目を開けるとベットの上だった。朝の十時ぐらいだろうか、すぐ隣でテレビの音が聞こえた。振り返るとそこには兄が座っていた。
「……ん?あ、おはよー」
いつもと変わらぬ笑顔で挨拶をしてくるも、今の優斗にとってそれは恐怖でしか無かった。
「何で、生きてんの…」
「は?実の兄にそんな事言うのかよ、ひでぇな〜。」
バリバリとポテチを食べながら冗談混じりで言う。
「ドッペルゲンガー倒した後、見たらお前気絶してたから寝かしてたんだよ。」
「…追いかけなかったの?」
「追いかける?追いかけるも何もドッペルゲンガーだったらみぞおち食らわせてしばらくしたら消滅したぞ。」
消滅…。という事はもうドッペルゲンガーはこの世にはいないという事か。最後は憎い奴だったが、思い返せば案外良い奴だったのかもしれない。釈然としない気持ちでニュースを見てみる。
『昨日、〇〇市××マンションで男性の兄弟二人の遺体が発見されました。一人は首を絞められ窒息死、もう一人は外傷がない事からショック死かと推測されています。』
嫌な予感が走る。
「物騒な世の中だなぁ…」
『被害者の「神谷優斗」さん「神谷駿斗」さん兄弟は……』
やはり、嫌な予感は的中した。兄も愕然としており咄嗟にテレビを消した。 重い空気が十月の太陽の光を遮断するようにのしかかった。沈黙が続く。
何か、前も同じ事があった気がする。夢の中の夢、その夢の中の夢を見てまた夢の中で夢を見て、でもそしたら、現実はどこなんだ?今見ているこの空間が現実なのか、それともこれもまた夢でどこかで気絶するのか…。
あまりの出来事の多さに過呼吸と頭痛が酷くなっていく。
「…落ち着け。」
それ以上何も言わず兄がそっと背中をさすってくれた。 手の温かみと優しい空気に、涙が出てくる。
「あーまた泣いてるし…お前もまだまだ子供だなぁ」
笑いながら涙を拭いてくる兄に安心した。 大丈夫、今までのは悪い夢だったんだ。優しい兄があそこまで言ってくるとは到底思えない。
安心して寝転がっていると兄が言った。
「そいえばお前、メロレイ大会どーすんの?」
その言葉でメロレイ大会間近の事に気づいた。大会まで残り四ヶ月、一ヶ月で失った感覚をまた取り戻さなくてはならない。あの失敗が二度と起きないように。
そそくさとアプリを開くとアップデートが入っていた。イベントが終わり、順位が発表される。もちろん優斗は全く開いていなかった為十三万位まで落ちていた。新曲も続々登場しておりネットは盛り上がっていた。通知が溜まりまくったTwitterを見てみると、『世界チャンピオンのユウトさんいない…』『結果発表で上位見たけどユウトいない…残念』『現世界チャンピオンが圧倒的一位で草。元どこ行ったー?』と言った声が上がっていた。
優斗は別に注目されたい訳でもない。ただ勝手に期待されているだけだ。
『次のシーズンは十月十日!お楽しみに!』
ゲーム内お知らせの所を見るとそう書いてあった。
十日…十日…
スマホの日付を見ると十三日と表示されていた。
「やっべ!?」
シーズン一位は遠ざかりつつあり無我夢中でノーツを叩き始めた。
何時間経っただろうか、気づけば深夜一時になっていた。音ゲーをしていると自分を忘れ時間が早く進む。
「腹減ったなぁ、カップラーメン…は無くなったし買いに行くか」
そう独り言をぼやきながらゲームを閉じると兄から電話がかかってきた。いつの間に帰ったんだと思いながら出ると切羽詰まった声が聞こえた。
『ゆ、優斗!お前今どこにいるんだ?』
「今?今家だけど…」
『やっぱりか…お前、ぜってぇ家出るんじゃねぇぞ!』
「え、何で?」
『とにかく絶対だ!もし出たら━━━━━』
プツッという音と共に電話が切れる。急いでかけ直しても電源が切れているのか、かからない。探しに行こうにも出るなと言われたら何も出来ない。
何か策は無いかと考えていると、玄関がノックされた。
「…まぁ、玄関から顔出すぐらいならいいよな…」
恐る恐るドアを開けた瞬間、耳をつんざくような大きな音と同時に胸元に鋭い痛みが走った。
━━━━━━━━━━━━━━━
遡る事四年前、あの日から弟がおかしくなった。何も喋らず何も行動せずふとした瞬間に倒れる。最初は病気かと思い病院に行くもど、こにも異常は無いという。どうやら寝ているようで、こんな症状は初めて見たと言われた。
寝ている間は何をしても起きず、何も感じないらしい。数分の時もあれば何日も目を覚まさない事もあるが夢は見ているらしく、泣き出したり過呼吸になったりどこか痛がりだしたり。 そして起きた時は決まって言う。
「奴が殺しに来る…」
それだけ言うとまた黙り込んで何も答えず無気力になる。
奴とは誰だ?お前はどんな夢を見ているんだ?なぜこうなってしまったんだ?
