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典晶と文也の通う天安川高校は小高い丘の上に建っていた。市街地にある高天原商店街を抜け、少しばかり田畑の中を突っ切る細い道を歩く。なだらかな坂道を上った先に、共学の天安川高校があった。創設されて今年で五〇年目の節目を迎える高校だ。何度か改修を繰り返しているが、基本的な作りは変わっていない為、やはり古くささが残る田舎の高校だった。伝統や趣があると教師達は言うが、典晶達にしてみればただの野暮ったい古くさい学校だ。
天安川高校は北校舎と南校舎に分かれていた。南側校舎の一階には職員室や生徒指導室、会議室が並び、二階には美術室と生物室、地学室、科学室、書道室があり、三階には音楽室と文化系の部室が並んでいた。
東西の一階と二階にある渡り廊下で繋がっている北校舎は一般教室だけだ。一階を三年生の教室、二階を二年生、三階を一年生といった具合だ。生徒玄関は東側の渡り廊下の中央にあった。
風に揺れる緑の稲穂の中を典晶と文也は肩を並べて歩いていた。
「……んじゃ、上手くいったんだな」
「説得って程じゃなかったけどな。イナリの霊力だか神通力で晴海さんの姿を浮かび上がらせてさ、何とか自殺を食い止めたよ」
「それで、宝魂石をゲットしたと。相手を強制的に成仏できないから厄介だな。今回はまだ良かったけど、相手は幽霊だろう? 何十年も昔の事を頼まれたりしたら、お手上げだぜ?」
「だよな……」
「それでイナリちゃん、月の光を浴びて人間の姿になったんだろう? どうだった? 好みだったか?」
文也の言葉に反応したのか、モゾモゾと典晶のバックが動いた。
「……コラ、イナリ!」
ピョコンとバックからイナリが顔を覗かせた。文也が驚いたように典晶を見る。
「お前、持ってきたのか……?」
「……連れてきたっていえ。イナリ、ダメだ。大人しくしてるって約束しただろう!」
イナリをバックに押し込みながら、典晶は声を潜めた。
「婚約者だから、親父達が連れて行けって言うんだよ」
足を止めた典晶を天安川高校の生徒達が追い抜いていく。
「イナリちゃんもお前の学校生活が気になるんだろう。で、どうだったんだよ?」
肘で脇腹を小突きながら文也が体を寄せてくる。典晶はゆっくりと歩き出しながら、晴れ渡る青空を見上げた。
「……まあ、綺麗だったよ。正直、外見だけなら好みではあった。けど……」
他の人に聞こえないように呟くように言った典晶。その声が聞こえたのだろう。バックの中にいるイナリがゴソゴソと暴れた。典晶は必死にバックを押さえつける。
「けど、何だよ?」
歯切れの悪い典晶の言葉を気にしたのだろう。文也が真剣な眼差しをこちらに向けてくる。
けど、イナリは人間ではない。普通の結婚生活が送れるのだろうか。それに、イナリが本当に自分のことが好きなのかどうかも分からない。イナリも、宇迦や周りの人に言われてこの結婚に賛成しているだけなのかもしれない。
「ん~、いや何でもないよ。これは俺の問題だからさ。それよりも、考えるべき事は宝魂石だよな」
話を逸らした典晶に、文也は探るような視線を向けながらも、「それなら良い考えがあるぜ」と、人差し指を上げた。
「何の情報もない所から闇雲に幽霊を探して成仏させるってのは、正直言って困難を極めるだろう。だから、予め前情報のある幽霊から成仏させるってのが最善だろう」
「そりゃそうだけど。そんな情報何処で仕入れるんだよ? 母さんや宇迦さんに何度も頼むわけにはいかないんだぜ?」
分かっているとばかりに、文也が鼻を鳴らす。周りに誰もいないことを確認し、そっと囁く。
「学校の怪談だよ。それなら、情報も入手しやすいし調べやすい。なんせ、現場が学校なんだからな。新しそうな怪談からピックアップして、手当たり次第当たっていけば良いんじゃないか? 実際、怪談が本当かどうか、個人的にも気になる所だしな」
