テラーノベル
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このひと月ほど、私は毎日のように彼の病室を訪ねていたが、それも一昨日で終わった。
昨日の午前中に退院した彼は、明日には再び地元を離れ、勤務している地へと戻って行く。
その前にもう一度碧斗に会いたくて、私は事前に連絡を入れてから彼を訪ねた。
チャイムを押してしばらく待っていると、ガチャリと音がしてドアノブが動いた。
顔を出した碧斗は、私を見るなり嬉しそうに笑う。
「待ってたよ。今は俺一人だから、たいしたもてなしもできないけど、どうぞ」
「お邪魔します」
私はおずおずと玄関に足を踏み入れた。
「おばさんは何時頃帰ってくるの?」
彼の母親が外出することは、事前に連絡をした時に聞いていた。その時間を狙ってここに来たわけではないが、なんだか悪いことでもしているような気分になってしまう。
「友達とお茶をしてくるって言ってたから、たぶん夕方じゃないかな。一人息子が明日には向こうに帰るっていうのに、あの人は全く通常運転だよ」
碧斗はわざとらしくため息をついてから、表情を戻して私をリビングに促す。
「適当に座ってて。コーヒーでいい?」
「私がやるから、碧斗は座ってて。そうだ、その前に」
私は手に提げていた紙袋の中から、箱を取り出した。テーブルの上に置き、蓋を開ける。
「これ、作って来たの。碧斗が美味しいって言ってくれたから」
またしばらくは彼に会えないと思ったら、その間私のことを忘れずにいてもらえそうな何かを碧斗に渡したいと思った。
チャームかペンダントを作ることも考えたが、それらをプレゼントするのは、まるで彼を縛ろうとする鎖のように思えて、やめた。毎年のように渡していたチョコレートケーキくらいなら、特に重くも感じないだろうと考えて、それを作って持ってきたのだ。
碧斗は箱の中を覗き込み、目を細めた。
「チョコレートケーキ?もしかして、毎年バレンタインデイに作ってくれてたやつ?嬉しいな。ありがとう。お?ちゃんと切り分けてあるんだな」
「一緒に食べようと思って。私、コーヒー、淹れてくるね」
私はキッチンに足を向けたが、碧斗もその後を着いてくる。
「俺も一緒にやる」
「私一人でできるよ」
「でも、皿とかフォークの場所、分かんないだろ」
碧斗は言いながら、食器棚から小皿とフォーク、カップを取り出す。
「こっちは持って行っておくから、コーヒー、頼んでいい?今ドリップ切らしてて、そこのインスタントしかないんだけど」
「分かった。じゃあ、お皿にケーキ、乗せておいてもらえる?
コーヒーを淹れ終えて、私は二つのカップを持ってリビングに向かった。
それらをテーブルに置いた後、私は近くにあったクッションを引き寄せてその上に座った。
すでにソファに腰を下ろしていた碧斗が、自分のすぐ隣をぽんぽんと軽くたたいて私を呼ぶ。
「詩乃の場所はここ。俺の隣に座ってよ」
「で、でも……」
もし碧斗の母親が予定よりも早く帰ってきたらと思い、躊躇した。すぐ隣に私が座っているのを見たらどう思うだろう、と気になってしまう。
私が何を心配しているのか、碧斗はすぐに察したようだ。意味深な目つきをしてこんな提案を口にする。
「ここにいるのは落ち着かないっていうんなら、がらんとして殺風景だけど、俺の部屋に行こうか?まぁ、俺としては、詩乃と思う存分いちゃいちゃしたいから、そっちの方が嬉しいっちゃ嬉しいんだけどね」
「……っ!」
あっという間に顔が火照った。その熱を持て余しながら、私はクッションを抱えて碧斗の隣におずおずと移動する。
自分からやや離れて座った私を見て、碧斗は可笑しそうにくすくすと笑う。
ゆずき
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「俺と詩乃が付き合っていることは、どっちの親たちももう知ってることだし、今日だって詩乃と俺が会うことは、皆知ってるわけだから。うちの母さんに関しては、もしかしたら気を利かせてくれるかもしれないぜ」
「そ、それはそれで恥ずかしい」
私はますます赤面する。
「だからこそ、別に変なことはしないから安心してくれよ。そのクッションも、俺がいちゃいちゃしたいって言ったから、警戒してるんだろうけど、そんな風にされると、ちょっと傷つくなぁ」
「べ、別に、警戒しているわけじゃないけど……」
碧斗はくすっと笑い、クッションを抱えた私の手をそっと握る。
「せめてこれくらいは許してほしいな。だって明日にはまた、こっちを離れるんだから、できるだけ長く詩乃に触れていたい」
碧斗は私を潤んだ瞳で見つめて、甘い声で囁いた。
よく知る幼なじみのはずなのに、まるで別人のような彼に胸をどきどきさせながら、私はそっと彼の手を握り返した。彼に触れていたいと思うのは私も一緒なのだ。
私の手を握る碧斗の手にさらに力が込もる。
「次にこっちに帰ってくるのは、年末年始かぁ。ニ、三か月って、短いようで長いよな」
「そうだね」
全くその通りだと思いながら相槌を打ち、私はふと思いつく。
「来月と再来月、連休があるよね。その時、行こうかな。碧斗に会いに」
「えっ、ほんとに?」
彼はぱっと顔を輝かせた。
「行っていいなら」
「だめなわけないじゃないか」
碧斗は私の顔に手を伸ばす。
「な、何?」
「約束。指切りの代わり」
代わりとは何かと訊き返す暇はなかった。
私の視界が碧斗で一杯になり、あっと思った時には私の唇は柔らかに塞がれていた。
初めて碧斗とキスした時よりも長く、もどかしさを感じるような熱いひとときだった。ようやく彼のキスから解放された私は、深いため息を吐き出しながら彼の胸元にくたりともたれかかった。
「この続きは、来月、詩乃がこっちに来た時な」
私の背を愛おしそうに抱きながら、碧斗は私の耳に口づけた。
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