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高級ホテルのランチバイキングだったのに味がしなかった。
私、なにを食べたんだっけ?
会話の内容も思い出せないくらい動揺していた。
ホテルを出たところで、|一野瀬《いちのせ》部長が申し訳なさそうに言ったのは覚えている。
「悪い。|新織《にいおり》。驚いたよな」
「は、はい……」
こんなの気まずいどころじゃない。
今、私は非常に混乱している。
『俺を激しく愛してくれよ!』のモブ女が|葵葉《あおば》から|貴瀬《きせ》部長を奪うようなものだ。
そんなことは許されない!
モブ女、死すべし――そんな読者の声が聴こえてくるようだ。
混乱していて頭の中はカオス。
とりあえず、気の利いたことでも話すべき。
でも、なにを話す?
こういう時こそ、ミニ鈴子が出てきて気持ちを盛り上げてくれたらいいのに……
会社近くの高級ホテルはビジネス街に近かった。
そのせいか、土曜日で人の通りも少なくて、通行の邪魔になりますから、なんて言って話を終わらせることもできそうにない。
一野瀬部長の真剣な目が私には居心地悪く感じて目を伏せた。
私はあなたにそんな目で見られるような女じゃないんです!
あなたと部下のBL小説を書いている変態……(正直すぎたか)ちょっと変わった趣味を持った人間なんです。
「新織が驚くのも無理はないと思う。俺も驚いている。俺はもっとお前を知りたい」
その言葉に胸が苦しくなった。
息ができない――それは私も同じなんです!
本当はそう答えたいのに。
実際のところ、私は一野瀬部長に興味がある。
特に|葉山《はやま》君との関係が気になってしかたがない。
偶然、ロレックスの腕時計をおそろいで身につけるだろうか。
葉山君は私より若いし、給料だって私よりきっと少ない。
それを考えたら、あの高級腕時計は不自然なのだ。
探偵ポーズで私はいろいろと考えを巡らせた。
だめだ!
情報が少なすぎて推理できない!
悔しい……妄想ならどれだけでもできるのにっ。
「新織は俺に興味なんてないか……」
「興味はあります!」
思わず、私はそう答えていた。
一野瀬部長は屈託ない笑みを浮かべた。
仕事中、見ることのない特別な笑顔。
「そうか。それなら、よかった」
一野瀬部長に近寄られると、ふわりと甘い香りがした。
――これは危険な男の香り!
女子社員のハートをつかみ、取引先の女性まで虜にするという魔性のフェロモン。
そして、男らしいがっしりした体。
私好みのいい筋肉量よね……
そっとその胸板に手を置いてしまった。
興味がありすぎて。
「新織……」
戸惑う一野瀬部長の声にはっとした。
ひえええええっ!
私ときたら、なんてことしてるのよ!?
「ご、ごめんなさい。距離が近くて! つ、ついっ……ほんの出来心でっ!」
「構わない。俺こそ、近寄りすぎた。悪かったな」
そっと私達は距離を置いた。
う、うぬぅ……さすが、わが社トップのイケメンでモテ男!
とんでもないフェロモンを持ってる。
私を自然に誘惑し、魅了するとは侮れない。
シュタンッとミニ鈴子たちが、野球選手のユニフォームを着て現れた。
『ジャストミィィィート!』
『貴瀬部長のイメージどおり!ど真ん中、ストライク!』
『なんですかね、あの完璧男は』
『これは逸材』
『ノーアウトノーストライク満塁のチャンス~!』
ドンドンドンッと太鼓の音が鳴り響く。
これはミニ鈴子達からの応援。
私にではなく、BL作家|新藤《しんどう》|鈴々《りり》先生への応援だ。
「新織は俺のことを嫌っているのかと思った」
「そんなことないです!」
むしろ、タイプなんです。
だからこその萌えなんですよ!
ミニ鈴子達からの冷たい視線を感じた。
『冷静になって。鈴子』
『海外支店帰りで社長のお気に入り、高身長でイケメンのエリート男』
『あんなハイスペック男が鈴子を好き?』
『遊ばれているだけじゃないの?』
その声にドキッとした。
ハイスペック――そうよ、冷静になって。
一野瀬部長のような人が私を好きになる?
交流もほとんどなかったのよ?
いったいなにがきっかけで?
自慢じゃないけど、私は人付き合いも悪いし、会社の人に誘われてもお断りコースまっしぐら。
飲み会はことごとく断ってきた。
会社では影のような存在だと自分では思っている。
そんな私に告白してなんの得があるっていうの?
違和感がある―――そう、例えば、他の目的があるとしたら?
告白されたからって私を好きだとは限らない。
一野瀬部長ほどの人だ。
なにか思惑があるに違いない。
スッと探偵ポーズに戻る。
私を彼女にして葉山君との隠れ蓑にしようとしているとか?
その可能性もゼロじゃない。
「もしかして、俺が遊びだと思ってる?」
無言だった私に一野瀬部長が話しかけてた。
「えっ! そ、そういうわけでは」
「俺は今、誰とも付き合っていない」
「い、意外です」
これはどう読む?
『俺は今、(女性とは)誰とも付き合っていない、という意味かもしれませんね』
『監督、その読みは悪くありませんなぁ』
『次にくるボールはなんだ?』
『お付き合いはお断り! 二人の関係を見守って作品完成のホームラン!』
『そうだ! ホームランを狙っていけ!』
ミニ鈴子達がベンチから采配をふるう。
お断り?
私がこの人を拒むということよね……
まだ彼の真意を見極めてないのに、お断りなんて時期尚早過ぎない?
じゃあ、次のボールは何が来る?
ボールを見極めるのよ、鈴子!
そうよ、私はBL作家!
だてに男同士の熱い恋愛を書き続けてきたわけじゃない。
この恋愛ストーリーの先を読むんだ!
読め! 私!
「新織。俺と付き合ってみないか?」
予想外の|一言《ボール》に全てが吹き飛んだ。
華やかなオーラに(筋肉)最高の男。
「はい」
私はなにも考えずに返事をしてしまったのだった。
『|死球《デッドボール》!!』
ミニ鈴子の声が聞こえたような気がした。