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教室の窓の外は、すっかり夜になっていた。
残っていた生徒の声も、靴音も、もう何も聞こえない。
日下部は黙っていた。
机に腕を置いたまま、遥の隣に座っている。
距離は、近くもなく、遠くもない。
でも、息が触れ合いそうな沈黙の中、どこかがずっと軋んでいた。
「……なあ」
日下部がようやく口を開いた。
声は、低いが、迷いを含んでいた。
「おまえが……いつも何も言わない理由、少しはわかったつもりでいた。でも……違ったのかもしれない」
遥は、反応を見せなかった。
じっと、机の端を見つめている。爪の先で、木目をゆっくりなぞっている。
日下部は続けた。
「俺……おまえのこと、“守りたい”って言ったこと、あるよな」
「……あったな」
「……それ、違ってたかもしれないって思った」
遥の指が止まった。
「俺は……守るって言いながら、おまえの中に入ろうとしてた。……おまえのこと、わかりたいって。近づきたいって」
「……それの何が悪いんだよ」
遥の声は、ひどく静かだった。
そのくせ、底の方で強く震えていた。
「わかってくれようとすんのは、ありがたいよ。……でも、おまえはさ、たぶん、“それ”を……“優しさ”だと思ってんだろ」
日下部は答えられない。
遥は、机から目を逸らして、日下部を見た。
その顔は怒ってなどいない。ただ、どこか冷えていた。
「でも俺にとっては、それ、優しさじゃない。“罰”なんだよ」
「罰……?」
「触れようとすんな。わかろうとすんな。“そっとしておいて”って言ってんじゃねえか」
日下部の喉がかすかに鳴る。遥の言葉が、胸に重く突き刺さった。
「おまえが善人なのは分かってる。でもな、そういうのが一番つらい。
“触れたい”って思われた瞬間に、“ああ、また壊す”って思っちまう。……もう、手遅れなんだよ」
「それでも……っ」
「それでも、何?」
遥の声は、乾いていた。
「それでも……俺は、おまえのこと……」
遥は、日下部の手にふれかけた。
けれど、その指は途中で止まり、そのまま机の上に戻った。
「……もう、やめよう」
遥が言った。
「おまえが何を考えてんのか、わかんなくなる。……いや、わかろうとしてくれてんのは、分かる。でもそれが、一番つらい」
「わかってほしくないのか?」
「わかってもらっても、もう戻れないんだよ」
遥は立ち上がった。
音を立てないように、椅子を押して、教室の出口に向かう。
「──日下部。おまえが俺に触れるたびに、
“こいつも、俺が汚してる”って、思っちまうんだよ」
「俺はたぶん、もう誰ともつながっちゃいけない」
「おまえを、これ以上……汚したくない」
そのまま、振り返らずに扉を開けた。
廊下の光が差し込む瞬間、遥の背が一瞬だけ照らされて──すぐ、闇に沈んでいった。
日下部は、立ち上がれなかった。
そこに残されたのは、ふたりの間に落ちた、“届かなかった気持ち”の残響だけだった。