数え切れないぐらい問いかけてきた質問、それを今まで優斗が答えた事はなかった。
「…いつまで寝てんの、もう三週間ぐらい経ってるよ…。大会ももうすぐだし。」
寝息を立てて寝ている弟を複雑な気持ちで見ていると、突然呻き出した。酷く咳き込み、涙が出ている。
こういう時、兄ならどうするべきだろう…。
いつもそう考える。しかし夢の世界の優斗が何をして欲しいか聞くことも出来ず、ただ抱きしめるしか無かった。
「大丈夫、俺はここにいるから…。」
この声が優斗に聞こえているかは分からない。もし聞こえているのなら、返事が欲しい。 夢の中のアイツは何をしているのだろうか、何に苦しんでいるのだろうか、いつ現実で会って話せるのだろうか。
無力な自分に苛立ちと涙が込み上げてくる。心の中で謝るしか無かった。しばらくすると咳が止まり息切れはしているも落ち着いてきた。 まだ少し苦しそうにしながら流す涙を手で拭く。
まだ夢の中にいるのか?
聞いても答えはない。あるのは落ち着いた寝息だけ。
「もう、寝よ…。」
時刻は十二時。月明かりに照らされた狭い弟の部屋の中、落ちているゴミを軽く片付け布団も敷いてない無い床に横になる。
明日は会えるかな。
スッと目を閉じると久しぶりに夢を見た。来年二月に開かれるメロレイ世界大会会場…の舞台中央で優斗が優勝トロフィーを掲げ満面の笑みで手を振っている。
『特に練習のやり込みとかはなかったんすけど、まぁ強いて言うなら兄の声援のおかげですかね。』
一番前にいる駿斗を見てまたニコッと笑う。グッとサインを送ると、舞台裏の方に歩いていく。 これは今アイツが見ている夢なのだろうか。だとしたらずっとここにいたい、現実に戻りたくない。 何万といる観客の歓声の中一人啜り泣く。楽しそうにしている弟を見て、安堵と嫌悪の感情が湧いてくる。
現実の俺には心配をかけておきながら夢の中ではお前の思い通りってか…。
駿斗の心の中でピキピキと音がした。スマホを落として大量のヒビが入るような、水の中に氷を入れた時のような。しかし駿斗にそれを完全に壊す事は出来なかった。
朝になり、目を開けるとすぐ横で優斗が少し虚ろなものの、心配そうな目をしながら地面に座っていた。
「…優斗…?」
「兄貴…」
何が起きているのか全くわからなかった。今まで支えないと座れず、謎の人物以外の事だけを喋り会話をしなかった優斗が、自分の反応に応えた。
急いで身体を起こすもいざこうなると何をすればいいかわからなかった。
「あー、えっと…おはよう?」
「…おはよ」
一ヶ月ぶりにする弟との会話に新鮮味を感じる。長くは喋れないようだが一応話せる。
「ご飯食べる…?」
「…うん」
喋れるようになったばかりの子供を相手にしているようだ。しかし自分からは何も言わずボーッと外を見て座っていて、手伝おうとしなければゲームをしようともしていない。またいつ倒れるか分からない状態で放っておくのは少し怖いが致し方ない。 何か栄養のあるものはとキッチンを探すも、ココ最近買い物に行ってなかったせいで何も無い。
