揺らめいていた少女の髪が静かに肩に落ち、小さな手のひらから溢れていた金色の光が音もなく消えた。
「………はっ……ぁ……」
息を吐いたのは、少女でも、呆然とこの光景を見つめていた部下の騎士達でもなく、瀕死の騎士。
細い細い息であったが、先ほどよりも芯のあるものだった。
「良かったぁ。間に合って……」
少女はうっとりと目を細めながらそう呟き、意識の無い騎士に手を伸ばす。
子供のように小さく細い指で、騎士の頬に張り付いていた髪を払う。
その仕草は、まるで先に寝入ってしまった恋人を慈しんでいるように見える。
少女は笑みを深くして、そのまま首筋に手を当て、脈を確認する。
トクン、トクンと、規則正しい鼓動が指先から伝わり、少女が安堵の息を吐いた。
その拍子に、こげ茶色のマントがだらしなく垂れるが、すぐにぴんと背筋を伸ばす。
「あ、いけないっ。傷口を消毒しないと……!」
そう言いながら、少女は血まみれの騎士の服に手を掛けた。
なんの躊躇いもなく、血まみれの騎士服を手早く脱がしていく。その勢いは、引きちぎらんばかりである。
しかし騎士服というのは、剣を振っても簡単に着崩れせぬよう、上着はびっちりとボタンで止められている。
そのうえ上位の騎士となれば装飾も多く、慣れない者が脱がすのはかなり難しい。
騎士服を脱がすのは初めてである少女も、ご多分に漏れず難儀している。
眉間に皺を寄せて、何度も舌打ちをしつつ、ようやっと傷を負った部分だけをはだけさせることに成功した。
「消毒、消毒をしないと!」
籠に手を伸ばして酒便を取り出した少女は、慣れた仕草で栓を抜き、豪快にそれをひっくり返す。
仰向けの状態で倒れている騎士は、それを全身に浴びることになってしまった。
「お、おいっ」
少女の奇行によって、騎士たちは夢のような現実から、ただの現実に引き戻される。
大事な上司になんてことをしてくれるんだと、慌てて声を上げた部下の騎士に続いて、もう一人の部下の騎士も声を出す。
「お前、何をするん……うっ」
すえた匂いが立ち込める路地裏に、鉄さびのような血の匂いが充満している。そこに、今度は強いアルコールの匂いが加わったのだ。
騎士は思わず言葉を止めて袖を鼻先に当てた。残りの2人の騎士も同じようにしている。
エリート騎士であっても、めったなことでは口にできない高級酒の香りではあるが、お世辞にもいい香りではない。はっきり言ってものすごく醜悪な匂いである。
けれど少女は、悪臭に顔をしかめることはせず、再びゴソゴソと籠を引っかきまわして、白い布巾を取り出すと、丁寧に倒れている騎士の胸元を拭いた。
夕暮れが滲んでいても、まだランタンを必要とするほど視界は暗くないので、騎士達にも瀕死の騎士の状態が良くわかった。
ついさっきまで心の臓のすぐ近くに深手を負っていたはずの左胸は、隆々とした、きめ細かな肌があるだけ。
そこにあるはずの傷が、跡形もなく消え去っていたのだ。
「……嘘だろ?」
「マジか……」
「そんなことが……」
部下の騎士たちは口々にそんなことを言い放つ。
かくんと膝を付く者もいた。むせかえるアルコールの匂いを感じない者もいた。失恋の痛みを綺麗さっぱり忘れるものまでいた。
そんな中、少女ははっとした感じでフードを被る。被った勢いが強すぎて、鼻までフードが被さってしまう。
「あ、あの………止血は終わりました。で、でも、失った血液までは元に戻すことができませんので、ゆっくり休んで……えっと、沢山栄養のある食べ物を召し上がってくださいとお伝えして下さい。あっ、あと……服をぬがしてしまったことは内緒にしててください…では、これで」
しどろもどろになりながら、そう言い放った少女は静かに立ち上がる。
次いで籠を手にして、騎士達に向かってぺこりと頭を下げた。
籠を持つ手は小刻みに震えて──恥ずかしくて、恥ずかしくて、たまらないといった感じで、これ以上、自分の姿を見られたくないと言わんばかりに、大通りに向かって身体を反転させる。
「待ちなさいっ」
「待てません。お使いの途中なんで!」
きっぱりと言った少女は、今度こそ大通りに足を向け、ぽてぽてと歩き出す。
ただ一度だけ振り返って、こう言った。
「私、通りすがりのただの人です。善良で人畜無害の一般市民です。だから………私、私……」
一旦言葉を区切った少女の胸が、少しだけ膨らんだ。
次の言葉に備えて、大きく息を吸ったのだ。
「痴女なんかじゃありません!!」
善良な人間は。自分でそんなことを言ったりはしない。人畜無害な人間も、またしかり。
そして一瞬で致命傷を癒したことより、異性の服を脱がしたことの方に重きを置くこと、これ如何に?
そんなことを思いながら騎士たちは同時に声を揃えて、こう言った。
「はぁぁぁぁーーーー??」
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