「おい、小川」
お昼か終わってオフィスに戻ると、雪丸さんに呼ばれた。
「はい」
返事をすると、
「ちょっと来てくれ」
次長室から顔だけ出して手招きしている。
「失礼します」
雪丸さんに続いて次長室へ入ると、
嘘。
目の前のソファーに遥が横になっていた。
「ど、どうしたんですか?」
遥のもとに駆け寄り額に手を当てる。
うわ、すごい熱。
朝から熱があるんんじゃないかと思っていたけれど、これはひどい。
「病院へ連れて行くから一緒に来てくれるか?」
雪丸さんは遥の荷物をまとめて帰り支度を始めている。
「ええ」
こんな遥を見たら心配で仕事になんてならない。
それにしても・・・
この時、萌夏は無性に腹が立っていた。
「雪丸さん、何でこんな状態になるまで放っておいたんですか?」
遥の体調が悪いのは伝えてあったはずだし、風邪をひいたら寝込むことがあるなんてエピソードだって礼さんが知っているからには雪丸さんが知らないはずがない。
それなのにどうしてここまで黙っていたんだろうと、聞きたかった。
「そういうお前はどうなんだ?」
え?
***
「朝、仕事へ行くのを止めることもできたはずだろう?」
「それは・・・」
確かに朝から具合が悪そうだったし、食欲もなかった。
「やめろ」
ソファーの上で目を閉じていた遥が雪丸さんを止める。
「朝から熱感があったから、今日一日持たないだろうと思ってはいたんだ。それでも外せない会議があったし、進めておかなければならない仕事があった。だから出社したんだ。それらを午前中の内に終わらせたから、やっと帰れる。たとえ雪丸が止めても、やるべきことを終えるまで俺は帰らなかったと思う。だから、雪丸を責めるのは間違っているんだ」
萌夏を見上げながら遥はゆっくりと話す。
「ごめんなさい」
萌夏は素直に謝った。
さっきのは完全に八つ当たり。
自分のことを棚に上げて、責任転嫁もいいところだ。
「じゃあ、車を用意してくる。下まで歩けるか?」
いつもは敬語の雪丸さんも、こんな時にはため口に戻る。
「大丈夫だ。萌夏と一緒にゆっくり向かうから下で待っていてくれ」
「わかった」
早退の届けは雪丸さんが出しておいてくれるらしいので、とりあえず荷物をまとめ礼さんにだけは声をかけた。
「じゃあ、行こうか」
ゆっくりと立ち上がった遥が、上着を着て身だしなみを整える。
さすがに心配になって腕を差し伸べた萌夏に、「社内では目立つからいいよ」と笑った。
高熱のせいで起きているのもやっとのはずなのに、次長室を出た瞬間からピンと背筋を伸ばしいつも通りに見える遥。
その背中を見ながらすごい精神力だなあと、萌夏は感心してしまった。
***
雪丸さんの車で病院へ寄ってからマンションへと帰ってきた。
てっきり大きな総合病院へ向かうと思っていたのに、着いたのは街のクリニックで意外だなと思っていると「ここは平石家のホームドクターなんだ」と聞かされた。
出てきたドクターは遥を知っているらしく親し気に話をした後薬を処方し、短めの点滴を1本打ってくれた。
「俺はこれで帰るけれど、大丈夫か?」
マンションに玄関まで送ってくれた雪丸さんが、萌夏と遥を見ながら聞いている。
「ああ、大丈夫だ」
「大丈夫ですよ」
まだかなり熱はあるけれど、ゆっくり寝て薬が効いてくれば回復するはずだと病院でも言われたし、顔の赤身も幾分引いた。
きっと、休めばよくなると思う。
「仕事なんてさせるなよ」
萌夏の耳元で、雪丸さんがささやく。
親友であり優秀な秘書は遥の性格も行動もお見通し。
少し元気になれば、動き出すのもわかっているらしい。
でも、そうはさせない。
そのために萌夏がいるんだから。
「わかってます。明日の朝までは縛り付けてでも、寝かせておきますから」
ククク。
おかしそうに笑う雪丸さん。
へえー。
こんな風に笑うんだ。
意外にかわいい。
「おい」
雪丸を見つめてしまった萌夏に遥の不機嫌そうな声。
何?と振り返った萌夏に、
「薬を飲むから水をもらえるか?」
すでに上着を脱ぎシャツのボタンを外している。
「はいはい」
萌夏はキッチンへと向かった。
***
キッチンにはゼリーやスポーツドリンク、フルーツや軽食など食料品が置かれていた。
きっと雪丸さんが手配してくれたんだろうなと思いながら、それをしまっていく。
そう言えば、遥は朝から何も食べていない。
薬を飲む前に少しおなかに入れた方がいいだろう。
用意してもらったフルーツを切り、レトルトのおかゆも温めた。
まだ熱が高そうだからたくさんは食べられないだろうけれど、一口でも食べれば違うはず。
「あれ?」
トレーにお水とフルーツとおかゆを持って現れた萌夏は、きっと寝室で眠っているだろうと思った遥がリビングのソファーに横になっていて驚いた。
「ベットで寝た方がいいわよ」
ソファーでは体が休まらない。
「今はここでいい」
「そう」