相変わらず眩しい太陽に照らされた狭い街を見るばかりで動かない。
どうしたものか…。
「優斗、なんか食べたいもんある?」
反射的にこっちを振り返るも、首を傾げるばかりで何も無いらしい。仕方ないので何か買いに行こう。
「お前、家出るなよ…絶対だぞ。絶対出るなよ!」
何度もキツく忠告する。うんうんと頷くだけで心配した様子も内容だ。離れたくない気持ちを押しのけ、近場のスーパーに向かう。
また寝ていないか、何か触ったりしていないか不安を抱えながら会計を済ませ暑苦しい街中に出ると、少し遠くに優斗の姿が見えた。
シャツ、ジーンズ、スニーカー全てが黒で黒帽子は深く被り目元は見えないが、緊張した時にやる唇を噛む癖と無精髭で確信した。 キョロキョロと辺りを見回す。瞬間、駿斗を見つける。優斗はダッシュでどこかへ逃げるも負けじと追いかける。
「出るなっつったのに…!」
真夏の土曜日の昼頃は人が沢山いる。何とか追いかけ続けるも見失い、じめっとした路地裏に迷い込んでしまった。
どこだここ…アイツも見失ったし…探すしかないか。
ゴミ袋やらネズミの死骸やらがあり、見ているだけでおかしくなりそうだった。右に行ったり左に行ったりもう来た道が分からなくなってきた頃、後ろから声がした。
「あ、兄ちゃんじゃん。何してんの?」
驚いて振り返ると笑いながら頭を掻いている優斗がいた。
「こんな所いたら危ねーよ。帰り道教えてやろうか?」
からかうように笑う。しかし駿斗には今目の前にいるやつが優斗だとは思えなかった。
「…お前、優斗じゃないだろ。」
「は?なんだよ突然。失礼な」
「俺の優斗は兄ちゃんとか言わねぇ!ちっちゃい時から兄貴って呼んでたし、失礼だけど…そんなニコニコ笑うようなやつじゃなかった!」
「……」
「何の真似だ?俺をからかいに来たか?だったら早々にお引き取り願うね。お前に構ってられるほど暇じゃねぇ。」
「ふーん…ま、そのうち楽しくなるさ」
ボソッとそれだけ残して後ろを向きスタスタと去っていった。ふと留守番をさせていた優斗の事を思い出し、またダッシュで帰る。
ガチャっとドアを開け部屋を見渡すも、人っ子一人いなかった。
「…っバカ…」
開け放たれ窓から来た風と共に部屋を飛び出し、がむしゃらに街中を走った。━━━━━━━━━━━━━━━
何が起きたか良く分からなかった。ドアを開け、銃で撃たれたと思ったら無傷でベッドの上に寝ていた。ベッドの横では兄が泣きながら寝ている。 起き上がろうにも体に力が入らない。
フラフラになりながらも何とか兄の横に座る。声も出ず、座っているだけでも精一杯な中、泣いている兄の涙も拭けず、見ているしか無かった。やはりあれも夢だったのか。
ねぇ、兄貴は今どんな夢見てんの?何か怖い夢?もしそうだったら俺に相談でもしてくれよ。
声にならない言葉を心の中で呟く。
しばらくすると兄が起きた。切羽詰まったようにこちらをじっと見てくる。
何見てんだよ、見せもんじゃないが?
