「今日は定時で上がれる?」
「え、あー」
いつものように遥に聞かれ、答えに詰まった。
捻挫をしてから、毎日遥と一緒に雪丸さんの車で通勤する。
ドクターストップがかかっているからには抵抗もできないまま、それが当たり前になってしまった。
「今日は早めに帰れそうだから、一緒に帰ろうか?」
「だって、夕方から財界の懇親パーティーがあるはずじゃ」
「珍しく社長が行くって言うから、俺は欠席することにした」
「ふーん」
マズイ。
今日は遥の帰りが遅くなると思っていた。
朝は一緒に行っても帰りの遅い遥を待つこともできず、帰りはタクシーで帰ることの多い萌夏。
たまに遥が早い時には一緒に帰ることもあるけれど・・・
「萌夏は遅くなりそう?」
「そうじゃなくて・・・」
「何?」
はっきりしない萌夏に、遥が不信がっている。
「あのね、今日は友達と約束があって」
「友達?」
「うん。地元の友達がたまたまこっちに出てくるらしくて、夕食の約束をしたのよ」
「ふーん」
遥はどうせ遅くなるだろうと思って、事前に話していなかった。
やっぱりまずかったかなぁ。
「行ってもいいかなあ?」
「もちろん、行っておいで」
そうは言いながら、少し不満そうな顔。
会社では感情を表に出さない遥だけれど、家ではわかりやすく喜怒哀楽を表現する。それがかわいいなとも思う。それでも、こう露骨に「嫌だな」って顔に出されるとねえ。
「ごめんね、早めに帰るから」
それでも久しぶりに友人と会うチャンスを逃す気にもならず、萌夏は遥の不満に気づかないふりをすることにした。
***
「萌夏ー」
約束した店の前で手を振る友人。
「晶、久しぶりー」
萌夏も駆け寄ってギュッと抱き着いた。
え?
通り過ぎる通行人の何人かが、口を開いたのが見えた。
「ほんとに久しぶり。2年ぶりかな?」
「そうだね」
周囲からの視線など気にすることもなく、萌夏と晶は再会を喜び合う。
大学に行くため家を出てから一度会っただけで、ずっと会えなかった友人との再会に萌夏は泣きそうな顔になっていた。
「おなかすいたね、店に入ろうか?」
「うん」
萌夏の目の前に現れた友人、|山口晶《やまぐちあきら》23歳。
萌夏とは小学校からの幼馴染で、地元の友人。
萌夏にとって唯一の親友。
女性にしては長身の170センチ越えの身長に、ボーイッシュな服装とサラサラのショートヘアー。
一見男性にしか見えないルックスと『晶』という名前のせいでいつも男性に間違えられてしまう。
先ほど路上で抱きついてしまった萌夏と晶をカップルだと思った通行人の反応も、2人にとっては珍しいものではない。
***
「えぇー、ルームシェア?」
「うん」
「ふーん」
晶の何か言いたそうな顔。
駅前のイタリアンを予約し、2人で料理を堪能した。
ワインもおいしくいただき、かなり気持ちよくもなった。
普段は節約する萌夏も、今日は贅沢にデザートまで平らげた。
すべては晶と一緒だから。
晶の前では素の自分でいられるし、遠慮なく何でも話せる。
その思いは晶も同じで、
「萌夏らしくないね」
はっきりとした口調。
「そうかなあ」
萌夏だって、らしくないのはわかっている。なぜこうなったのかいまだにわからない。
でも、遥と過ごすのも自分らしくいられる時間。
「彼氏じゃないんでしょ?」
「うん」
違うと思う。
今まで一度もそういう雰囲気になったことはない。
「その人のことが、好きなの?」
「うーん」
嫌いではない。遥のことは信頼しているし、まじめで実直な生き方は尊敬さえしている。
でも、それが愛情かと聞かれると・・・
「何でそこにいるの?」
「それは」
初めは住む所がなくて、マンションに置いてくれると言われて素直に喜んだ。
これで路頭に迷わなくて済むと思った。
でも、2か月以上たった今は少し違う。
「そんないつまで続くかわからない生活をしていて、いざとなったらどうするの?」
「大丈夫。遥は出て行けなんて言わないと思うし」
それに、萌夏だってなるべく早くお金を貯めてアパートに引っ越そうと思っている。
いつまでも甘えるつもりはない。
「危なっかしいわね」
「そうかなあ?」
「そうよ。今の関係って、2人に恋人がいないからでしょ?その前提が崩れた瞬間、萌夏は住む所を失うのよ」
「それは、そうだけれど・・・」
恋人かあ。考えたこともなかった。
***
とにかく、なるべく早く遥のマンションを出るようにと説得されて、晶との夕食は終わった。
