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アベルは閉口するキャッチポール卿を見て内心「まいったな」と思う。
ここまでするつもりはなかったが、こうなるといくら口で「貴族の言葉にも耳を傾けたい」と言ったところで、無言で平伏されるだけだ。
特殊な事情で王子となったアベルは政務に慣れているわけではない。それでも軍属としての経験から、権威を振りかざして孤立すれば、最後に待つのは離反と破滅だと理解していた。
「貴族の序列は守ってもらう。……が、お前の不安はもっともだ」
頭を垂れたキャッチポール卿から、歓喜が滲み出ている。これで助かるかもしれないと思ったのだろう。大の大人が床に額をこすりつけていた。
あまりに強すぎる力だ。使いどころを誤れば数多の悲劇が生まれるだろう。
「顔をあげろ、彼女の案を詰める」
令嬢が考えた物語は名案と言っていい。
表面上の問題を指摘するなら、それはキャッチポール卿の既得権益が全損することと、失敗した際のリカバリーが利かないことだろう。
数多の戦場を越えたアベルは少し考え「そう難しいことではないな」と結論づけた。
「僕はね。前々から、キャッチポール卿の責務は重すぎるのではないかと思っていたんだ」
辺境城塞都市トロンの城主は長く不在であり。その間、使用人たちがその業務を代行してきた。
災害が起きれば税を増やし、戦争が起きれば税を増やしを100年近く繰り返してきた。そこには何の計算もない、ただ場当たり的に税を追加してきただけだ。
その結果、税制度は複雑化し、税の回収が困難になったことから徴税請負人という業務が生まれた。それまでは税務署が直接取り立てていた税を外部の人間を使って回収するようになったのだ。
まず、パンに含まれる小麦の配分は教会が小麦の収穫量から計算して年ごとに規定する。その重さは不在城の主である不在卿が、正確にはその代行である使用人が決める。これらを加味して基本の税が決定し、さらにバターを一定以上使用する場合はと、パンひとつ売るだけで面倒な計算が必要になる。
パンだけでこの有様なのだから、税を取り立てる専門家が必要になるのは必然だ。
「ど、どうでしょうか。トロン内の税制を一部撤廃し、一部だけ残されるというのは」
キャッチポール卿の言葉に商会長が釘を刺す。
「どの税を撤廃しても不公平だと揉めそうですな……」「ただでさえ関税を増やすのだから、これでは実質的な増税だろう」
市参議会の面々にキャッチポール卿は「い、いや。そこはうまく関税の量を調節して」と言うが「本当にそれは平等なのですか?」と司教に釘を刺されてしまう。
これまで税制度の大規模変更ができなかった理由がこれだ。誰かを優遇すれば、誰かがワリを食わされることになる。すべての人間の顔色を窺えば、結局何もできなくなるのだ。
アベルは考える。
平等であるかどうかは大した問題ではない、重要なのは多くの人が納得できるかどうかだ。
「ならばこうしよう。税を払うかどうかは民に決めてもらう」
「別に払おうが、払うまいが、どちらでもいい」
それでは、誰も払わないのでは?
おそるおそる、絞り出すようにキャッチポール卿が口にした。
誰だって支払わなくていいなら払いたくない。そんなの当たり前ではないか。
「別に払わなくたって構わない、令嬢の案の時点でトロン内の税は税収的には不要なものだ」
「いや、それでも払いたい者は出てくるが」
どういうことだ?
商会長は考えるが、今回は何も出てこない。
無から有を創り出すことなど不可能なはずだ。
「つまりだ。原則としてトロン内の税は払わなくてもよいが、払いたければ払ってもいい。支払った者は特別にその年の兵役を免除する」
その手があったか。
商会長が目を剥いた。
確かに誰だって兵役は回避したい。
どのような大商人であっても、一度戦争が始まれば戦場に駆り出されるリスクがあった。
一度兵役に就かされれば、商売は中断するか他の者に任せなければならず。兵役が終わって戻ってきたら経営が破綻していることもしばしばだ。
徴兵は平時でも、法律すれすれの行為を繰り返す者に対し、言わば厳罰のような形で課せられることもあった。罪を犯していなくても、徴兵という形であればいつでも身柄を拘束できる。
使いようによっては城主の横暴がいくらでもまかり通るようなシステムが、いまだ健在だったのだ。
誰にとっても頭の痛い兵役が、金を払えば免除されるようになる。
願ってもないことだが、まさか本当にそのカードを切るのか?
これは一見すると増税だが、その内実は税の無税化と権利の売買だ。
この王子は物を金にするのではなく、権利を金にしている。
「税は一本化し、人頭税にせよ。貧乏人にはとても支払えないような高額な税を課す。商会長と相談し、一部の金持ちが納税したくなるような最適な値を出せ」
その言葉に商会長とその一団が平伏した。
仰せのままに。
「職業ギルドと教会には周知を。一見して課された重税がその実、支払う必要がないのだと伝わらなければ恐慌が起きるだろう。民の安寧の為にお二人の力をお借したい、いまだ机上にあるこの制度が血肉になるかはあなた方にかかっている」
職業ギルドのマスターと司教の一団が平伏した。
畏まりました。
頭をあげるとアベルに羨望の眼差しが向けられていた。
それは王子だからではない、アベルがアベルだからだ。
膝に座る令嬢からも、アベルの姿は輝いて見える。
有り体に言えば、令嬢の手はパズルゲームであって治世ではなかった。
相手の物語を読み解き、選択肢を奪い尽くして、無力化する。一切の無駄を許さない凍結思考は強力だが、限界がある。
アベルの手には血が通っていた。
人を信じ、力を与え、目的に向かって走らせる。
みんなで豊かになって、金持ちになったら兵役の免除というゴールがあるのだ。それが夢のようなものであったとしても、夢だからこそ人はそれを信じる。
人を巻き込み、引きずり込むような物語がそこにあった。