やはりはっきりと声は出ない。
「あー、えっと…おはよ?」
「…おはよ」
ありきたりな挨拶に応える事は出来るも簡易的な言葉しか出てこない。しばらくして兄が飯を買ってくると言い部屋を出ていった。
無気力で何も出来ない優斗にとって、一人にされるのは少しキツかった。 三十分ぐらい経っただろうか。少し力が回復して歩けるぐらいにはなったが兄が帰ってこない事に心配を覚える。
四十分、四十五分と待っても兄は帰ってこない。
道に迷ってたり、しないよな…。
探しに行こうと玄関に向かうとガチャっとドアが開き、兄が入ってくる。
「あー外あっつい。ん、お前ここで何してんだ?体弱いんだから寝とけ寝とけ。」
笑いながら言う兄になぜか寒気がした。
何か、何かが違う…。
「…違う」
「あ?何がだよ」
「兄貴じゃ、ない…」
声を振り絞り留めていた言葉を発する。そして確信した、奴は兄のドッペルゲンガーだと。
「…あー、流石夢をループしてきただけあるなぁ。」
奴が開き直りまるで今までの事を知っているかのように喋り出す。いや、確実に知っていた。
「いいか?ドッペルゲンガーってのは実在しねぇ。じゃあなぜ俺がいるかっつーと、ここはお前と俺本体の夢の中だからだよ。」
兄と自分の夢の中。夢を共有し、その中で二人行動している。
一気に多くの物事が起きすぎて目眩がしてくる。
「まぁとりあえず、夢を続けるためにもう一度殺されてくれないか?」
「…は?何言ってんのお前…」
「ドッペルゲンガーは本体の夢の中でしか生きられねぇ。その夢をループさせるためには他殺じゃないと終わっちまうんだよ。」
夢の中だけでも生きたいという理由だけで本体を殺していく。
「覚えてんだろ?銃で撃たれたこと、トラックにはねられた事、それのお陰で俺は今生きてんの」
非道だ。いくらドッペルゲンガーだからといってここまでやっていいものなのだろうか。 兄のドッペルゲンガーもいるという事は自分のもいるという事、これ以上苦しみを抱えぬためにも兄を見つける他ない。
「て事で、一旦死んでもらうかぁ…」
瞬間、素早い蹴りが頭をめがけて飛んできた。反射的にガードは出来たものの、ダメージは一応ある。隙を見つけようにも見つけれず、次々に襲いかかってくる攻撃に耐えるばかり。
リズムがない…。
自分のドッペルゲンガーが兄を殺しに来た時のようなリズムが無く、攻撃も全く読めない。今優斗に残されているのはゲームで鍛え上げた反射神経のみ。
攻撃は多少当たるかもだが、逃げるなら…。
優斗はほんの一瞬の隙を見て窓に向かい飛び降りた。死にはせず、足が痺れただけで済んだ。後ろは振り返らずただひたすらに逃げる。
どれぐらい走っただろうか。気付けばあのメロレイ会場大ホール前に来ていた。やけに人が多いと思えば別の小さな大会の試合があったらしい。
『勝者、アレイン!難関楽曲千八百ノーツをFULL COMBO!で押し切りました!』
解説の興奮した声と多くの歓声がどっと聞こえてくる。スクリーンにはやり切った顔をした選手が手を振っている。
「…千八百ノーツのフルコンか、そんなん俺でも出来るわな。」
小さな大会なだけに選手は素人が多かった。流石に暑くなってきたので帰ろうと外にまで溢れる観客の波を潜り抜けながら歩いていると、柄の悪そうな人と肩がぶつかった。
「あぁ!?てめぇどこ見て歩いてんだ!」
「す、すんません…周り見るので精一杯で…」
「あーあ、お前のせいでブランド物のたっけぇカバン傷ついちまったし、修理代五十万出せ。」
「ごじゅ、まん…?」
金額の大きさに呆気に取られる。
「今出せねぇなら体で払いやがれ!」
目の前の男が拳を振り上げる。逃げる術が思いつかず目を閉じると聞き慣れた声がした。
「あの、うちの弟に手出すの辞めてもらっていいすか?」
目の前にいたのは紛れもない本物の兄だった。男の手を掴みものすごい剣幕で睨みつける。男は舌打ちをしながら早足で去っていき警備員が追いかける。
「あ、ありがとう…」
だが話しかけても下を向き、震えるばかりで返事がない。
「兄貴…?」
もう一度話しかけると泣きそうになりながら抱きついてきた。
「良かった…無事で良かった…。」
「あーえっと、俺も兄貴が無事で良かったよ。良かったけど…離れてくんね?見られてんだわ、俺ら…。」
