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ホー、ホー、という梟のような鳥の声で目覚めたルシンダは、辺りがすっかり暗くなっていることに気づいて驚いた。
窓の外は黒く塗りつぶされたようで何も見えず、部屋の中もランタンの明かりしかなく薄暗い。
「私、夜まで眠っちゃったんだ……」
ぽつりと呟くと、寝台のすぐ横から柔らかな声が聞こえてきた。
「ルシンダさん、起きたんだね」
思わず身をすくめて振り向くと、ディオンが穏やかな笑みを浮かべてルシンダを見つめていた。
黒髪と暗い色の服装のせいで、まったく気がつかなかった。
「ディオンさん……。すみません、私こんな時間まで……もっと早く起きるつもりだったのですが──」
「いいんだよ、気にしないで。それだけ力を消耗したってことだよ」
優しく気遣うようなディオンの言葉に、ルシンダもほっと安心する。
「そういえば、魔力は戻った? 魔術は使えそう?」
ディオンに尋ねられ、ルシンダが片手の平に力を込める。
しかし、うっすらとした光が一瞬だけ浮かんだだけで、すぐにかき消えてしまった。
「……まだ全然みたいです。やっぱり数日は休まないとダメなのかもしれませんね」
「そっか」
「重ね重ねご迷惑をお掛けしてすみません……」
「大丈夫だよ、魔術なら僕だって使えるから頼ってくれればいいんだし」
「……はい、ありがとうございます」
たしかに、魔術なら魔術騎士であるディオンも十分以上に使えるから、帰り道で何かあっても問題ないだろう。治癒の魔術が使えなくはなるが、回復薬も持って来ているし、この森には致命傷を負わされそうな魔物もいないから問題はなさそうだ。
(とりあえず、早く寝台から起きなくちゃ)
もう外は真っ暗になってしまったから、今から森を抜けて村に帰るのは危険だ。
今日はこの小屋で一夜を明かして、明日日が昇ってから帰るほうが安全だろう。
そう考えて宿泊の支度をしようとしたルシンダだったが、突然ディオンに肩を掴まれ、驚いて彼の顔を見上げた。ディオンは笑顔のままルシンダの肩を押さえ、再び寝台へと座らせる。
「ディオンさん……?」
ディオンがその柔らかな笑みを深めて、ルシンダを見下ろす。
「魔力切れを起こしたことなんて全然気にしなくていいよ」
ディオンの声は落ち着いていて、表情も笑顔を保ったままだが、その眼差しにはどこか冷たい光が宿って見える。
「でも、ルシンダさんは僕に謝らないといけないことがあるよね?」
「謝らないといけないこと……ですか?」
それは、やはりルシンダが寝過ぎたせいで、日帰りの予定を狂わせてしまったことだろうか。
しかしそのことは先ほど謝罪して、気にしなくていいと言ってくれたはずだ。
ディオンが何のことを指しているのか分からず、何も言えないでいると、ディオンはやや苛立ったように口の端を歪めた。
「分からない? ルシンダさんのライルへの態度のことだよ」
「……え?」
思いも寄らない答えに、ルシンダがぱちぱちと瞬く。
するとディオンは口もとをさらに歪ませて話し続けた。
「さっき、いくら魔力切れで足が立たなかったとはいえ、僕の目の前でライルに抱きかかえられるなんて酷くないかな? たしかにライルは大丈夫かもしれないとは言ったけど、僕が傷つくかもしれないとは思わなかった? それとも、僕を嫉妬させたかった?」
言われている意味が分からない。
なぜライルに抱きかかえられるとディオンが傷つくのだろう。
なぜディオンを嫉妬させる必要があるのだろう。
返答に困ったルシンダがわずかに眉を寄せると、ディオンがルシンダを寝台に押し倒した。
ランタンの光を背にしたディオンが暗い影のようにルシンダに覆いかぶさる。
「僕たちの関係は秘密にするって言ったけど、他の男と触れ合うのは許せないよ」
「私たちの関係……?」
一体何のことか訳が分からず聞き返すと、ディオンはルシンダの髪を掬い取り、妖しい笑みを浮かべて頬ずりした。
