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婚姻届に続き、雄大さんに押し切られて、私たちは立波家の門の前にいた。敷地内には家が三軒建っていて、一軒は前社長であり現会長の邸宅。一軒は現社長の邸宅。もう一軒は会長のお母様のお住まいだったが、他界されてからは来客用になっていた。
お義父さんが生きている頃、会長はお義父さんにここに住むように勧めたが、お義父さんは都心での暮らしを嫌がった。
親戚の家どもあまりに立派な門構えに、私はインターホンを押すのを躊躇った。
ここ訪れるのは三度目だから、当然だ。
私の緊張を察してか、雄大さんがインターホンを押した。
『どうぞ』と男性の声がして、門が開く。
スーツ姿の五十代くらいの男性が二人、私たちを出迎えた。
一人は会長の秘書の秋田さんで、もう一人は初めて見る顔だった。
「お久し振りです、馨さん」
秋田さんが相変わらず不愛想に言った。
「お久し振りです」と、私も言った。
秋田さんとは、時々連絡を取っている。会長である伯父の指示で、定期的に近況を報告していた。今日も、秋田さんを通じて伯父に会う約束をした。
「初めてお目にかかります。私、立波恒義の秘書をしております、秋田と申します」
秋田さんは雄大さんに自己紹介をして、深々と頭を下げた。
「私は立波亮介の秘書の進川です」
もう一人の男性も挨拶をする。
「槇田雄大です」
雄大さんは背筋を伸ばして、言った。
「会長と社長がお待ちです」
私たちは秋田さんと進藤さんの後に続いて、会長の邸宅に進んだ。
応接室に入ると、会長である伯父が窓に背を向けて上座に、社長である伯父が角向かいに座っていた。立ち上がったのは、社長の亮介さん。
「ようこそおいで下さいました」
「お忙しいところ、急なお願いをお聞き入れ頂きましてありがとうございます」
雄大さんがゆっくりと深く腰を曲げた。
「槇田雄大です」
「馨の伯父の立波亮介です」
「お久し振りです、伯父さま」
品定めするように雄大さんを見ていた会長に、言った。
雄大さんが会長のそばに行く。
「槇田雄大です。お時間を頂き、ありがとうございます」
会長はゆっくりと腰を上げた。
「立波恒義です」
数回しか会ったことがなかったが、印象が違った。会長という立場を感じさせない気さくな人で、こんな風に威圧的な態度をとることはなかった。
「どうぞ、座ってください」
亮介さんに促され、私たちは亮介さんの正面に座った。
秋田さんと進藤さんがお茶を持って来て、すぐに出て行った。
雄大さんは会長の方に身体を向けて座り直した。
「今日は馨さんとの結婚を認めていただきたく、ご挨拶に伺いました」
斜め後ろから見る雄大さんの凛とした表情に、ドキッとする。
昨夜、突然伯父に挨拶に行くと言い出した時は驚いたけれど、そもそも立波リゾートの社長の椅子が条件の契約なのだから、断る理由はなかった。
「ご両親は他の女性との結婚を望まれているのでは?」
会長が厳しい表情で言った。
亮介さんが見覚えのある写真のコピーをテーブルに置いた。
黛——!!
雄大さんと春日野さんの写真。
「お相手はご両親と親交のある大病院の院長の娘さんとか。この女性と結婚なさった方が、ご両親はお喜びになるのではないかな」
「そうかもしれません。ですが、私が求めるのは馨さんです」
「馨がありながら他の女性とこのような写真を撮られて、我々が結婚を許すと?」
「お恥ずかしい限りですが——」
「伯父さま」
私は雄大さんの言葉を遮って、言った。
「誰から何をお聞きになったかはわかりませんが、こんな写真を盗み撮りするような人間の言葉を信用なさるんですか?」
雄大さんがぎょっとして振り返った。
「雄大さんは写真の女性が躓いたところを支えただけです」
部屋の温度が三度は下がったと思う。
ここに来る前、雄大さんから黙っているように言われた。何度も。
何を言われても俺に任せろ、と。
けれど、黛が絡んでいる以上、黙ってはいられない。
「馨ちゃんの言う通りだ」
会長の目尻が下がり、表情が和らぐ。
「試すようなことを言って申し訳なかった」
「いえ」
「けれど、どういう状況にあってもこのような誤解を招く写真を撮られるというのは、感心しない。君には盗み撮りをされる身に覚えがあるのかな」
会長の言うことは尤もだ。
ここで黛の名前を出すべきか、迷った。
すでに黛が会長に接触しているのなら、時間がない。
雄大さんも同じことを考えているのでは、と思った。
「その写真を撮ったのは、黛賢也です」
会長も亮介さんも驚き、顔を見合わせた。
「やっぱり、お二人に写真を見せたのは黛だったんですね」
この写真が立波家にあるということは、既に雄大さんのご両親も——。
黛への怒りが沸々と湧き上がる。
どうして桜はあんな奴を——!!