はっと顔を上げ離れる。仲が良いわねぇなどと言いながら見てくる人の群れを二人でダッシュで駆け外へ抜けていく。
薄暗い路地裏に入り込み、落ち着くと兄が口を開いた。
「さっきは、突然すまねぇな…どうしてもお前の事が心配で。」
「それは俺も一緒だっつーの。それより、兄貴が会ったもう一人の俺はどうなった?」
なぜそれをという顔をするも、目が合うと両者とも頷く。兄弟の勘というのは凄まじいものだ。
どうやら俺の分身は特に兄に危害を加えず去っていったらしい。一方自分があった事を話すと、怪訝そうな表情で考え込んだ。
「…つまり、俺らが殺されなきゃいいって事だよな?」
「そうなるな。だがドッペルゲンガーが言っていた通りならまだここは夢の世界、いつ何が起こって何に殺されるかわかんねぇ。」
もしかしたら一生夢の中に…と思う。
「じゃあもう自殺するしかねぇじゃん…まぁ、意外と簡単な事だがやるかやらないかと言われたらやりたくねぇな。」
「だが、アイツらがそう易々とさせてくれるかどうか…。」
噂をすればというのだろうか。迫ってくるワンテンポズレた足音、数は二人、そこまで読み取ると優斗の後ろに駿斗の分身とその逆が現れた。どう仕掛けてくるかチラリと背後を見ると、奴は銃を持っていた。
銃!?んな卑怯な…。
近距離の生身でしか戦えない。しかも挟まれており、場所は暗く狭い一本道の路地裏。この状況でやれる事は一つ。
「…兄貴。」
「わかってる…。」
緊張で数秒か数分か感覚が狂うほどテンパっていたが、二人目を合わせ合図もなく、瞬時に目の前の敵へ向かっていった。 奴は焦って銃を打つも油断してたのかエイムが全く定まらず両者ともかすりもしなかった。
相手の懐へ入ると、持っていた銃を取り上げ頭を思いっきり殴り気絶させた。 後ろを振り返ると自分の分身と腕を掴み合い、震えている。
「おい、兄貴だいじょ…」
どさりと言う音と共に兄が倒れた。そこにあったのは地面には大量の血、荒い息遣い、氷のように冷たい分身の目だった。一瞬頭が空っぽになった。
「銃持った相手に正面から突っ込んでくるとか、馬鹿じゃねぇの?同じ分身とは思えねぇな。」
あっさりと奴は言った。傷一つなく倒れた兄を見下している。
「んじゃ、残念だけど本体達にはまた死んでもらおう。おっと、文句は言うなよ?お前らが下した判断なんだからよ。」
そう言い、兄に銃口を向ける。止めに入ると後ろから首を絞められた。
「はい、お二人共、五週目お疲れ様で〜す」
陽気な声と共に目の前が真っ暗になった。
また目が覚めると病院のベッドの上に寝ていた。隣には兄がふちに座って項垂れている。ベッドから降りて話しかける。
「…兄貴」
「ん、あ、起きたのか…」
気まずい沈黙が続く。
「なぁ、どうするよ、こんなんじゃいつまで経っても現実に戻れねぇよ。」
「どうするったってもう為す術もねぇよ。アイツらは俺らがどこにいても見ている、見ているんだ…」
苦々しげに語る今まで見た事のない兄を目の前にして何を言えばいいのか分からなくなる。窓の外を見るともう隠す気はないのか雨が降っている中、傘をさし奴らが遠くで堂々と監視している。
「じゃあ、諦めてこの地獄をずっと繰り返すのかよ」
「その方が楽だ。何度も出来もしない自殺を試みて何度も失敗してまた別の夢なんて耐えられん。」
「俺はここから抜け出したい。だから一緒に…」
「じゃあお前一人で帰ればいいだろ!」
突然の大声と意外な言葉に驚く。兄に怒られた事は初めてではなかったが、自分を捨てるような事を言ったのはこれが最初だったからだ。
「…いつもそうだ、お前ばっかいい成績残して取って付けたように俺の事を喋る。飽きたんだよ、もう。」
「…」
「ここで佇んでる暇あったらさっさと死んでこい…」
それだけ言い、兄はまた寝込む。話しかけても返事をせず顔を伏せるばかりで無機質な部屋に雨音だけが響く。
気付けば病院を出て大雨の中一人で歩いていた。
『さっさと死んでこい』
『飽きたんだよ、もう』
『お前一人で帰ればいいだろ』
あの時の言葉が脳内でループする。これが仲間割れというやつなのか、優斗の心は空っぽだった。 傘もささず歩いていた為人の視線が痛い。堪らずそこらのマンションの裏手に入る。変わらず雨に打たれ、あの言葉と楽しかった思い出ばかりが出てくる。