「僕とルシンダさんはもう恋人同士じゃないか」
「……っ!?」
驚きすぎて言葉も出ない。
ただただ目を丸くして目の前のディオンを見つめていると、彼は愛おしげにルシンダの頬を撫でた。
「僕は、魔術師団との合同演習で初めて君を見たときからずっと好きだったよ。だから、君も僕を想っていて、今回の同行者に指名してくれたのが本当に嬉しかった」
満足そうな表情で語るディオンとは対照的に、ルシンダは全身の血の気が一気に引いていくのを感じた。
(ディオンさんが私を好きだった? 私がディオンさんを想っている? そんなこと、一言も言ってないのに──)
ずっと穏やかで空気の読める先輩だと思っていたディオンが、今は得体の知れない恐ろしい人物にしか見えない。
「ラ……ライルっ!」
二人でいる恐怖に耐えられず、ライルの名を叫ぶと、ディオンの瞳が暗く翳った。
「どうしてアイツの名前を呼ぶの? 僕がいるのに、他の男のことなんて考えないでよ」
「で、でも……」
この小屋には、もうひとつ調理場となる部屋があった。
ライルの姿が見えないのは、きっとそちらの部屋にいるからだろう。
(さっきの私の声が聞こえてたらいいんだけど──)
調理場の方向に顔を向けると、ディオンがぐいっとルシンダの顔を自分のほうへと向け直した。
「もしかしてライルを気にしてるの? 大丈夫だよ、今アイツはここにはいないから」
「えっ……」
ライルがいない?
信じたくない言葉に、思わず絶句する。
「旅の間ずっと邪魔だったけど、さっき先に村に戻って浄化完了の報告をするよう頼んだんだ。君のそばを離れるのをだいぶ渋っていたけど、ルシンダさんのために医者を呼んでおいてくれと言ったら行ってくれたよ。──だから、今ここには僕とルシンダさんの二人だけだ」
ディオンが柔らかく目を細め、ルシンダは絶望に瞳を揺らした。
あの村には医者はおらず、手配するなら隣町に行くしかない。
ライルがディオンからの命令を終える頃には、もう日は暮れていただろう。
一度村に戻ってしまったら、普通はそのまま仲間の帰りを待つだろうし、ライルが責任感の強さからまた戻って来ようとするとしても、辺りが暗い中で難所続きの森に入ろうとするのは考えづらい。
ライルの助けが期待できないなら、自分でなんとかするしかないが、今ルシンダは魔力切れのせいで魔術が一切使えない。
不安と焦りでルシンダの手が小刻みに震える。
(……大丈夫、話せばきっと分かってくれる。まずはディオンさんの誤解を解いて──)
ルシンダが意を決して口を開く。
「あの、ディオンさん」
「なんだい?」
「その、少しお互いに行き違いがあったみたいで……。私の言い方も誤解を招いたのかもしれませんので、きちんとお話しさせていただきたくて……」
「何の話?」
こちらを真っ直ぐに見つめるディオンの目に怯えながらも、言葉を選びながら返事する。
「ディオンさんが私をす、好きだと思ってくださるのは嬉しいです」
「うん」
「わ、私もディオンさんを素晴らしい方だと、思っています」
「うん、ありがとう」
「ただ、それは立派な魔術騎士として尊敬しているという気持ちが強くて、恋人になりたいと思っているわけではない、というか……」
一生懸命に説明しようとしたルシンダは、しかしどんどん冷ややかになっていくディオンの表情を見て、きちんと話せば分かってもらえるはずだという期待は無意味だったことを悟った。
「……どういうこと? ルシンダさんは僕のことが好きじゃないの?」
「えっと、あの……」
「僕のことが好きだから護衛役に指名してくれたんだよね? 僕と二人だけで旅するのが恥ずかしくて友達のライルも仕方なく呼んだんだよね? 村の部屋で僕と二人きりになったとき、僕を見て顔を赤らめてたよね? ねえ、そうだよね?」
「いえ、それは……」
瞬きもせずにこちらを見下ろす冷たい目が恐ろしい。