どうせ言っても聞かないだろうと、萌夏は黙った。
たとえリビングのソファーだろうと眠ってくれればいい。
病院でもゆっくり休養するのが一番だって言われたし、ここにいればすぐに様子もうかがえる。
「薬を飲む前に、何かおなかに入れた方がいいわ」
萌夏はフルーツとおかゆをテーブルに置き、遥に見せた。
「じゃあおかゆを少しもらうよ」
「うん」
ゆっくりと起き上がり二口ほどおかゆを食べた遥は、薬を飲んでまた横になった。
***
休んだのがよかったのか、薬が効いたのか、次の日には遥の熱は下がっていた。
まだ食欲はいつもの半分くらいだけれど、普通に起き上がり動けるようになった。
「仕事、もう一日休むわけには」
「無理だな」
ですよねえ。
遥はきっとそう言うだろうと思った。
「大丈夫だ。もうすっかり元気になったから」
「うん」
わかってはいるんだけれど、やっぱり心配で。
「朝食、もう少し食べられない?」
「今はいいよ」
「そう」
やっぱり食欲がないんだ。
考えてみれば、遥は昨日からまともに食事をしていないはず。
少しでもいいから栄養のあるものを食べてほしいんだけれど。
そうだ、いいことを思いついた。
***
台所に向かった萌夏は、冷蔵庫の材料でおかずを作り始めた。
卵焼きと、ソーセージと、サラダに、焼き魚、あえ物や煮しめも。
作り置きの食材も含めて10種類以上を小さなおかずケースに入れ、タッパに詰める。
あとは・・・
ちょうど炊き上がったご飯で小さめのおにぎりを数種類ラップに包んで作った。
おかずは和洋中、甘いのやすっぱいもの、しょっぱいものやあっさりしたもの。
何が食べられるかわからないから種類を多く詰めた。
これなら少しでも食べてくれるかもしれないから。
「そうだ、お弁当を入れる袋がないなあ」
普段お弁当を作らないから、お弁当袋なんて用意していない。
困ったなあ・・・あっ。
この間遥が出たパーティーのお土産が入っていた小さな紙袋。
ブランドものだったから何かに使えるかもと思ってとっておいたんだった。
***
リビングに戻ると、遥はシャワーに行っていた。
「えっと、どこにおいたかなぁ」
リビングボードの引き出しを確認して、テーブルの上やソファー横のサイドテーブルの上も見たけれど・・・ない。
あれ、どこに置いたんだっけ。
キョロキョロとリビングを見回しながら、足が止まった。
普段から片づけはするようにしているし、物の置き場だって決めている。
でも、紙袋が見当たらない。
「そこの雑誌の間、見た?」
いきなり後ろから声がかかった。
「え、まだだけど」
部屋の隅に置かれた雑誌の束。月に一度まとめて捨てることにしている。
でも、そんなところに置いた覚えはないんだけれど。
ちょうど半月分ほど溜まった雑誌や新聞の山をめくってみると、
「あ、あった」
でも待って。
クルリと体を反転し、部屋の入り口に立つ遥に向き直った。
「なんでわかったの?」
何を探していたのかなんて遥が知るはずもないのに。
「うぅーん、それは」
遥の困った顔。
萌夏は次に出てくる言葉が気になる。
さすがに「超能力だ」とは言わないだろうけれど、何か理由がなければさすがに納得できない。
「話すから、ちょっと座ろうか」
風呂上がりで短パンにTシャツ姿の遥はソファーへと腰を下ろした。
***
「少し前に、『相手を観察していれば次の行動がなんとなくわかる』って言ったの覚えているか?」
「ああ、うん」
雪丸さんが聞きたいことの答えを先に言うから驚いた覚えがあるし、そもそも普段から遥は勘が鋭いというか、行動を読まれることが多い。
「別に、俺に超能力がある訳ではないんだ」
「う、うん」
もしかして、さっき思ったことも伝わったのかなあ。
「萌夏はリビングボードの引き出しを開けたりテーブルの上を探したりしていただろう?」
「うん」
その辺にあると思ったから。
「探しながら袋の大きさを手で表現していたのに気づいていたか?」
「え?知らない」
そんな覚えもない。
「そのくらいの大きさで、引き出しにしまうか、テーブルの上の雑誌に紛れそうな物で、出社前のこの時間に必要になるものって言えば、この間『もったいないから捨てないで』って言っていた紙袋しかないだろう」
はぁー、なるほど。
「すごい観察力ね」
確かにすごい能力だと思う。
でも、そんなに頭を使ってばかりいて疲れないんだろうか。
「無意識のうちにしていることだから、自分でもどうにもならないんだ」
「ふーん」
ほら、また読まれてる。
「ごめん、やっぱり気持ち悪いか?」
「いや、そんなことはないよ」
お金持ちのボンボンのイメージからはずいぶんかけ離れていると思っただけ。
***
「俺が平石の息子だってことは知っているよな」
「うん」
将来、平石財閥の後継者になるかもしれないと聞いた。
一般家庭で育った萌夏とは住む世界の違う人だと理解している。
でも、なんで今その話?
