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第26話:ナナの詩
その朝、街はよく晴れていた。
人工光ではなく、めずらしく雲の隙間から**“本物の陽”**が差し込んでいた。
ナナはその光を、手のひらでそっと受けとめた。
制服のリボンを外し、胸元には手縫いの布をつけている。
その中央に、小さく刺繍された一文字――「うた」。
午後、管理区域第3区・中央歩行デッキ。
無数の人が行き交う、商業エリアの中心。
スピーカーも広告もAI音声で統一された、“完全に最適化された広場”。
そこにナナは立った。
手に持っていたのは、手書きの紙と、小さな拡声機。
認可を受けていない機材。
使えばスコアは下がる。
でもそれ以上に、“言葉が届く距離”を選んだ。
人々の足音にまぎれ、
ナナの声が、小さく響く。
「……あの、少しだけ、聞いてください」
誰も足を止めない。
だが、数秒後――風が止んだ。
そして彼女は、詩を読んだ。
> 「笑わなくてもいいって、
> 誰かが言ってくれたら、
> 今日くらいは、
> 泣いてもいい気がしたんだ」
>
> 「“元気?”って聞かれて、
> うまく笑えなかった昨日より、
> “そうじゃない日”を、
> ちゃんと感じられた今日のほうが、
> ほんの少し、わたしだった。」
彼女の声は震えていた。
でも、それは決して不安からではなかった。
それは、“感情の芯”に触れている声だった。
数人が立ち止まる。
AIカメラが警告色を点滅させる。
だが、それでもナナは続けた。
「……わたしは、名前も意味もないまま、
ただ、生きてきました。
だけど今日、初めて“名前を呼ばれた気がした”んです。
それが、“詩”でした。」
警備ドローンが上空に現れる。
周囲に警告アナウンスが流れ始める。
「未認可音声行為を確認。停止を要請します。」
ナナはそれを見上げて、小さく微笑んだ。
「止められてもいいです。
でも、“届いた”って思えたら、
わたしの一日は、それだけでいいです」
その一言が、
その場にいた誰かの胸に、ゆっくりと沈んでいった。
その夜、ナナの行動は《SOLAS》の記録にこう残った。
【情緒表現行為・非許可:影響度不明】
【評価下落処理:済/個別監視レベル2へ移行】
だが、ナナのスコアが下がったその日、
街頭で“同じ詩”を口ずさむ小さな女の子の姿が、カメラに記録されていた。
次の日、ミナトはその録画を再生しながら、そっと言った。
「……君の声、ちゃんと誰かに届いてる」
そしてナナの詩は、紙で、口で、記憶の中で――
消えない“風”になって、街を歩いていた。