子供の頃からなんでもはっきり言う晶に口でかなうはずもなく、萌夏はただ頷くしかなかった。
晶の意見はまっとうな大人としての見解なのだろう。
自分たちはそう思っていなくても、周囲の人から見れば萌夏と遥の同居は違和感があるらしい。
「じゃあね」
「うん。またね」
一人暮らしのアパートなら「泊っていけば」ていうところだろうけれど、今はそんな状況じゃない。
萌夏自身が居候みたいなものなんだから。
「萌夏もたまには帰ってきなさいよ。おじさんのお墓参りもしてないんでしょ?」
「ぅ、うん」
父さんのお墓参り、ずっとしていない。もちろん気にならないわけではない。
でも、帰れば会いたくない人もいて簡単にはいかない。
「時間が取れたら連絡して。何なら家に泊めてあげるし」
「晶、ありがとう」
「またゆっくり飲もうね」
「うん」
じゃあねと背中を向けて歩き出した晶を萌夏はじっと見つめていた。
父さんさえ生きていれば、地元で就職して晶のように暮らせたのに。
それを望んでいたのに・・・
「萌夏、泣かないの。自分で決めたんでしょ」
数メートル先から、クルリと振り返った晶の檄が飛んだ。
わかっている。
実家を離れて東京で一人暮らしをするって決めたのは萌夏自身。
だから泣き言は言わない。
「バイバイ晶。また連絡するね」
精一杯の笑顔で、萌夏は元気に手を振った。
***
「お帰り」
「ただいま」
晶と別れてマンションに帰ったのは11時過ぎ。
リビングのソファーには遥が起きていた。
「何か作ろうか?」
テーブルの上にビールの缶が置かれているのが見えて、聞いてしまった。
「いや、いいよ」
ん?不機嫌?
「夕食はどうしたの?」
外で食べるって言うから用意していかなかったんだけれど。
「冷蔵庫にあった冷凍パスタで済ませた」
「ええー、言ってくれれば作って出たのに。きっと雪丸さんと食べるんだろうと思ったから」
つい文句になってしまう。
「別にいいだろう。萌夏は何を食べたんだよ?」
「え、私は・・・イタリアン。駅前にできた店がおいしいって礼さんに聞いたし、晶もイタリアンが好きだし 」
「晶?」
驚いたように遥が顔を上げる。
「そう、山口晶。小学校からの親友なの」
「へー」
テーブルの上の缶ビールをグビグビと流し込む遥。
「晶ね、すごくかっこいいのよ」
「ふーん」
「久しぶりに会ったんだけれど、益々素敵になっていて」
言いながら携帯から今日撮った晶との写真を遥に向ける。
「もういいよ」
え?
見てみて本当に男の子みたいでしょ?
萌夏はそう言おうとしたのに、遥が遮った。
「遥?」
「楽しそうで何よりだ。俺は寝る」
グシャッと空き缶をつぶし立ち上がる。
何なのよ、もっと話をしたかったのに。
今日行ったお店もおいしかったし、今度遥と行きたいなと誘うつもりだった。
「もー、何を怒ってるのよ」
遥が出て行ったのを確認してから口にした。
我が家の王子さまはどうやらご機嫌斜めのようだ。
***
「遥、おはよう」
「ああ」
翌朝。
いつもより15分遅れて遥は起きてきた。
さすがに遅刻するんじゃないかと、起こしに行こうと思ったときだった。
「どうしたの?調子悪いの?」
部屋から出てきた遥は元気もないし、顔も幾分火照って見える。
挨拶するのもだるそうに、ソファーに座り込んだ。
「大丈夫だ」
とは言うものの、いつもならまっすぐシャワーに向かうのに今日は動く気配がない。
「ご飯食べれる?それより、仕事に行ける?」
表情を見る限りでは熱がありそうだし、いつもの覇気が全く感じられない。
これでは仕事にならないかもしれないし、無理をして悪化されるのも怖い。
今日一日くらい休んでほしいけれど・・・聞かないだろうな。
「心配ない。食欲がないから、何かさっぱりしたジュースがもらえるか?」
「うん」
確かオレンジジュースがあったと思う。
でも、朝ごはんも食べれなくて仕事になるのかなあ。
冷蔵庫から出したオレンジジュースをグラスに注ぎながら、萌夏は心配で仕方がない。
「大丈夫、どうしても仕事にならないようなら早退して帰るから」
「うん」
遥はいい加減な気持ちで仕事をする人じゃないから、信用している。
それでも、無理をさせたくない。
***
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
雪丸さんが来た時には遥の支度も終わり、すっかり出かける準備Ok。
