせよ、本人に尋ねることは避けるべきだ。
エウィンもそう理解しているため、今はこの模擬戦に集中する。
(でも、舐めてかかったら負ける。なんせ……)
小さな体にはモーフィス以上の怪力が宿っている。
比較対象に魔物を用いるなら、巨人族以上だ。
傭兵が三人で挑むような化け物ですら、眼前の少女を前にしたら霞んでしまう。
信じ難いが、紛れもない事実だ。先ほどの模擬戦で、それは証明された。
エウィンが息を飲む中、審判が大きく息を吸い込む。その予備動作が何を意味するのか、考えるまでもない。
「始め!」
アゲハや観客が見守る中、第二回戦が開始される。
ハクアの声が遠のいた瞬間だった。
待ちわびたように、少女が走り出す。
瞬く間に距離は縮まるも、目的は近寄ることではない。
パオラはじゃれつくように跳ねると、間髪入れずに右足を振り抜く。
顔面を狙う、容赦のない一撃だ。
受け入れるという選択肢を選ぶほど、エウィンは寛大ではない。左腕を盾に見立てて、その右足をせき止める。
その結果、両者の視線が一瞬だけ錯綜するも、攻防は止まらない。
顔面を蹴れずとも、主導権はパオラが握ったままだ。空振ったわけではないことから、素早く体勢を立て直せる。
間髪入れずに、つまりは落下よりも前に、左足を用いたキック。手を伸ばせば届く距離ゆえ、追撃を試みないという選択肢もまた、ありえなかった。
その勢いに気圧されながらも、エウィンは動ずることなく対処する。
避難するようなバックステップ。たったこれだけの行為ながらも、回避行動としては十分だ。
この瞬間、両者の間合いは仕切り直すように広がってしまう。
パオラが猫のように姿勢を整えながら着地した頃合いに、試合会場は完全な静寂に包まれる。
もっとも、エウィンは思考を巡らせずにはいられない。
(確かに、モーフィスさん以上だ。腕が、左腕が痺れてる……。それに、思ってた以上にすばしっこい)
挨拶代わりの蹴りを受け止めたことで、少年は一先ずの分析を終える。
事実として両者の攻防は凄まじく、その余波は轟音だけでなく突風さえ生み出した。
アゲハが固唾を飲んで見守る中、エウィンは直立のまま右足の膝を曲げる。
そして、靴のつま先で地面をトントンと叩くも、この動作自体に意味はない。
次の瞬間、反応出来た者は四人だけ。
ハクアは冷静だ。先ほどは長い赤髪と白衣が突風で揺らぐも、その魔眼は少年の軌跡を追跡出来ている。
モーフィスも落ち着いてはいるものの、エウィンの成長に心が高ぶってしまう。
アゲハは祈るように応援中だ。急発進の疾走を、その目に焼き付けている。
そして、パオラ。彼女も平常心を保った一人だ。対戦相手がそこからいなくなろうと、現在の居場所については把握出来ている。
背後だ。
ゲンコツのような打撃が迫る中、少女は予想外の一手でエウィンを怯ませる。
その手をすり抜けるような体当たりだ。正確には頭突きながらも、背後からの奇襲を避けたことは間違いない。
同時に反撃を成立させたのだから、思い切りの良さは群を抜く。
この状況には、さすがのエウィンも吹き飛ぶしかない。
「ぐえ!」
悶絶ものの鈍痛だ。パオラの石頭で腹部を打たれた以上、無傷というわけにはいかない。
外傷は見当たらないが、空気を吐き出したくなるほどには内側が痛む。
一時的な症状か?
内臓が負傷したか?