ディオンの両手が檻のようにルシンダを取り囲み、逃げることもできない。
すると突然ディオンが「ああ、そうか」と呟いて笑い出した。
「ディオンさん……?」
すぐ目の前で乾いた笑い声を立てるディオンに恐る恐る呼びかけてみると、彼は怒っているとも笑っているともつかない表情でルシンダに顔を寄せた。
「やっと分かったよ。君が好きなのは僕じゃなくてライルだったんだね。邪魔者はライルじゃなくて僕だったんだ。あはは、ひとりで勘違いして、なんて馬鹿だったんだろうね僕は」
誤解は解けたのに、そのことがかえって恐ろしく感じられて、ルシンダは返事をすることができない。
「君と相思相愛だなんて勝手に思い込んでごめんね? 僕なんかが君の心を手に入れられるわけなかったのにね?」
「い、いえ、そんなことは……」
「でも、僕だけが悪いわけじゃないよね? ルシンダさんだって思わせぶりだったと思うよ? 僕のことをもてあそんで楽しかった? 僕はルシンダさんのことを本当に愛しているのに、すごく傷ついたよ? 人をもてあそんで傷つけるなんて悪いことだよね? 悪いことをした人にはお仕置きが必要なんじゃないかな?」
ディオンの手が、ルシンダの両腕を力強く押さえつける。
先ほどまで翳っていた彼の瞳は、今は異様な光を帯びていて、直視するのも恐ろしかった。
「す、すみません、放してください……」
「だめだよ」
「お願いします、ディオンさん」
「だめだってば」
「もうやめてください、どうか放して……!」
「だめだって言ってるだろう!」
大声で怒鳴られ、ルシンダが恐怖でぎゅっと目を瞑ったとき。
突然、寝台の横の窓が吹き飛び、突風とともにガラスの破片がディオンの体に勢いよく突き刺さった。
「ぐあっ……!」
ディオンが寝台から転げ落ち、激痛にうめき声をあげる。
ガラスはディオンの顔面もかすめたようで、頬に大きな切り傷ができていた。
ルシンダは何が起こったのか分からずも、ディオンから解放された隙を逃すことなく寝台から身を起こして立ち上がる。その直後、壁の穴と化した窓の向こうから自分の名を呼ぶ大きな声が聞こえてきた。
「ルシンダ! 大丈夫か!?」
聞き間違えるはずのない声。
しかし、今聞けるとは思いもしなかった声に、ルシンダが驚いて振り返る。
その先には、ランタンの明かりに照らされて、まるで燃え上がる炎のように揺れる赤髪が見えた。
「ライル……!」
ルシンダが名前を呼ぶのと同時に、ライルが軽々と窓から小屋に入り、ルシンダの元へと駆け寄った。
「ルシンダ、怪我はないか!?」
「はい、大丈夫です。どこも怪我はしていません」
「よかった……」
ルシンダの無事を確認したライルが、心底安堵したように溜め息をつく。
それからすぐにルシンダを後ろ手にかばい、腰に佩いていた剣を抜くと、その切っ先をディオンへと向けた。
「貴様、ルシンダに何をしようとしていた」
「”貴様” だと……? 目上に向かってよくもそんな口を……」
「黙れ。護衛対象──しかもあろうことか国の宝である聖女に狼藉を働こうとした者を敬う道理はない」
鋭く言い放つライルをディオンが憎しみのこもった目で睨みつける。
「うるさい! お前がいなければ……お前さえいなければ! ルシンダさんも僕を愛してくれたはずだったのに!!」
血塗れのディオンが、ガラスの破片が突き刺さった腕を上げて雷撃の魔術を放つ。
しかし、ライルはすでにディオンの動きを読んでいたかのように風魔術でディオンの腕を狙って攻撃を逸らすと、すぐさまディオンの胸を蹴り飛ばし、仰向けに倒れた彼の喉元に剣を突きつけた。
「これ以上、足掻いても無駄だ。お前は俺に勝てない。次に攻撃しようとしたら両手を斬り落とす。嫌なら大人しくしていろ」
「ぐっ……」
実力差を悟ったのか、ディオンがやっと大人しくなる。
ライルはルシンダに少し待つよう伝えると、ディオンを小屋の外へと連れ出し、しばらくしてから戻って来た。