優斗の中で何かが壊れた音がした。雨と一緒に流れる涙、小さく漏れる嗚咽。こんな時兄がいればと考えてしまい余計悔しくなってくる。 誰も話しかけてくれる人はいない、誰も助けてくれる人はいない、ただ一人、ネズミ一匹すらいない薄暗いマンションの裏手で泣いていた。
━━━━━━━━━━━━━━━
苦しかった。自分が一生夢の世界に閉じ込められる事が嫌だった。夢は嫌いだ。夢の中なんて不幸な事しか起きない、自分を制御出来ない。そんな所で殺されて目が覚めたと思ったらまた夢の中。どうかしてるよ。
病院のベッドに横になりながらそう考えていた。優斗の言いかけていた『一緒に…』どうせ一緒に現実に戻ろうとか綺麗事言い出すんだろ、と思いながら毛布を頭まで被る。
激しい雨の音を聞きながら前の夢の事を思い出す。 銃を持った相手に真っ正面から挑むなど無理だと確信していたし、もちろんダメだった。ドッペルゲンガーというのは神経も本人に似るのだろうか。
優斗の奴はテンパり奇跡的に怪我をせずに済んだ。だが自分のはというと驚く程に肝が据わっていた。判断力もしっかりしており、すぐに殺さぬよう腹部を撃ち抜いた。あの感覚が完全に消える事は無いだろう。 思い出しただけで吐き気を催す。
何か飲もうと院内にある自販機で飲み物を買い、窓の外を見る。止む気配のない大雨に駐車場は霧がかっていた。 出て行く前に言われた言葉を思い返す。
『俺はどんな兄貴でも、大好きだから。』
子供かよ…。いい歳して大好きだと言われた事に腹が立ってるのか恥ずかしいのか分からない感情に顔が歪む。
病室に戻り今更ながら優斗の事が心配になり、追いかけようか悩んでいると扉が開いた。そこには優斗のドッペルゲンガーが立っていた。
「よっ、さっきの夢ぶりかな」
分かってはいたけど同じ顔同じ声で言われるとイラッとする。
「…んだよ、用ないなら帰れ。」
「まぁそんなカリカリすんなよ、良い知らせと悪い知らせを伝えに来ただけさ。どっちから聞く?」
「どっちでもいい」
「じゃあ良い知らせから!今はもうお前が殺される事はない。」
殺される事はない…?ぽかんとしながら分身を見ていると説明をしてくれた。どうやら俺の分身は今いないらしく、いたとしても殺すことは無いらしい。やはり気分で決まるとの事。
「…んで、悪い知らせは?」
「聞きたい?」
「まぁ…」
「どーしよっかなぁー」
流石にイラッとし、思いっきり睨みつける。すると笑いながらソイツは言った。
「ごめんごめん、んで悪い知らせってのは…今、俺が危険にさらされてるよ。」
一瞬何を言っているかわからなかったが、すぐに答えは出てきた。
「ゆう、と…?」
すると分身はニコッと笑って何も言わず出て行った。急いで廊下を見るもソイツの姿はない。
「行こう…。」
今までの迷いと嫌悪を吹き飛ばし、傘もささず外に走り出る。どこに行ったか分からず適当に探すしかない。
こんな事なら場所ぐらい聞いときゃ良かった…。
数十分走り回り疲れきった駿斗の体は雪のように冷たかった。もう見つからないのではないか、どこかで消えているのではないかという不安が駿斗を駆り立てる。
雨はいっそう酷くなりバケツを何十個とひっくり返したように、プールの中にでもいるようだった。諦めの気持ちが芽生え始めた時、人の気配がしないマンションの裏手へまわると雨に打たれ座り込み動かない人の姿があった。優斗だった。
「優斗!」
呼びかけるも下を向くばかりで返事がない。近寄り触れてみると、体は氷のように冷たく震えていた。辛うじて息はしているもののこれ以上外にいれば確実に凍死してしまうだろう。 だが大雨の中、町中を走り回った駿斗も体力の限界がきていた。
終わるのか、ここで…。
動かない優斗を抱きながら目を閉じようとした時声が聞こえた。
「おい、何寝ようとしてんだお前、起きろ。」
突然自分の声が聞こえ幻聴まで始まったかと思うと体が浮き出す。
「ったく…何してんだか」