典晶は、「それいいね」と手を打つ。本当に文也がいてくれて助かった。典晶だけならそんな案は出せないだろうし、携帯片手に街を彷徨くのが関の山だ。学校の怪談で上手く宝魂石が集められるか分からないが、案としては良いだろう。むしろ、最初に手をつけるにはもってこいだと思われる。
「コンコンッ!」
文也の提案に納得がいったのか、いつの間にかバックから顔を出していたイナリが吠えた。
昼休みの食堂は賑わっていた。食堂と言っても、私立の高校のように何十種類もメニューがあるわけではなく、ABCの日替わり定食がある程度だ。それでも、食堂は毎日のように混雑しており、食堂から通じるテラスも相変わらずの混雑ぶりだ。
「珍しいわね、典晶がお昼を誘ってくるなんて」
そう言ってA定食のラーメンを啜るのは、石橋美穂子だ。ボリュームのある髪をキッチリとセットし、制服の胸元のリボンは少し緩めに結ってある。スカートの丈は短く、典晶は目のやり場に困ってしまう。
「まあ、ちょっとな……」
美穂子の視線から逃げるように、典晶は視線を足元に向ける。モゾモゾと動くバックの中に、学食で買ったサンドイッチを放り込む。
「なに? 私に相談って? ちょっとしたことなら、メールでも良いのに」
そう言って、美穂子は勢いよくラーメンを啜る。
「メールじゃちょっと。少し、長い話になるから」
「うん。それで、なに? こうして話すって事は、余程のことなんでしょうけど」
「余程と言えば、かなり余程かな」
典晶は、土御門家に代々伝わる『モノノケの嫁入り』について説明した。子細を話す前に、美穂子は「ああ! 知ってる知ってる!」と、嬉しそうに手を叩いた。
「なになに? もしかして、典晶、嫁入りの試練でもやるわけ?」
これまでの経緯を知っているかのように、美穂子はズバズバと言い当ててくる。石橋家も嫁入りの協力者だと言っていたが、なるほど、本当にその事を知らなかったのは典晶だけだったようだ。
典晶は、イナリのこと、嫁入りの試練のこと、宝魂石のことを説明した。
「ふむふむ、それで、私にその嫁入りを手伝ってほしいと、そう言うことでしょう?」
「まあ、簡単に言うと……。駄目かな?」
「良いわよ。小さい頃から、パパとママから協力するようにって言われてるし」
「………やっぱり、そうなのか……」
「それに、面白そうじゃない? 私、幽霊とか神様、大好きだし。あっ、でも、部活もあるから、常に手伝うって訳にはいかないかもだけど」
「その辺りは大丈夫、文也にも協力してもらってるからさ。でさ、早速学校の怪談について色々と聞きたいんだ。美穂子、噂話とか好きだからそう言うのに詳しいだろう?」
「なるほど、手近なところから攻めていくって訳ね。どういうのが良いのかしら? ハードなの? それとも、ソフトな物?」
パック牛乳を飲みながら美穂子は尋ねてくる。
「どっちでも良いよ。条件を付けるとすれば、比較的新しい、信憑性のある怪談がいいな」
「信憑性? 新しい怪談? それだと、怪談ていうよりも噂話かな」
「それでも構わないよ。真偽を確かめるのは、それほど大して時間は掛からないしさ」
「そうね。最近の怪談って言えば、やっぱり去年の出来事よね。典晶も聞いた事くらいあるでしょう?」
「黒井真琴の噂?」
「そう、二年D組の生徒は、すべからく黒井先輩に呪われているって話。実際、あの事件が起きてから半年以上が経ってるけどね、うちのクラスじゃ、色々と問題があるのよ」
そう言えば、美穂子は噂の二年D組に所属していた。
「問題って?」
「登校拒否の生徒が二名でしょう? それに、担任の先生が病気で入院。代わりの副担任も事故でまた入院。それにね」
「それに?」
「うちのクラスの松風綾馬君が、黒井先輩の幽霊を見たんだって。忘れ物をして放課後教室に戻るとね、首つり自殺をしている先輩の姿があったんだって。それでね、突然こっちを見て、「お前達、全員を呪ってやる!」って、一喝されたんだって」
「それは、ビビるな」
