視点、朔
「何も行動せずに、ただ待っていればいいって?美佐子さんが伯母さんだってことを黙っていたのは、私たちを守るためだったかもしれない。でも、美佐子さんは、私たちの前で自分の夢を殺しているんだよ!」
ひなの叫びは、俺の胸に突き刺さった。
それは、俺が七年間、無意識に自分自身に言い聞かせてきた「行動しない理由」を、容赦なく暴く言葉だった。
俺が秘密主義なのは、陽を守るためだけではない。動くことで、状況が悪化するのを恐れているからだ。実母が亡くなった後、全てを失う恐怖を知ってから、俺は現状維持こそが最良だと信じてきた。
「ひな!待て!」
俺はひなを追いかけた。しかし、ひなは振り返らない。彼女の背中は、初めて見るほど強い、意志のオレンジ色に燃えているようだった。
追いついたのは、美佐子さんの家まであと数百メートルという場所だった。俺はひなの腕を掴み、無理やり立ち止まらせた。
「放して、おにいちゃん!!」
「聞け、ひな!!」俺はひなを強く見据えた。「美佐子さんが夢を諦めたのは、お母さんの病気や、俺たちの里親になったことだけが理由じゃないかもしれない。だが、美佐子さんは、俺たちに血縁を隠すことで、無償の愛を与えようとしてくれた」
俺の息は荒かった。この場で、俺が彼女を止めるのは、美佐子さんの安寧を守るため、そして、俺自身の恐怖を正当化するためだ。
「俺たちが今、勝手に小箱を探し出して、それを美佐子さんの目の前で開けたらどうなる?美佐子さんは、『自分を信じて待ってくれなかった』と傷つく。お母さんの遺言が、美佐子さんへの裏切りになるんだ!」
「違う!美佐子さんが本当に傷つくのは、私がお母さんの願いを知りながら、夢を諦めることだよ!」
ひなの目にも涙が浮かんでいた。
「美佐子さんは、私が『光』を失うことを恐れている。その恐怖から私を解放するために、美佐子さんは鍵を渡す『時』を待っているんだ!」
ひなは、ポケットに手を入れ、祖母の家で確認した鍵の感触を確かめた。彼女は、すぐにでも行動を起こすつもりだ。
俺は、一歩も譲れなかった。この秘密は、俺とお母さんだけの重荷であるべきだ。ひなを巻き込み、美佐子さんを傷つけ、全てを壊すわけにはいかない。
「陽姫。俺たちは、美佐子さんの優しさに報いるべきだ。小箱を探すのは、俺が決める。お母さんの願いは、俺に託されたんだ」
「そんなの理不尽だよ!」
ひなは感情を爆発させた。
「お母さんが私に『本当の光が必要』だと言ったんでしょ!なのに、どうしておにいちゃんが勝手に私の未来を決めるの?いつもそうだ!あんたは、いつも自分一人で全てを抱え込んで、私を蚊帳の外に置く!」
ひなの言葉は、最も鋭い刃だった。俺の秘密主義は、ひなを遠ざける壁になっていた。
俺は、瞬時に動いた。
「すまない、ひな」
謝罪の言葉と共に、俺はひなのポケットに手を入れた。彼女が抵抗する間もなく、くすんだ銀色の鍵を抜き取った。
「返して!!」
ひなは驚愕と怒りに満ちた目で俺を見た。彼女のオレンジ色の瞳は、初めて見るほど激しい色彩に揺れていた。
「これは、俺が預かる」俺は鍵を握りしめた。「今夜、小箱を探すのは中止だ。俺が、美佐子さんに気づかれず、小箱を見つけ出すための条件が整うまで、この鍵は俺が持っている」
朔は、陽姫の顔を直視したまま、淡々と告げた。その表情は、七年前、お母さんの病室から出てきた時と同じ、全てを封じ込めたような無表情だった。
ひなは、奪われた鍵を見つめ、そして俺の顔を見上げた。彼女の怒りは、やがて深い悲しみに変わっていった。
「朔、あなた……怖いのね。全部壊れるのが。だから、私を、自分の影の中に閉じ込めようとしてるんでしょ」
ひなは、これ以上抵抗するのをやめ、力なくその場に立ち尽くした。
「美佐子さんを裏切るのは、あなたの方だよ。美佐子さんは、私を信じて『光を知っている子』と呼んだ。でも、あなたは、私が自分自身の光を見つける力を信じていない」
ひなは、俺を置いて、静かに家へと向かって歩き出した。その背中は、いつもの太陽の明るさを失い、遠ざかるにつれて、冷たい夕焼けの色に染まっていくようだった。
俺は、掌に残された鍵の重みを感じていた。これでひなの単独行動は止められた。美佐子さんの平穏は守られた。
しかし、ひなの言葉が、耳から離れなかった。
(俺は、ひなの光を信じていないのか……?)
俺は、美佐子さんを傷つけない『守りの優しさ』を選んだ。だが、その代償として、ひなの『行動の優しさ』を否定し、彼女との絆に、最も深い亀裂を入れてしまった。
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