どちらによせ、エウィンの心は折れていない。元より尻餅すらついていないため、踏ん張るように姿勢を整える。
(こ、この子、めちゃくちゃ戦い慣れてない? しかも、対人戦に……)
この分析は正しい。
エウィンは七歳から草原ウサギを狩り続けているため、その経歴は十年以上だ。
見方を変えるならば、戦闘のほとんどが魔物相手に費やされた。
つまりは、対人戦の経験は浅い。
対するパオラだが、彼女はまだ十二歳の子供だ。
にも関わらず、この傭兵を手玉に取っている。
偶然はありえないとエウィンは見抜いており、ならばやるべきことは明白だ。
歩き出す。
行先は当然ながら前方だ。
予想以上に素早いことがわかった。
体格の差をものともしないと、気づかされた。
この少女は本物だ。
小さな体に秘められたポテンシャル。
ハクアに選ばれた逸材が伊達ではないと、腹部の痛みで思い知る。
それならそれで構わない。一度の頭突きで降参するほど、エウィンは物分かりの良い若者ではない。
反撃だ。改めて歩み寄ると、眼下の少女を真っすぐ見つめる。
(お人形みたいにかわいいな。でもこれは模擬戦!)
手加減など不要だ。そう自分に言い聞かせながら、右手を刃に見立てて勢いよく振り下ろす。
唐竹割り。つまりは縦のチョップであり、少女の頭頂部をガツンと叩く算段だ。
大気ごと切り裂くような勢いながらも、当たらなければ意味はない。
そもそも大振りな一手だ。
パオラはきちんと観察した上で、ひらりと後方に下がってやり過ごす。
正しい判断だ。
セオリー通りの回避行動だ。
だからこそ、エウィンの仕返しは成就する。
チョップが途中で停止した理由は、初めからフェイントだから。
同時に駆け出すも、勢いは止まらない。
ぶつかるように間合いを詰め、そのまま膝を打ち込む。これこそがエウィンの反撃であり、対戦相手がボールのように吹き飛んだことも含めて目論見通りだ。
(やり過ぎた?)
不安が脳裏をよぎるも、心配は杞憂に終わる。
「あいたたた……。でも、だいじょぶ!」
地面を擦りながら遠ざかるパオラ。停止と同時にもそっと起き上がるも、当然ながら砂場で遊んだように汚れてしまっている。
もっとも、少女の表情は曇っていない。
模擬戦は継続だ。そうであると主張するように、パオラはズンズンと歩き出す。
その姿を眺めながら、エウィンは考え込んでしまう。
(モーフィスさん並に頑丈なのか? すごい子供だ。パオラ、パオラ……、下の名前なんだっけ?)
パオラ・エヴィ。この姓は重責を担っているのだが、浮浪者のエウィンには縁遠い。
広がった間合いがいくらか縮まった頃合いに、少女が大きく息を吐く。
インターバルはここまでだ。
手を変え品を変え相手を出し抜こうと試みたが、ここからは第二ラウンド。
エウィンが威嚇するように両手を上げると、パオラは大きな瞳をパチパチさせる。
「力比べなんて、どうかな?」
「うん!」
提案が受け入れられたことで、両者はガッシリと両手を合わせる。
手四つの押し合いだ。
エウィンは長身ではないものの、パオラよりは遥かに背が高い。その差が見下ろす側と見上げる側を作り出すも、体躯の優劣と勝敗は今回に限っては結びつかない。
そうであると裏付けるように、少女は押し潰されないばかりか互角に押し合えている。
この瞬間、エウィンは三つの理由で驚きを隠せない。
小さい手のひら。
高い体温。
そして、想定以上の膂力。
(ぐううぅぅ! なんて馬鹿力! ゆ、油断すると押し負ける⁉)
裏を返すと、気を抜かない限りは拮抗だ。どちらかのスタミナが尽きない限り、この状況は崩れない。
だからこそ、この結果は必然だ。
「う~、う~!」
額に汗を浮かべながら、パオラがついに潰され始める。
身体能力はほぼ互角だ。
しかし、ある一点においてはエウィンが勝ると証明される。