「出られますか?」
「ああ」
食事をしなかった分早めに支度が終わった遥はソファーでくつろいでいる。
この時、萌夏はいいことを考えた。
「遥、一応熱を計ってから行った方がいいんじゃない?」
「「え?」」
遥と雪丸さんの声が重なった。
驚いたように萌夏を見る雪丸さんと、むっとした顔で睨む遥。
確信犯の萌夏は視線を外し立ち上がる。
「発熱ですか?」
雪丸さんが、まじめな顔で遥に詰め寄る。
これで、遥の体調不良が雪丸さんに伝わったはず。
告げ口をしたみたいでいい気持ちではないけれど、他に方法がなかった。
「ただの風邪だ。たいしたことはない」
雪丸さんを振り切り玄関に向かう遥。
すれ違いざま、
「萌夏、覚えてろよ」
すごく怖い声。
でも、いいんだ。
こうでもしないと遥は無理をしそうだし。
***
会社へ向かう車の中でも、遥は無言のまま。
体調不良のせいかはわからないけれど、萌夏に怒ってるのは間違いない。
「ごめんね」
さすがにいたたまれなくて、小さな声で囁いた萌夏に、
「何が?」
冷たい返事。
「それは・・・」
遥が隠そうとしていた体調不良を雪丸さんにばらしたから。
「夕飯の用意のせずに久しぶりに会った幼馴染と楽しく飲んで帰ったからか?」
「はあ?」
何それ。
「気にする必要はない。お前が誰と付き合おうと俺に口出しをする資格はないからな。好きなだけ遊びに行け」
「ちょっと遥」
つい声が大きくなった。
「うるさい、頭に響くような声を出すな」
「・・・」
何なのよ。
昨日は気にするなって言ったのに。
それに「だれと付き合おうと」って、話が飛躍しすぎでしょう。
ん?
ちょっと待って、
「遥、もしかして晶のこと」
「うるさい。同じことを何度も言わせるな。お前が誰と会おうと俺は興味ない」
「遥・・・」
もう言わない。
たとえ誤解だとしても、体調不良のせいだとしても、知らない。
遥なんか、知らない。
プイっと窓の外を見る遥。
困った顔の雪丸さん。
萌夏は、口を閉ざしたまま車が止まると同時にオフィスへと駆けだした。
***
体調の悪い遥に優しくできないのは自分に思いやりが足りないからと、萌夏だって理解している。
子供じみた態度だったのも自覚がある。
「でも、拒絶したのは遥だし」
言い訳じみた言葉が口から出てしまった。
親友である晶のことを男性と勘違いし怒り出した遥。
体調が悪いのも重なって普段より激しく感情表現をしていた。
本来なら遥の体を気遣って、「ごめんなさい」と謝れば済む話なのかもしれない。
気持ちを落ち着けてから種明かしをすれば笑い話で終われるのに、病人相手に本気になってしまった。
「どうしたの萌夏ちゃん。元気ないわね」
昼食時、礼さんが声をかけてくれる。
「遥とけんかをしてしまって」
「あら?」
なぜかうれしそうな礼さん。
遥と一緒に通勤するようになってから、礼さんと高野さんには「実は遥のマンションに同居しています」と話した。
もちろん恋人関係でもなく、純粋な居候だと説明してある。
「それで、遥の機嫌が悪いのね」
「いや、それは・・・風邪をひいたらしくて」
「ふーん」
さすが礼さん。遥の機嫌が悪いことに気づいていたんだ。
「遥って昔から風邪をひくと、熱を出して寝込むのよね」
何かを思い出すように礼さんは言っているけれど、それだけ昔から遥を知っているってことだよね。
やっぱり、礼さんが遥の元カノだって噂は本当なのかもしれない。
***
「遥って、ああ見えて子供の頃は病弱でね、病院と縁のキレない子だったらしいわ」
「へー、そうなんですか?」
今の遥からは想像できないけれど。
「彼も複雑な生い立ちを抱えているのよ」
「複雑な生い立ち?」
オウム返しに聞きながら、萌夏は首をかしげた。
恵まれた家に生まれた御曹司に一体どんな生い立ちがあるのか純粋に気になった。
それに、一緒に暮らすからには最低限の情報は承知しておきたいとも思うし、普段から弱音を吐かない遥を知らず知らずのうちに傷つけているのかもしれないと思うと怖くもなった。
しかし、
「あとは、元気になったら本人から聞きなさい」
そう言って、礼さんは口を閉ざした。
どうやらこれ以上は教えてもらえそうにない。
仕方ない、いつか機嫌のいい時の遥に聞いてみよう。
とりあえず、今日はやめた方がよさそうだから。
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