テラーノベル
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教室には、もう誰もいなかった。
遥が去ってから、どれくらい経ったのかもわからない。
けれど日下部は、まだ椅子に座ったまま、微動だにできなかった。
(……なんで、あいつは、あんなことを)
「優しさが、罰……?」
声に出すと、ひどく空々しかった。
けれど、遥の目が本気だったことだけは、わかる。
あの時の声。あの拒絶。
全部、作り物なんかじゃなかった。
わかってたつもりだった。
遥が、何かを抱えていることくらい、ずっと前から。
でも──。
(違ったんだ。俺が思ってたより、ずっと……)
遥の苦しみは、“寄り添えば届く”なんて生易しいものじゃなかった。
もっと深くて、もっと狂ってて。
その歪みの底を、俺はのぞきこんだつもりで、結局、なにもわかってなかった。
机の上に、置き去りにされた遥の指の跡があった。
さっきまで、あの細い指がそこに触れていた。
日下部は、思わず自分の指を重ねる。
温度は、もう残っていない。
それでも、胸の奥が、何かにぐっと締めつけられた。
(……放っておけるわけ、ないだろ)
遥は、「触れないでくれ」と言った。
「汚したくない」と言って、俺を遠ざけた。
でも、違う。
そんな風にしか世界を見られないあいつが、今も、あの家で……
誰にも知られずに、ひとりで壊れていってるって考えたら──
日下部は、喉の奥が詰まるのを感じた。
(だったら……どうすりゃいいんだよ)
“そっとしておく”のが正解なのか。
黙って、見なかったふりをするのが、正しいのか。
でも、それであいつが、もっと壊れていったら──
それこそ、「助けられたかもしれないのに」って、自分を許せなくなる気がした。
椅子から立ち上がる。
机の影が、ひどく長く伸びていた。
(もう、何が正しいかなんてわかんねえよ)
けれど。
間違ってたとしても。拒まれても。
それでも──
(あいつの声が、聞きたい)
(ただ、それだけなんだよ)
静かな夜の廊下を、足音だけが鳴った。
追いつけるかなんて、わからない。
でも、今はただ、それでも──「向かいたい」と思ってしまう自分を、止められなかった。
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