小さな村の朝は、ゆっくりと始まる。木々の間をくぐった光が、石畳の道を照らし、軒先の花が風に揺れていた。
あの戦いから幾年。
すべては、静かに、ただ日々を重ねている。
「……おーい、パンが焦げるよ」
台所から、くすくすとした声が響く。
神官が手にしたフライパンの中で、トーストがしっとりと焼き上がっていた。
「いや、焦げてない。これは“香ばしい”って言うんだよ」
奥から勇者の声が返ってくる。
昔のような威圧感や気負いは、そこにはない。
少しだけ肩の力が抜けた、どこにでもいる青年の声だった。
ふたりで住んでいるのは、始まりの村――彼らが旅立った場所。
もう冒険者でも、勇者でも、神官でもない。
ただの“ーーとーー”として、この土地に根を張っていた。
勇者は、畑の手入れを終えて戻ってくると、
神官が用意した朝食を二人分並べて、対面に座る。
「今日は村の子どもたちに、ちょっとだけ回復魔法を教えるんだ」
「それから教会の修繕。手伝ってくれるでしょ?」
「はいはい、がんばりますよ、神官さま」
そんな他愛もない会話の中に、いくつもの“願い”が詰まっている。
一緒にいること。何気ない朝を過ごすこと。
そして、もう二度と触れることを恐れなくていい日々。
ふと、勇者が言う。
「なあ……こうして、朝の光の中にいると……あの時、俺が目指していた“太陽の方角”って……お前だったんじゃないかって思うんだ」
神官は少し驚いたように目を見開き、それから微笑んだ。
「 それは光栄だな」
神官は静かに勇者の手を取る。
暖かく、どこまでも人間らしい手だった。
「……これからもずっと、光でいてくれよ。 お前の光で、俺は……人でいられる気がするから」
もう、その手は何も壊さない。
あたたかく、確かに、ふたりを繋いでいた。
外では小鳥が鳴き、村の子どもたちの笑い声が遠くに響く。
世界は変わり続ける。
それでも、この小さな光景だけは――きっと、変わらずに在り続ける。
彼らが何よりも願った「ふつうの朝」が、ここにあった。
灰の記憶を越えて、ふたりは今、ようやく“生きて”いる。