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## 終わりのあとの図書室
世界の灯火がすべて消え去ったあとも、その「最果ての図書館」だけは、次元の隙間に浮かぶ小島のように、ただ静かに存在し続けていた。
管理人をしているのは、一人の青年だった。
彼は自分がいつからここにいるのか、そしてなぜ自分がこの場所の管理人になったのかを知らない。彼にあるのは、「本を守り、整理する」という、身体に染みついた微かな習性だけだった。
図書館には、ドアも窓もなかった。あるのは、無限に続くかと思われる黒い木製の書架と、そこに敷き詰められた無数の本。そして、青年が座るための古びた机と、一つの小さなランプだけだ。
ここには「時間」がなかった。
お腹が減ることもなければ、眠くなることもない。本に積もる埃を払う必要すらなく、ただ絶対的な静寂だけが部屋を満たしている。
青年は毎日、書架から適当に一冊の本を抜き取り、机のランプの灯りでページをめくるのが日課だった。
本の中に書かれているのは、かつて存在した世界の、何気ない日常の断片だ。
* ある少女が、雨上がりの水たまりを飛び越えたときの高揚感。
* ある老人が、縁側で温かいお茶を飲んだときの安らぎ。
* ある恋人たちが、夕暮れの駅で交わした他愛のない約束。
青年はそれらの文字をなぞるたび、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じた。自分には決して訪れない、しかし確かにどこかにあったはずの「生」の気配。青年は、自分がその美しい記憶たちの最後の守り人であることに、ささやかな誇りのようなものを抱いていた。
「僕は、彼らの生きた証をここで預かっているんだ」
それは、永遠に続く孤独の中での、唯一の拠り所だった。
ある日、青年は書架の最下段、今まで気づかなかったほど奥まった場所に、一冊の薄い本を見つけた。表紙には何も書かれておらず、ただ真っ白だった。
青年はいつものように机に戻り、ランプの光の下でその本を開いた。
最初のページには、見覚えのある文字でこう書かれていた。
『ある少女が、雨上がりの水たまりを飛び越えた』
青年は微かに微笑んだ。さっき読んだばかりの、お気に入りのエピソードだったからだ。
だが、ページをめくると、少し様子が違っていた。
『……という物語を、管理人である青年は、机のランプの灯りで読んでいる』
青年の指が止まった。
心臓の鼓動が、今まで忘れていた速さで脈打ち始める。
慌てて次のページをめくる。
『彼は微かに微笑んだ。さっき読んだばかりのエピソードだったからだ。だが、ページをめくると様子が違っていた。彼は今、激しい動揺とともに、このページをめくっている』
青年は息を呑み、さらにページをめくった。そこには、まさに今、自分が本を読み進めている現在進行形の姿が、一文字の狂いもなく描写されていた。
これは自分の本だ。青年は直感した。
世界が滅びたあとも、自分という存在がここに生きていた、その確かな記録なのだと。
彼は震える手で、一気に本の最後のページを開いた。
そこには、物語の結末が、たった一行だけ書かれていた。
『青年がこのページの最後の文字を読み終えた瞬間、この図書館のすべての本は白紙に戻り、彼の記憶もまた、最初からやり直される』
青年が「え」と声を漏らした瞬間。
視界が激しく明滅し、ランプの光がふっとかき消えた。
手の中にあった本の重みが消え、文字が、記憶が、胸の温もりが、指先からパラパラと崩れ落ちていく。
……。
………。
青年は、ふと目を覚ました。
周囲を見渡すと、無限に続くかと思われる黒い木製の書架と、一つの小さなランプがある。
「……僕は、誰だろう」
青年は自分がいつからここにいるのか、なぜこの場所にいるのかを知らない。
ただ、身体にしみついた習性に突き動かされるように、彼は書架から適当に一冊の本を抜き取った。
「まぁ、いいか。時間はたっぷりあるんだから」
青年は古びた机に腰掛け、優しくランプの灯りを灯すと、愛おしそうに最初のページをめくった。
コメント
1件
読ませていただきました…! もう、最初から最後まで、胸がぎゅっとなりました。特に、青年が自分の存在が本に書かれていると気づく瞬間の震えが、手に取るように伝わってきて。最後の「時間はたっぷりあるんだから」という台詞、あの無垢さがかえって切なくて、何度も読み返してしまいました。記憶ごとリセットされるのに、それでも本を開く温かさが、本当に美しかったです。次が気になります…!