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今、麗に縋り付いている、この男は誰だろうか。
いつだって明彦は大人の余裕がある男のはずだった。
それなのに、麗なんぞを絶対に逃さないとばかりに強く抱きしめている様は、 まるで駄々をこねる子供だ。
「明にい……明彦さん」
麗は自分の本来の願いのまま、兄と呼ぼうとして、やめた。
彼は、兄ではない、血の繋がりのない一人の男なのだ。
「私を、愛してる?」
いつの間にか二人とも床に膝をついていた。
麗は見つめながら秋彦の顔を撫でた。
もう夜だからだろう少し、明彦の顎はざらりとしていて髭の感触がした。
「何度もそう言って……いや、何度でも言う。愛してるよ、麗。愛してる。それでも、俺は麗が麗音だけを見て、麗音だけを愛していることが許せなかった。それを含めて麗を愛せなかった。そうだ、俺は俺のために麗に現実を突きつけた。俺だけのものにしたかった」
「うん」
「麗音の元に、帰りたいのか?」
そう言いながら、明彦は抱きしめてきた。逃さないとばかりに力強く。
「それは、ないかな」
姉の人生に便利な麗は必要でも、麗自身は必要ないから。
(私、姉さんに愛されなくて当然だった。甘えるばかり、頼るばかり。それでいてあなたのため、あなたのためと、自分の理想を押し付けて、きっと重かっただろう)
涙が、こぼれ落ちた。
「ねぇ、明彦さんは私が不幸じゃなくても好き? 私が、寄る辺がない明彦さんに幸せにしてもらわないといけない女の子じゃなくても、好きだと言える?」
「俺は…… 」
明彦が返事に窮している。はじめてのことで、 麗は苦笑した。
「明彦さん、好きだよ」
明彦が好きだ。麗が男と恋に落ちるのなら、明彦しかいなかった。
きっと、ずっと前から恋はしていた。
好きだったに決まっている。
いつからだろうか。
結婚したから? そうではない。
ずっとそばにいてくれたから、それに姉が一番だったから、気づいてなかっただけ。
多分、ずっと、好きだったのだ。
でも、釣り合わないのもわかっていた。
だから兄でいてほしかった。
兄ならば、離れなくてすむから。兄ならば、彼が誰と恋に落ちようが、気にしなくてすむから。兄ならば、麗がどれほど劣った存在でも関係ないから。
明彦にすがって、甘やかされて、大切に護られて生きるのは楽だ。
折れた心を折れたまま抱えて、鬱屈とした靄は無視して、卑屈な麗のまま生きてゆく。
姉を愛したように、明彦を愛する。
それはとても簡単なことで、きっと悪くはない人生だ。
明彦はそんな麗でもいいと言うのだろう。
引きこもって、この高価なマンションで、ずっと明彦の帰りを待てばいい。
二人きりの世界ならば、きっと依存できた。
上辺だけの愛しているを告げて、甘やかして大切にしてもらうのだ。
(それは私にとっても、明彦さんにとって、本当に幸せなのだとは、思えない)
いい加減、大人になるときが来た。
自分の幸せだけでなく、明彦の幸せを考えるときが。
自信と自立、それがきっと麗には必要なものなのだ。
世間一般の人より随分と遅くなったけれど、きっと、今が、一人で立たなきゃいけないとき。
ここが麗の人生の転換期。
姉のための麗ではなく、明彦のための麗でもない、麗のための麗。
「ずっと待たせてきてごめんね。でもまだ私のことを待ってて。それで、変わっていく私のことも愛していて」
麗は傲慢で我儘すぎる願いを臆面もなく言った。
待たなくていいとは言えないし、言いたくなかった。