何かで包まれ体が暖かくなってくる。見るとコートが着せられそれを見ている自分がいた。 何で助けてくれるんだと思いながらも強引に立たされ支えられ、乗ってきただろう車に乗せられる。中は暖房が効いていて暖かい。分身の合図で車が発進する。横を見ると、震えは止まり寝息を立てて寝ている優斗がいた。 暖かい空気の中ゆりかごのように揺れる車で、駿斗もゆっくりと眠りについた。
━━━━━━━━━━━━━━━
目が覚めるとそこは自分の部屋だった。毛布に包まれ机には作りたてのお粥が置いてある。何があったか思い出そうとするも、風邪を引いたのか頭痛が激しく頭が回らない。鉛のように重たい腕で何とかスマホを持ち時間を見ると午前二時半と表示されている。 しばらくするとガチャっと玄関が開いた。
「やっほー、元気?」
そういいながら入ってきたのは自分だった。
な訳ねぇだろ、と突っ込みたかったが声が出ず唸るばかりだ。
「相当熱あるね。まぁ、外で大雨に打たれながら寝たらそうもなるさ。」
ひんやりとした手が額にあたってゾワッとすると同時に今までの事を思い出した。
「……おい」
「ん?」
「兄貴は、どこ行った…」
「…さぁね、今頃どっかで寝込んでるんじゃない?」
ヘラヘラとしながらソイツは言った。 またあの言葉が蘇り、ザワつくもすぐに取っ払う。そんな事は無い、兄は決して自分を見捨てた事は無かった。
「…家、行く」
「待て待て待て、正気か?まだ雨も酷いし風邪もピーク真っ最中だ。そんな中…」
「今行かなきゃいつ行くんだよ!」
力強く叫ぶと奴は驚き黙り込んだ。目を伏せ何かを考えている。 しばらくするとこちらを見据えて言う。
「…わかった、隣町までは俺が送ろう。しかし、兄が今の君より不味い状況に置かれている事を忘れてはいけない。」
今までのおちゃらけた感じとは裏腹に真面目に話し出す。雨の不規則でごちゃごちゃとした音をかき消すように、緊張感で部屋の空気が鋭冷たくなる。
「正直、俺はキミ達が現実に戻る事をとめない。しかし厄介なのは兄だ、あれは酷い気分屋でね。最初は優しくしても少し機嫌を損ねると死ぬまで殴り掛かるような奴さ。どんな手を使ってでもキミ達を夢に留めようとするし、俺も逆らえない…」
そう言うと複雑な表情で別の話を持ち出してきた。内容は、こちらも兄を牽制するからその間に現実に戻るというものだった。 もちろん優斗はその話にすぐ乗った。兄弟の執着心の強さが出る。
「ただし、条件がある。午前四時までに戻るんだ。もし戻れないというのなら俺は兄を止めない。」
しかし優斗の意思は変わらない。今兄がどうなっているかはわからない、もし違う夢に行ってしまったのであれば追いかけるだけだと決めていた。 いつもと同じように黒服に着替え、外に出る激しい雨の音は頭に響いたが寝ていられない。外に止めてある車の助手席に乗り込むと、猛スピードで隣町まで走らせた。
「もう少し早く行けねぇのかよ!」
「仕方ないじゃん速度制限あるんだもん…それより、あんま叫んでると体力消耗するよ?」
正論を言われ何も言い返せない。スマホを見ると二時五十分と表示されていた。 急げ、急いでくれ…。LINEはもちろん、電話も取らない。兄の分身も同じだ。
しばらくするとナビから目的地到着のアナウンスが流れ兄の住むマンションの手前で車を止める。乱暴にドアを開けダッシュで向かう。
「ちょ、傘は!?」
「いらねぇ、お前持っとけ!」
呆れたような顔をしながらもついてくる。最悪な事にエレベーターは故障していた。
「上れそう?」
五階地点で息切れが激しかった。今にも倒れそうな程しんどかったが、何が自分を動かすのかわからなかったも、必死に階段を上っていく。
休み休み上り兄の住む二十八階まで来た。部屋の前に来ると中で何が起こっているのか騒がしく、案の定鍵が空いていた。時は午前三時、分身と顔を合わせ思いっきりドアを開け乗り込む。 視界に入ってきたのはいつもの綺麗な部屋とは思えない、部屋をそのまま振り回したかのような有様だった。そしてその中にはボロボロになった兄と兄の分身が睨み合っていた。
「…何だよ、もう来たのか。」
兄の分身が怪訝そうな表情で呟き、落ちていたナイフを拾い上げる。
「兄ちゃん、こんな事やめよう。俺らはずっとここにいられる訳じゃないんだ。」
「んな事知ってるっての。俺はただ人を殺せりゃそれでいいんだよ。」