「私たちが黛君の同僚であることはご存知なんですよね?」と、雄大さんが会長に聞いた。
「ああ。黛君は馨ちゃんが恋人に裏切られているようだと、この写真を見せてくれたんだ」
恋人を裏切っているのは自分のクセに!
「お恥ずかしい話ですが、私は以前から黛君とはそりが合わず、疎まれています。私と馨さんが結婚を考えていると知り、賛成しかねると直接言われたこともあります。ですから、馨さんとの結婚をやめさせるためにこのような行動に出たのだと思います」
雄大さんが二人の反応を見ながら、慎重に言葉を選んでいるのがわかった。
二人が黛とどの程度の関係にあるのかがわからない。黛が媚び諂って取り入るのが得意なことは、よくわかっている。
黛が二人の信用を得ているのであれば、私たちが黛の本性を明かしても、信じてもらえないかもしれない。
「黛君に疎まれているというのは、立波リゾートの社長の椅子を巡って、と言うことかな」
会長が、ズバリ、聞いた。
「そうかもしれません」
「……そういうことか」
会長がため息をついて仰け反るようにソファにもたれた。亮介さんは眼鏡を外し、目頭を押さえる。
雄大さんはお茶で口を潤した。
「差し出がましいようですが、暁不動産とはどのような関係ですか?」
会長が姿勢を正す。
「どのような、とは?」
「黛君が暁不動産の社長と血縁関係にあることは知っています。暁不動産が立波リゾートと業務提携なり資金面での援助なりを求めていることも」
初耳だった。
暁不動産が経営難ってこと……?
「どこでそれを……」
「姉が政治・経済誌の編集長なので、詳しいんです」
「情報が洩れているとは……。なんてことだ……」
「まだ、記事に出来るほどの情報はないようでした。それに、情報源は暁側のようです」
お姉さんの職業もだけれど、雄大さんが立波と暁の動向を探っていたことに驚いた。
いつから……?
お姉さんから情報を得ているということは、事情を話したのだろう。
お姉さんはどう思ったろう……。
大事な弟の結婚が契約だなんて——。
「情報漏洩については、抗議が必要だな」と、会長が言った。
「そうですね」と、亮介さん。
「お伺いしてもよろしいですか?」
「なにかな」
「今回、暁不動産の救済を検討されたのは、黛君を立波リゾートの後継者としてお認めになったからですか?」
雄大さんの言葉に、会長と亮介さんが再び顔を見合わせた。
事情があるらしく、口ごもる。
「御社の経営方針に意見するつもりはありません。ですが、馨さんとの結婚によって私が御社と関わっていく可能性があるのでしたら、お聞かせ願えませんか」
さすが、プレゼンの神。
結婚の承諾を得るはずが、話は既に結婚後の自分の立場を明確にするところまで進んでいる。
会長と亮介さんに雄大さんを認める気持ちがなければ、立波の内部事情まで話すはずがない。
さあ、どこまで話すか——。
「我々としては——」と、会長が重い口を開いた。
「君が馨と結婚して立波リゾートを背負ってくれれば、安心して隠居できるが——」
が——?
「君のご両親が、君と馨の結婚と立波の後継者になることを認めるとは思えないのだよ」
それは、私も同感……。
雄大さんが伯父さまたちに挨拶に行くと言い出した時、まずは雄大さんのご両親に許しを得た方がいいと言った。けれど、まずは花嫁の親族に挨拶するのが筋だ、と言って聞かなかった。
「君が写真の女性と結婚すれば、ご両親は大病院を後援に出来る。ゆくゆくはその後ろ盾を武器に、地盤を君に継いで欲しいと願っているのではないかな?」
「はい。ですが、私は政治家になるつもりはありませんし、写真の女性と結婚を考えたこともありません」
「我々としては、君と馨の結婚に異議はない。だが、馨が君のご両親に疎まれて辛い思いをするのであれば、話は別だ。血縁関係にないとはいえ、馨は私の姪だ。亡くなった勲からも、くれぐれも頼むと言われていたのでね。君のご両親の承諾を得てから、話の続きをしよう」
意外だった。
会長は立波リゾートを他人の手に渡したくなくて、私と桜を巻き込んだのだと思っていた。けれど、言葉が本心ならば、会長は私を心配し、幸せを願ってくれている。
亮介さんも会長の言葉に頷いていた。
早く社長の椅子から逃れたいのではないの……?
「今はそのお言葉で充分です。では、また改めましてご挨拶に伺います」と言って、雄大さんは冷めきったお茶を飲んだ。
私も、湯飲みを空にする。
「これだけは言っておこう」
別れの挨拶の前に、会長が言った。
「黛君を立波の後継者に認めてはいない」
『まだ』と付け加えられなくて、少しホッとした。
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