テラーノベル
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校舎を抜けて、裏のフェンスに手をかけた。鉄の冷たさが、指先をじりじりと焼く。
吐く息だけが白く浮いて、やけにうるさい。
(逃げた)
わかってる。
見てたのに。
足が動かなかった。
声も、出なかった。
(助けたかった? 違うだろ)
──ただ、見たくなかっただけだ。
あの光景を。
あいつが、蓮司に壊されていく姿を。
耐えられなかっただけだ。
自分が、そこにいなければ済むって──ただ、それだけ。
「最低だよな、俺」
声に出すと、空気がひび割れる。
(俺が、欲しかったくせに)
日下部が、怖がっている顔。
泣きそうな顔。
触れられて、震えてた喉。
あれが、頭から離れない。
──いや、違う。
(見たくなかったんじゃねぇ……欲しかったんだ)
喉の奥がひくつく。
酸っぱいものが込み上げてくる。
胃の底から、何かが逆流してきそうだった。
(“あの顔”、俺がさせたかった)
(あの震え、俺に向けてほしかった)
(俺を……“欲しがって”ほしかった)
「うるせぇ……」
自分の中の“声”を、叩き殺すように呟く。
けれどそれは、どんどん膨らんで、逃げ場を奪っていく。
(俺が……あのとき、逃げなきゃ──)
(──逃げた。逃げたんだ)
“誰かを壊してしまいそうな自分”から逃げた。
でも、もう遅い。
壊したのは──自分だ。
蓮司が何をしたかなんて関係ない。
あんなのは、言葉遊びだ。
本当に壊したのは、俺が、欲望を向けたからだ。
(欲しかった。あいつを、俺のものにしたかった)
(静けさを、体温を、“優しさ”を──全部、自分に向けてほしかった)
それが、どれほど醜いか。
どれほど、汚れてるか。
(──俺が近づいたから、あいつは壊れた)
(俺が見たから、あの表情が生まれた)
(俺が、“欲しかった”から)
だから、蓮司が壊したなんて言い訳だ。
全部、自分の罪だ。
触れた時点で、俺の責任だ。
──欲しがるな。
──抱かれたいとか、思うな。
──誰かを自分のために求めるな。
そう思って、何年も過ごしてきたのに。
ほんの一瞬、誰かに救われたいと思った。
“あの部屋”で、何もされなかった夜。
(あのときから、もう間違ってたんだ)
無力で、無意味で、ただ“そこにいてくれた”だけの時間。
あの沈黙に甘えた。
優しさだと、錯覚した。
“求めてもいいかもしれない”なんて、夢を見た。
──それが、地獄の始まりだった。
「……汚れてる」
唇が動いた。
誰に向けた言葉でもない。
ただ、自分を呪うための、音だった。
「俺なんか……死んだほうがいい」
目が焼けるように痛い。
けれど、涙は出なかった。
泣く資格なんかない。
泣いたら、“許される気がしてしまう”から。
だから、泣かない。
誰にも頼らない。
助けなんて、求めない。
──だって俺は、“加害者”だから。
優しさは拷問だ。
触れてくる手は、全て呪いだ。
手を伸ばしてくれたその瞬間、自分がその手を壊してしまう気がして、震える。
(……見んなよ)
日下部の視線が頭に焼きついてる。
蓮司の嘘に反応したあの瞳。
それを思い出すたび、喉の奥が、鉄で詰まる。
(俺を、見るな)
こんな俺を。
こんなに醜くて、歪んでて、腐ってる俺を。
──お願いだから、見ないでくれ。
もしあいつが、ほんの少しでも優しくしてくれたら。
もし、“大丈夫”なんて言葉をかけてきたら。
──きっと俺は、もう、戻れない。
この地獄から、二度と。
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