持久力だ。
十年以上もマリアーヌ段丘を走り回り、アゲハと出会ってからは活動範囲を大幅に広げる。
傭兵として年季を重ねたことで、エウィンは底なしのスタミナを手に入れた。
今回の勝敗は、その差だ。
敗者が押し倒されたタイミングで、審判が勝者の名を告げる。
「そこまで! エウィンの勝ち! なんだけど、見た目が酷いからさっさと離れなさい」
ハクアの言う通り、その絵面は最悪だ。
なぜなら、十代後半の傭兵が幼女に覆い被さっている。
もちろん、観客は一部始終を観戦していたため、勘違いする者は皆無だ。
それでも、言われた側としては飛び跳ねるしかない。
「あ、ごめん。随分汚れちゃったけど、大丈夫?」
エウィンとしても、謝罪せずにはいられない。
これは模擬戦ゆえ、本来ならば不要な気遣いだ。それでもそうしてしまった理由は、眼下の対戦相手が子供ゆえか。
年齢的にも容姿からも、その認識は正しい。
ましてや、二人は出会ってまだ二日目。殴り合った間柄ながらも、良好な関係へ至るためには礼儀を欠かしてはならない。
少年の優しさを感じ取ったのか、パオラは跳ねるように起き上がる。
「だいじょぶ! おにいちゃん、すごいね。わたしのおにいちゃんみたい!」
(言ってる意味がわからない……。嫌われてはいないってことなのかな?)
純粋無垢な視線を浴びながら、エウィンは作り笑いでこの場を誤魔化す。
模擬戦はこれにて終了だ。
勝者はエウィン。
ハクアとしても予想外の結末なのか、モーフィスが指導に汗を流す様を眺めながら、エウィンに語りかける。
「どうだった?」
「めちゃくちゃ強かったです。あんな子供なのに……」
率直な感想だ。
十二歳の少女に食い下がられたという事実。落ち込みはしないものの、自信が揺らいだことは確かだ。
「本物の超越者だからね、パオラは……。私のような偽物とは、ものが違うわ」
「え? いやいや、ハクアさんの方がずっと上だと思いますけど……」
ハクアの自虐的な言い回しに賛同など出来ない。
エウィンはこのタイミングで首を傾げるも、その反応は至極当然だ。
隣の魔女は、底が見えないほどに強い。
もし、炎の魔物ことオーディエンが襲いかかってきたら、エウィンは抵抗すら出来ずに殺されるだろう。
抗えるとしたらこの魔女だけだ。
「オージス様は、特別な超越者だったの」
「特別? 超越者にも種類があるんですか?」
その名は、イダンリネア王国を建国した王のものだ。
模擬戦が終わり、訓練が再開されたことで、この場は大いに賑わっている。
周囲を見渡しながら、時に助言するモーフィス。
大きな胸を揺らしながら走るアゲハと、すっかりなついたパオラ。
その片隅で、棒立ちの二人は話し込む。
「あるわ。私やあんたもそうなんだけど、超越者と呼ばれる者達のほとんどが後天的なの。努力が実って、その段階に至ったってことね」
「なるほど。んでもってパオラちゃんは……」
「先天的な超越者。そういった資質を持って生まれた、特別な存在。オージス様もそうだったわ。そして、それくらいじゃないと、セステニアには立ち向かえない。私やあんたじゃ、資格すらないってこと」
厳しい通達だ。
エウィンとしても、眉をひそめるしかない。
それでも反論は可能であり、落ち着いた抑揚で疑問点を投げかける。
「オーディエンは、僕をご指名のようですけど……」
「そう、なのよね……。正直言うと、私も可能性はゼロじゃないと思ってる。あんたには、マリアーヌ様に通じる何かがあるみたいだし……」
マリアーヌは今でこそ真っ白な本ながらも、千年前は英雄の一人として巨人戦争に同行した。
終戦の立役者がこの女性だ。彼女の天技が、セステニアという不老不死を閉じ込めてみせる。
エウィンの天技は似て非なる性質ながらも、詠唱の言霊は偶然にも近しい。
あるいは意味のある近似なのか?