その言葉である疑問の糸が解かれた。少し前に起きた男女無差別暴行事件、あれは優斗の名を使い姿を見せなかった駿斗のドッペルゲンガーだったのだ。 すると兄が口を開く。
「待てよ、気になってたけど何でドッペルゲンガーなのに、本体以外と会話出来てんだよ。本来は出来ないはず…」
「はぁ、バカばっかりだ。確かにドッペルゲンガーは本体以外会話をしない。だがそれは現実での話だ。」
夢ならなんでもありだろ?と狂気に満ち溢れた笑顔で言う分身に鳥肌が立つ。
夢だからといって誰これ構わず殺していい訳では無い。しかも人の夢で、本体を犠牲にして。その事に優斗は怒りが抑えきれなくなった。
「お前のせいで俺は散々な目にあってきたんだ!夢だからなんでもいいなんていってんじゃねぇぞ!」
「ちょっと…」
止める分身を振り払い兄の分身に近づき胸ぐらを掴む。
「ごちゃごちゃ何を言い出すかと思えば、そんなくだらねぇ理由で俺らを追い込みやがって…」
「またそうやって人に手出すんだ、相変わらず成長してないな、あの大会の時みたいに。」
その言葉が放たれた時、何も聞こえなくなった。何も考えられなくなった。そこに唯一あったのは、大きく深い怒りだった。
翌日、優斗は病院の屋上に来ていた。昨日何があったかなど覚えていなかった。唯一覚えていたのは怒りに身を任せ、それを止める兄達がいた事だけ。 思っていたよりも酷い騒ぎだったらしく近所に目をつけられる前に自分の分身が抑えてくれたらしい。
「何で、こうなるかな…」
フェンスの無い高い屋上から下を見ながら呟く。物思いにふけっていると扉が開く音がする。
「何してんの〜」
そう言ってきたのは紛れもない兄だった。いつもと同じように、朗らかな笑顔で話しかけてきた。
「別に何も…」
「嘘つけ、どーせ昨日の事でも考えてたんだろ?」
図星で何も言えず黙り込む。そんな自分を見て、何がおかしかったのか笑い出す兄に腹が立った。
「ごめんって、そんな怒んなよ」
「怒ってねぇし、用ないなら帰れ。」
「やれやれ…」
呆れたように、しかし笑顔は崩さず空を見上げる。それに釣られてみると夜空に無数の星が一面に広がっていた。
綺麗と思わず声を漏らすと、兄も嬉しそうに応えてくれた。
しばらく眺めていると意を決したように兄が言った。
「よし、帰ろう」
「帰る…って、どこに?」
「決まってんだろ、現実だよ。」
現実。今まですっかり忘れていた状況にはっとする。
ここは夢の中、ここで自ら命を絶てば現実に戻れる。
大会あるんだろ、と言われ何も言えない。大会は四ヶ月後に控えており、時々練習はしていた。その為優斗の心に迷いはなかった。
「…そうだな、帰るか。」
「何かやり残したことは?」
「別に。強いて言えばもうちょい自由に過ごしたかった。」
そう言うと兄はそっか、というように笑い一歩前に踏み出た。手を引かれ裸足のまま屋上のふちに立つ。
「じゃ、行こっか。」
「…あぁ。」
せーのという合図で飛び降りる。時間がゆっくりになり映画を見ているように、走馬灯が流れる。地面に着く瞬間、二人は笑いあった。
━━━━━━━━━━━━━━━
ピーという無機質な機械音が病室内に響き渡る。モニターにはどこまでも続く乱れのない水平な線が映し出され、時計は午前三時を指していた。
「先生…。」
「残念だが、目が覚める事はなかったな。」
そう言い、一つのベットに並び寝る二人に近づきながら言った。ベット際のネームプレートには【神谷優斗】【神谷駿斗】と書かれていた。
「昏睡状態の人が亡くなるのは不思議な事ではない。どのような夢を見てきたか我々にはわからないが、少なくとも悪い夢ではなかったのだろう。四年間、本当にお疲れ様。」
優しい声で言う先生の後ろから覗くと、向かい合い幸せそうに笑う亡き兄弟が手を繋ぎながら眠っていた。
コメント
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前編、中編の2倍ぐらいの文字数になってしまいすみません…。初の自作小説が無事完結してくれて安心してます。読んでくれた方々、本当にありがとうございます。またゆーーーーーーっくり小説書いていくので、今後ともよろしくお願いします(*・ω・)*_ _)