「実は俺、養子なんだ」
「え?」
「生まれてすぐに平石の家に引き取られた子。平石とは血のつながらない人間なんだよ」
「へえー」
としか言葉が出てこない。
お金持ちの家に跡取りが生まれなければ養子をもらうのはよくある話。
それでも、縁戚関係のある子だったり、外にできた子だったり、多少でも血のつながった子供を養子にすることが多いと聞くけれど。
「母は俺を生むとすぐに亡くなってしまって、物心つく前から俺は平石の両親に育てられたんだ」
「それって、私と一緒」
「え?」
思わず出た言葉に、遥が驚いて見せた。
「私の母も出産でなくなって、父に育てられたの」
「そうだったのか」
それでも私には父さんがいておじいちゃんもおばあちゃんもいて、みんなにかわいがってもらった。
「ごめん、話を続けて」
きっと遥には言いたいことがあるんだろうと先を促した。
***
「両親も、祖父母も、本当に俺のことをかわいがってくれたし、優しく、厳しく、大切に育ててもらったよ」
「うん」
遥を見ていれば、愛されて大切に育てられたんだろうなってわかる。
そこまで話した遥は目の前に置かれたペットボトルの水に口をつけ、フッと息を吐いた。
「それでも、色々言う外野は多くてね。割と屈折した子供時代を過ごしたんだ」
遥の顔がなんだか寂しそう。
「お金持ちの家にも、悩みはあるのね」
嫌味ではなく素直な感想として口にした。
「当たり前だろ。周りの大人たちからは必要のないお世辞を言われるし、取り入ろうと近づいてくる人間も多いし、子供の前だと思って平気で悪態つく大人だって、珍しくはない」
「ふーん」
なんだか大変そう。
「その上俺は血のつながらない養子だし、7歳の時には実子である弟が生まれてさらにうるさく言う人間が増えた」
「・・・」
さすがに、少し切なくなった。
「育った環境のせいにするつもりはないけれど、つい周りを観察してしまうし大人の顔色を見てしまう、俺はそんな子供だった。だから今でも、相手の行動が読めてしまうんだ」
「そうなんだ」
周りに気をつかっているからこそ周囲の動きが気になるしつい先を読んでしまうのかもしれない。
こう見えて、遥は苦労人らしい。
***
「こんな話、はじめてした」
「うん」
いつも強気な王子様にこんな一面があることに驚いたけれど、少しだけ親近感がわいた。
だって、
「あのね、実は私も」
そこまで言って萌夏の言葉が止まった。
本当に話していいんだろうか?
笑われたり、気持ち悪がられたりしないだろうか?
「無理する必要はないよ」
「うん」
無理じゃない。
私が遥に聞いてほしいんだから。
「私ね、霊感があるの」
「はあ?」
やっぱり呆れられた。
まあね、これが普通の反応。
今までだって仲良くなった友達に打ち明けたこともある。
でも、笑わずにバカにせずに聞いてくれたのは晶と父さんだけだった。
「それは、念力で物が動かせるとか、瞬間移動ができるとか?」
真顔で身を乗り出す遥。
「違う、それは超能力。そんな能力があればもっと違う生き方を探しているわ」
「だよな」
あれ?
遥は、バカにしていない。
ちゃんと真剣に聞いてくれている。
「私は、人が持つオーラみたいなものが見えるの」
「オーラ?」
「その人固有のエネルギーって言えばいいのかな、悪地ことを企んでいる人とか、危険が迫っているときとかは特有の傾向があって」
「じゃあ、この前の詐欺師も?」
「そう。黒いオーラが見えたの」
「へえー」
もっと驚かれると思ったのに、遥は腑に落ちたって顔をする。
「死んだ母さんが霊感の強い人だったらしいわ。どこか大きな神社の巫女を務めていたらしいから」
「ふーん」
遥の話を聞いた後で自分の力を血のせいだって言うのは変な気がするけれど、それ以外説明のしようがない。
「お互い変わり者だってことだな」
「そうね」
フフフ。
ククク。
あっけらかんと笑ってくれる遥につられて、萌夏も笑った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!