夕日の差し込む教室。天上から下がる人影。風もないのにユラユラと揺れる首吊り死体。その光景を想像すると、ゾッと背筋に冷たい物が滴り落ちる。
「それだけじゃないの。それを見てから、どうも松風君の様子がおかしくってね。あんなに元気だったのに、人が変わったように暗くなって、学校も休みがちになったし」
テラスをゆっくりと吹き抜ける風は生温く、ジットリと湿っていた。蒸しているというのに、悪寒が背中から全身に広がり、典晶は体を震わせた。
一度、ソウルビジョンでD組を見た方が良いかもしれない。少し危険な感じもするが、同じ学生だったのだ、話せば何とかなりそうな気もする。
モゾモゾと動くイナリを軽く蹴飛ばすと、典晶は「他には?」と話を振る。
「ん~、じゃあ、こういうのはどうかな。室内プールにいる幽霊。誰もいないプールから誰かの泳ぐ音がするんだって。三年くらい前だったかな、私達が入学する前に、水泳部の女の子が居残り練習中に事故死しちゃったんだって」
「ありがちっぽいな~」
「ありがちだけど、本当なんだって。大きなニュースにはなってないけど、私は事件の事を良く覚えているよ。典晶は覚えていない? 小さな街だから、ちょっとした騒ぎになってたわよ」
「そうだったっけ?」
「そうだったのよ。文也とゲームばかりしてるから、何も憶えてないのね」
「仕方ないだろう」
「他にも、学校に現れる逆さ爺ね」
「逆さ爺?」
「これは怪談と言うよりも都市伝説の類かも。幽霊と言うよりも、妖怪になるのかしら?」
クスクスと笑いながら、美穂子は牛乳を吸い上げたストローの飲み口を指先で塞ぎ、それを足元にポタポタと垂らした。
昨日までの自分なら、妖怪という子供っぽい単語に笑っていただろうが、今の典晶は笑えなかった。歌蝶は鬼女だし、宇迦とイナリは神様なのだ。逆さ爺という妖怪がいたとしても不思議ではない。
「モノノケがいるのか……?」
「もののけ? ああ、妖怪の事ね。まあ、テケテケとかそう言った類の都市伝説よね。蜘蛛みたいに腕の長い小さなお爺さんが、天井や床を這うように追いかけてくるんだって。だからって、それで食べられるとか、そう言った事は聞かないのよね」
「……そっか、そりゃよかった。それで、他に怪談っぽいのはないのか? できれば、モノノケじゃなくて幽霊絡みでさ」
「幽霊ね……まあ最近の話じゃ、黒井先輩とプールの話くらいかな」
「そっか。助かったよ」
「別に良いわよ。時間があったら、私も付き合うから」
言葉を止めた美穂子は、足元を見やる。今まで気がつかなかったが、周囲の視線がこちらに注がれていた。学校では目立つことのない典晶と、男子生徒からそこそこ人気がある美穂子。この組み合わせが異色だとしても、此処まで人目を引くとは思えない。
何が一体どうしたのか、その答えはすぐに分かった。
「でさ、典晶。イナリちゃんがいるんだけど? 典晶が連れてきたの?」
「え……?」
別の意味で体温が下がる。周囲の視線の先にあるのは、典晶でも美穂子でもない。美穂子の足元にあるもの、いや、いるものと言った方が良いか。恐る恐るテーブルの下を覗き込んでみると、美穂子のストローから滴り落ちる牛乳を美味しそうに舐めているイナリがいた。
(イナリ!)
心の中で叫んだ典晶は、席を立つと急いで美穂子の足元からイナリを回収し、バックの中に押し込んだ。
周囲の視線が典晶に突き刺さる。
「ねえ、あの子ペット連れてきてるわよ」
「いくら可愛いからって、それはどうかと……」
クスクスと笑い声が聞こえる。下がった体温が急激に上昇し、顔が真っ赤になるのが分かる。
「まあ、婚約者だしね。仕方ないわよね」
美穂子がニコニコと笑う。
典晶は胸にバックを抱えて立ち尽くした。痛いほど周囲の視線が突き刺さる。
「助かったよ、美穂子! また、後で連絡するから!」
「は~い! 部活が終わって、八時くらいには家にいるから、連絡頂戴」
イナリに手を振る美穂子に礼を言った典晶は、逃げるようにテラスを後にした。