どちらにせよ、エウィンは自身の立ち位置を述べる。
「難しいことはわかりませんけど、僕はアゲハさんのためにオーディエンを倒します。そのためには、ついでにセステニアとも戦いますよ。今のところ、勝てる気なんてこれっぽっちもありませんけど……」
「そうでしょうね。焦る必要なんてないわ。パオラだって、ここから何年もかけて鍛えるつもり。それこそ、十年だろうと二十年だろうと……」
若いということは、それだけで武器となる。寿命という名の猶予が長く、その分だけ鍛錬に打ち込めるためだ。
その点においては、エウィンもまだまだ若い。
「十年後かぁ。僕は二十八歳だけど、うーむ……」
「なによ? まだまだピチピチじゃない」
「僕はそうですけど、アゲハさんが三十代のおばさんに……。さすがに、もっと早く帰してあげたいなぁ、と」
若者らしい失言だ。
もちろん、悪口ではなくアゲハを気遣った結果の発言ながらも、ハクアは赤髪を傾けながら目を細める。
「あぁ、そういう……。むしろ好都合じゃない?」
「え?」
「十年も経てば、あんた達の間に子供の二人や三人は生まれるでしょうし、アゲハも一人で帰らずに済むじゃない」
思いもしなかった指摘に、エウィンは開いた口が塞がらない。
実は、二人の背後でアゲハが盗み聞きしている。自身の名前が聞こえたことから、こっそりとランニングを切り上げた。
その顔はトマトのように真っ赤だ。黒髪をがっしりと握るほどには緊張しており、エウィンの反応を待ちわびる。
「何をおっしゃる。僕とアゲハさんはそういう関係じゃありませんから。そもそも僕に、誰かを好きになる資格なんてありませんし……」
「あんたって時々、そういう斜に構えた言い方するわね。かっこつけてるの?」
「違いますー。事実を述べてるだけですー。アゲハさんには待ってくれてる人がいて、僕にはいない。それだけです」
「ふーん、やっぱりかっこつけてるだけじゃない」
ハクアは言葉の意味を全て理解していない。エウィンの曖昧な物言いを真正面から受け止めるつもりもなく、それでも年長者として皮肉たっぷりに反論してみせる。
この議題の根幹は、つまるところエウィンのトラウマだ。
父親が漁船と共に燃え尽き、六歳の少年は母親と共に故郷を追い出された。
その結果、イダンリネア王国にたどり着くことなく、母親はゴブリンに殺されてしまう。
痛ましい過去だ。
エウィンは子供心に悔い続けてしまう。
自分だけが逃げ延びたことを。
庇われたばかりか、見捨ててしまったことを。
この出来事は強烈なトラウマとなったばかりか、少年の生きる方針さえ左右してしまう。
自分も同じように誰かを庇って、そして死にたい。
これこそがエウィンの根幹であり、人格に潜む闇と言えよう。
いつ死んでも構わないという自虐的な思考が、恋愛感情を遠ざける正体だ。
もちろん、ハクアはそこまで把握出来ておらず、エウィンの発言に首を傾げてしまう。
この話の落としどころは不明だ。
それゆえに、言葉尻を捉えずにはいられなかった。
「まぁ、僕はかっこいいかもですけど」
「あっそ。あんたって隙あらばアゲハのこと目で追いかけてるけど、もしかして胸やお尻目当て?」
「いえ? 足も見てますけど……」
「ふ~ん、アゲハー」
その結果がこれだ。
ハクアの告げ口など関係なしに、エウィンの眼球が潰される。
見慣れた光景ゆえ、周囲の誰もが反応すらしない。
少年の叫び声が木霊する。自業自得ゆえ、治療は当然のようにじらされた。
ここはコンティティ大陸。
ここは迷いの森。
ここは魔女の集落に設けられた、空き地のような鍛錬場。
模擬戦の二回戦目は、エウィンの勝利で決着だ。
実は、どちらも本気を出し切っていないのだが、この少年の勝利は揺るがない。
超越者として、エウィンは新たな一歩を踏み出す。
ゴール地点は遥か彼方。足踏みなどしてはいられない。
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