「縛りつけて逃げられないようにしてきた。あとは一応怪我の手当ても最低限だけ。今は気を失っているから安心してくれ」
「そうですか……ありがとうございます」
ルシンダが安堵の溜め息を漏らすと、ライルがルシンダを抱きしめた。
「怖い思いをさせてしまって本当にすまない。俺がルシンダのそばを離れなければ……」
ライルの声が後悔で震え、ルシンダを隠すように抱きしめる手に力が込められる。
「あまり自分を責めないでください。ライルはちゃんと私を助けて守ってくれました。まさか戻って来てくれるなんて思わなかったから本当に嬉しかったです」
ライルの腕に包まれている安心感で、先ほどまで感じていた恐怖がだんだんと薄れていく。
ルシンダがお礼の言葉とともにライルの背中に手を回すと、ライルがルシンダの肩に頭を寄せた。
「別れ際のディオンの表情が妙で気にかかってたんだ。信頼していた先輩だったが、念のために戻って来てよかった」
「そうだったんですね。ライルのおかげで無傷で済みました」
「間一髪助けられたが……もしルシンダが怪我でもしていれば、俺は奴を殺していたかもしれない。いや、今でも本当は殺してやりたい」
ライルの物騒な言葉にルシンダが驚く。
「いえ、そんな、いくらなんでも私のためにそこまでは……」
反射的に遠慮の言葉を口にすると、ライルが顔を上げてルシンダを見た。
「重い男は嫌か? 嫌だよな……さっきディオンから酷い目に遭わされたばかりで……」
「い、いえ! ディオンさんとライルは全然違いますから!」
ライルがあまりにも落ち込んだ声を出すので、ルシンダがつい声を張り上げて否定する。
「……そうか?」
「はい、違います!」
「よかった……」
ライルがほっとしたように眉を下げる。
それから、琥珀色の瞳に申し訳なさそうな感情をにじませて、ルシンダを真っ直ぐに見つめた。
「本当はこんなときに言うべきことじゃないのは分かってる。もっと他にいいタイミングがあるはずだって。でも、もうルシンダには俺の手の届かない場所にいてほしくないんだ。俺がお前を一番に守れる理由が欲しい」
ライルが忠誠を誓う騎士のように跪き、厳かな面持ちでルシンダの手を取った。
「私、ライル・マクレーンはルシンダ・ランカスターに生涯唯一の愛を捧げると誓う。──この先もずっと、俺がルシンダを守りたい。守らせてくれないか。誰よりも近くで」
思いがけない求愛に、ルシンダは言葉を失ったまま呆然とライルを見つめる。
その静寂に怯むことなく、ライルは長年の想いを込めた熱い眼差しでルシンダを見つめ返した。
「愛している、ルシンダ」
その言葉を聞いた途端、先ほどディオンに襲われたときにさえ流さなかった涙が溢れ、ルシンダの頬を伝っていった。
「……その涙は、どっちの涙だ?」
ライルの問いかけに、ルシンダが泣き笑いの表情で答える。
「嬉し涙に決まってるじゃないですか」
次の瞬間、ルシンダはぐいっと手を引かれ、再びライルの広い胸の中に閉じ込められた。
「それはつまり、ルシンダも俺と同じ気持ちということだよな?」
「はい、私もライルが好きです。愛しています」
「信じられないくらい幸せだ。まさか都合のいい夢なんじゃ……」
「夢じゃないです。夢では困ります」
ルシンダも幸せな気持ちで微笑むと、ライルの優しい声が降ってきた。
「ルシンダ、顔を上げてくれるか?」
「はい──んっ……」
上を向いた途端、ライルの大きな手が顎に触れ、唇に温かく柔らかなものが触れた。
「ラ、ライル……!」
驚いて抗議すると、ライルが愛おしそうに目を細めて笑った。
「すまない、ずっと我慢してたのが抑えられなかった」
「……っ!」
ルシンダが頬を赤く染めながらライルを睨む。
「不意打ちなんてダメです。……もう一度ちゃんとしてください」
「……ごめん、分かった」
二人の唇がゆっくりと近づいて重なる。
今度はすぐに離れることはなく、薄暗がりの中で二人の影がひとつに溶け合った。