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ゆずき
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碧斗の母を見送った後、私はベッドのすぐ傍まで椅子を引き寄せて座り直した。彼の様子に胸を痛くしながら、掛布団の端から見えた彼の手にそっと触れる。まだ目覚めない今、反応が返ってこないことは承知の上で、そっと話しかける。
「命に別条がなくて本当に良かった。お母さんからの電話で、碧斗が事故に遭ったことを聞いた時、びっくりしたなんてものじゃなかったよ。頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなった。柚乃の時のことを思い出して、碧斗にもしものことがあったらどうしよう、私はまた大事な人を失ってしまうのか、って、とっても怖くなったの。私ね、碧斗のことを好きみたいなんだ。うぅん、好き。その気持ちを伝えられないままになってしまったら、きっと後悔する。そんなのは嫌だって思った。……あれ?」
触れていた碧斗の手が、微かに動いたような気がした。それにやや遅れて、聞き慣れた声を私の耳が拾う。
「……今の、ほんとか」
ひどく小さな声だったから、幻聴かと思った。しかし、息を詰めて見守る私の前で、碧斗の瞼がゆっくりと開いていく。
「碧斗……?」
彼はのろのろと顔を動かして私を見た。
視線が合った。
彼が目を覚ましたことへの喜びと安堵に震えながら、私は彼の手をそっと握った。
「私のこと、分かる?」
私の手を握り返して、彼はぼそりと答える。
「俺の好きな人」
目覚めたばかりで、まだ意識が朦朧としているのだろうと思い、私はもう一度訊ねる。
「私が誰か、ちゃんと分かる?」
彼はふっと笑い、私を真っすぐに見つめる。
「俺の好きな詩乃」
「……っ」
こんな時なのに、冗談を言って私をからかっているのかと戸惑った。
彼は私の手をぎゅっと握り、静かに問いかけて来る。
「なぁ、さっき言ってたことって、ほんと?」
「さっき、って?」
何を言ったか、もちろんちゃんと覚えている。あれは、彼が聞いていないと思っていたために口から出た本心だったが、まさか聞かれていたとは思わなかった。恥ずかしくて、私は彼の質問を聞き流す。
「あ、えぇと、まずは看護師さんを呼んだ方がいいよね」
曖昧な笑みを浮かべながら、私は彼の頭の上にぶら下がっていたナースコールボタンに手を伸ばした。ところが、そこに届く前に、私の手は碧斗に捉えられてしまう。中途半端な体勢を取っていたために碧斗の上に倒れ込みそうになり、私は慌ててベッドの端に手を着いて体を支えた。
「ちょ、ちょっと、碧斗、危ないよ」
碧斗は謝るでもなく、真剣な目をして私をじっと見上げ、問いを繰り返す。
「本当なのか?俺のことを好き、って」
「あ、あれは、その……」
目を泳がせながら、私は碧斗の手を自分の手から引き離そうとした。しかし、できない。彼の手は意識が戻ったばかりとは思えないほど力強かった。
彼はそのままの状態で私に告げる。
「俺は、ずっと前から詩乃が好きだったよ」
「な、何を言い出すの?自分が今どんな状態なのか、分かってる?とにかく、この手を離してよ」
私は再び彼の手から自分の手を引き抜こうとした。やっと離れた、と思った途端、ベッドの上で体を支えていた手が滑り、碧斗の枕元につっぷすように倒れてしまった。はっとして見た碧斗の表情は歪んでいた。
「いてて……」
「ご、ごめんっ」
怪我人に対して力技を使ってしまった。焦った私は、すぐさま起き上がろうとした。
その動きを止めるように、碧斗が私の頭の後ろに手を回す。
「は、離してよ」
彼は私の言葉を聞き流す。
「こんな状態の時に言うつもりはなかったんだけど、詩乃の言葉を聞いてしまったから、告白するなら今しかないと思うわけだ」
碧斗の柔らかな声が耳を撫でる。
「初恋なんだ。詩乃は全然気づいていなかったし、俺もなんだか自信がなくてあえて隠してたところもあったから、仕方ないんだけどね。子どもの頃からずっと好きだった。だから、もしも詩乃も俺と同じ気持ちなら、付き合ってほしい。俺の彼女になってくれないか」
うんと答えるだけでいいのに、どきどきし過ぎて声が出ない。
その時、花火の音が聞こえた。すでに始まっていたようだが、今の状況に気を取られていて気がつかなかった。
碧斗が残念そうにため息をついた。
「本当なら、一緒に花火を見ながら詩乃に告白するはずだったんだけどなぁ。……詩乃、カーテン開けてくれる?」
「うん」
私は頷いて窓辺に立って行き、カーテンを開けた。
一部の木の枝が邪魔をしているが、花火は病室から真っすぐ見えた。
「来年の花火は、彼氏彼女として見に行くぞ。いや、もしかしたら、婚約者になってたりして」
私はまだ何の返事もしていない。
それなのに、彼は想像を膨らませている。
そんな碧斗に呆れながらも、互いの隣に互いがいる未来を思い描いている彼の気持ちが嬉しい。
「詩乃に頼みがあるんだけど」
碧斗に呼ばれて私は彼の傍に戻った。
「何?」
「詩乃のキスがほしいな」
「な、何言い出すの?けが人なんだから、それどころじゃないでしょ」
「詩乃のキスをもらえたら、けがが早く治りそうな気がするんだ。……待てよ!その前に、詩乃の答え、まだもらってなかったな」
「こ、答え。答えね……」
「あぁ。まずは、俺を好きなのかどうかっていう、そこの部分だ」
「え、えぇと……」
もじもじしている私に碧斗はにやりと笑う。
「言いにくいなら、態度で表してもらおう」
「態度?」
「そう。俺を好きならキスしてほしい。そうでなければ、そのままナースコールしてくれ」
「え……っ」
碧斗の提案に困惑して、私は瞬きを繰り返す。
「詩乃、大好きだよ」
碧斗はにっこりと笑いながら、誘うように私の唇に指を伸ばした。
「……っ!」
鼓動が高鳴った。碧斗の甘い眼差しに負けた私は、不謹慎だと思いつつもじりじりと彼に顔を寄せて行き、意を決して彼の唇に自分の唇を重ねた。彼の唇から感じる熱と、その柔らかな感触とに、大切な人を失わずに済んだと安堵し、涙がにじむ。
唇を離した碧斗は私の顔をのぞき込み、気遣うように訊ねる。
「泣いているのか?」
「碧斗までも失うことにならなくて本当に良かったな、って」
私の言葉の裏にある想いを、碧斗はすぐに察したようだ。けれど、あえて冗談めいた口ぶりで言う。
「そこは、俺とのキスに感動したから、とか言ってほしかったな」
「そんな冗談が言えるんだから、きっと早く退院できるわね。看護師さん、呼ぶからね」
私は苦笑しながら、ナースコールのボタンに手を伸ばしたが、途中で手を止めた。言うべき大事な言葉を、まだ彼に伝えていなかった。
「碧斗、大好きよ。付き合おう」
甘く跳ねる鼓動を感じながら、私は碧斗を見つめた。
碧斗も私を見つめ返す。その面に、瞬く間に笑みがいっぱいに広がった。