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突如、不可解な感覚に襲われる。
一体、どんな理屈でこんなことが起こる?
「……いや、そもそも。これは何だ?」
オレがそう呟いた矢先、強烈な神気が大広間に満ちる。
ここに立っているだけで、浄化されそうな圧だ。
跪き、祈り始める者すら現れた。
『人の王よ。聞きなさい』
いつか、どこかで聞いた声が響く。
『私は女神、女神ピトス』
『この世界を管理する者です』
ハガネと奴隷兵が魔法剣を構え周囲を警戒するが、姿は見えない。
皇帝の周囲には瞬く間に近衛兵が集まり、武器を構えていた。
オレを異世界へ転生させた神が、ここで介入してくるのか。
「ピトス様! おお、我らが女神よ! 私どもを虫の脅威から救いにいらっしゃったのですね!!」
感極まった聖堂騎士が叫ぶと、人々の緊張が緩む。
かつてない脅威に、かつてない味方が現れた。
それも、他ならぬピトス神だと。
『単刀直入に言います。これは降伏勧告です』
『アーカードを殺し、帝国を明け渡すなら、命だけは助けてあげましょう』
予想外の言葉に人々が静まりかえる。
「え、なぜだ。ピトス神は我らをお守りくださるのではないのか?」
「毎日祈っていたのに」
「そんな、なぜ。なぜなのですか」
人は会ったことも話したこともない神を一方的に信じるが、実際どれほど神について理解しているかわかったものではない。
神が思い描くようなものでなかったらどうするつもりなのだろう。
『まず、騎士よ。お前は首を掻ききって死になさい』
「へ?」
『お前の所業はずっと見ていました。罪もない者を罪人とし、何度も拷問にかけましたね?』
聖堂騎士が狼狽する。
こいつらが適当に人を拉致し、拷問を繰り返せたのは女神ピトスの意思だと思い込めていたからだ。
それを真っ向から否定されれば、これまでの行いが全て罪へと転ずる。
まともに考えれば、女神の言うとおり聖堂騎士は自殺するべきだろう。
だが、人はそのように考えない。
「う、嘘だ!」
「お前は女神ピトスじゃない! 女神を騙る悪魔め!! 去るがいい!!」
人は不都合な事実に出会うと逃げ出す。
たとえ事実をねじ曲げてでも、自分にとって都合の良い現実を欲するのだ。
「そうだ。守ってくれない女神なんて、女神じゃない」
「あの女神は偽物だ!!」
「悪魔め! 正体を現せ!!」
聖堂騎士たちが口汚く罵る。
女神が善なるものだと、勝手に決めつけ勘違いしているのは人なのだが、お構いなしだ。
壁へ下がっていた信徒らしき人々も罵詈雑言を叫んでいる。
随分と人望のない女神だ。
『死ね、自壊せよ《アポトーシス》』
女神が呪文を唱えるやいなや。
聖堂騎士と信徒が灰になった。
『神を疑った。当然の報いです』
一瞬遅れて、布を裂くような悲鳴。
おそらくは信徒の家族なのだろう、灰になった旦那を抱き寄せようとするが、崩れて消えていく。残ったのは服だけだった。
癇癪(かんしゃく)で人を殺す神など、最悪すぎる。
こんなことをしても、恨みが積もるだけだ。
怒りはすぐに忘れるが、恨みは死んでも忘れない。
そんなことすらわからないのか。
ピトスは自分を世界の管理者だと言っていたが、管理がヘタ過ぎる。
絶対にオレの方がうまく管理できるはずだ。
「ピトス神よ」
皇帝が口を開く。
「望みは何だ。帝国を手にして、何がしたい」
女神が真摯な声を返す。
『奴隷制を廃し、人権をこの世に広めるのです』
『この世界では富める者が富み、貧者が搾取されています。私はこの悪しき循環を破壊し、すべての人々が平等に生きる世界を実現したい』
「その為に、帝国の民を殺すのはよいと」
『生き物は死ぬものです。考えてもみなさい、帝都には溢れるほどに人がいる。9割減らしても、数世代かければ十分に回復できます』
冷徹な数字で繁殖ペースを割り出せば、確かにそうなるだろう。
まるで親しい理解者のような声色だった。
きっと、悪気など微塵もないのだろう。
この女神は醜悪すぎる。
『あなたが富を分配しない理由はわかります。人が多すぎるのですよね』
『確かにその問題は無視できません。4人なら1つのパンを分け合うこともできますが、1万人では分け合うこともできません。全員飢えて死ぬだけです』
『でも安心なさい。答えは至ってシンプルなのです』
女神が言祝ぐように告げる。
『多いなら、減らせば良いのです。現在ある資源で幸福になれる人数まで人を減らし、搾取構造を崩壊させ、人々の尊厳を守る。良いことずくめです。死体は畑の肥料になりますし、統治もしやすくなるでしょう』
『今ここでアーカードを殺し、帝都を譲るなら。偉大な賢王としてあなたを祀りましょう。平等な世にも、ひとつくらい例外があってもい……』
皇帝は短く「断る」と言った。
「我には民を守る責務がある。民を害すと宣言した以上、何者であろうと看過できぬ」
「先の即死魔法でも唱えてみるか? 逆らう者を皆殺しにすれば、お前の理想の世界ができるやもしれんぞ?」
意図を察した近衛兵が下がり、皇帝が天に屹立(きつりつ)する。
誰もが息を飲む中、女神は皇帝を殺さなかった。
『仕方ありませんね』
『本意ではありませんが、宣戦布告します。もう、帝都がどうなろうと私は知りません』
大広間に充満していた神気を憎悪が押し返していく。
オレや皇帝だけではない。
ここにいる全ての人間の憎悪が向けられていた。
『ちょっと待ちなさい。なぜ私が恨まれるのですか?』
『私はあなたたちの為を思ってやっているというのに、それがわからないのですね。なんて愚かな』
この女神はクズだ。
その上、自分がクズだということに気づいていない。
わからんようだから、オレが教えてやる。
「いきなりやってきて民を殺し、追求されれば9割まで殺しても大丈夫などと言い出し、そのまま宣戦布告してくる神……」
「それも後になって「あなたの為だから」などと付け加えてくる神など、人には必要ない」
おそらく、あの即死魔法は無条件で使えるものではない。
もし無条件で使えるなら、女神は皇帝を殺しているし、オレも殺されている。
『奴隷商人アーカード。わかっているのですか? あなたが人権と平等を広め、奴隷制を廃していればこんなことにはならなかったのですよ』
人権?
この女神、人権と言ったか?
ははは、笑える。
実に笑えるぞ! 女神よ!!
「あんなクソみたいなものを広めても世界が腐敗するだけだ! 人権など。人は生まれながらに権利を持つなど、あり得ない!!」
「権利とは奪い合い、掴み取るものだ。それ故に、掴めず辛酸をなめる者の方が遙かに多い!」
「誰もが人生の舵取りに長けていると思うなよ! 優秀な主人が奴隷を手にしてこそ、安定した生活が生まれるのだ! アホ奴隷に好き勝手やらせてみろ、勝手に破滅するだけだ! 何もいいことがない!」
「だが、オレに傅くならば。気が弱くとも、殺傷癖があっても、地獄に向かって突っ走っていても、意味と価値を見いだしてやれる!! なんなら金も稼いでやろう!!」
「わかるか、女神よ。支配と搾取こそが、人類を幸福に導く唯一の手段なのだ!!」
女神はわざとらしく溜息を吐くと『理解できない』と言って、去っていった。
虫人の大群が帝都へ向かっているとの報を聞いたのは、それから2日後のことだった。